医師の仕事
不眠、眠れないというのは、色々な患者の悩みの入り口だ。家庭や仕事、色々な問題を抱えた人が、「眠れない」を主訴にしてやってくる。こういう人に、「あ、眠れないんですね。じゃあ睡眠剤出しときます」ってのは、私は医者じゃないと思っている。そういうのは、「臨床治療技師」というのだ。医師というのは、そうじゃない。
眠れないには、色々な理由がある。高齢者が歳と共に眠れなくなったというのは、大方が加齢に伴う睡眠覚醒リズムの変容で、こういう人は残念ながら睡眠剤を出すより他に治療法が無い事が多い。
しかし若年、中年でこれまで眠れていた人が急に眠れなくなったのは、必ず生活に何か理由があるのだ。家庭環境だったり職場の事情だったり、きっと理由がある。それを知らん顔して、「睡眠剤出しときます」というのは、全くの一時しのぎだ。
眠れなくなったのはいつ頃からですか、その頃思い当たる原因かなと思うことはないですか、と訊かなければならない。その結果が、時には育児に夫が協力してくれないことだったり、会社から追い出しにあっていたことだったりするわけだ。本当の医者は、そこに踏み込んでいくものだ。
と偉そうなことを言って、そう言えば初期研修の時「初診の患者は必ず業務歴を聞け」と指導されたことを思い出した。これは民医連の坂総合病院で当時院長をしていた先生から(名前は失念した)教えられたのである。
宮城民医連と言えば、全国の産業医にその名を知られた広瀬先生という有名な産業医がいて、この人は東北大学の産業医講習会に毎回講師として呼ばれるぐらい卓越した産業医だったが、一生一診療所の所長に甘んじた。給料は安かったに違いない。しかし広瀬先生の講義は圧巻で、工場で不快感を訴える職員がたくさんいると言われたら、操業している工場の片隅に陣取ってたばこに火を付ける。そのたばこの煙をたどっていけば、有害ガスがどう流れているか分かるという話を聞いた記憶がある。私はペーパー産業医で名前貸しをしているに過ぎないから、本物の産業医とはこう言うものかと仰天した。
今私が開業医として会社の追い出しにあった若者の尻を叩いているのも、もしかしたらあの頃の教育が私のどこかに潜んでいるのかも知れない。民医連というのはどうせ共産党の宣伝組織と思っていても、初期研修でたたき込まれたことは大きかったのである。
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