搾取についての基本的おさらい

Facebookで「搾取ってなんですか」と訊かれました。また北欧の高福祉国家と日本やアメリカの違いはなんですか、と言う質問もありました。そんなのぐぐれば分かるんですが、どうも今の人は自分で情報を調べるのが苦手なようです。

搾取というのは、資本主義社会である限りかならずついて回るものです。搾取が無い資本主義、と言うものはありません。

簡単な例で、鯛焼き屋さんで説明しましょう。

ある人が金を出して人を雇い、設備を整えて鯛焼き屋を出しました。店員、つまり労働者は10個の鯛焼きを作りました。10個の鯛焼きを作ったのは労働者(店員)ですから、労働者が「じゃあ10個分給料もらうね」となったら資本家は困ります。資本家が食っていけないし、次の資本投資も出来ません。だから鯛焼き屋さん、つまり資本家は労働者に10個作らせて7個分の給料を払います。残りの3個分は資本家の取り分だよ、と言うわけです。これが経済学用語で言う「搾取」です。ですから搾取というとなんだか凄く悪いもののように聞こえますが、資本主義を廻すには不可欠です。

ところで、鯛焼き屋が大繁盛したとしましょう。二店目、三店目を出します。ついでにたこ焼き屋も作っちゃいましょう。そうすると、資本家の儲けはどんどん増えます。しかし労働者の取り分はあくまで鯛焼き7個分だけです。多少ボーナスで7.5個分ぐらいにはなるかもしれませんが、それ以上にはなりません。これが「富の格差」を生みます。

さて、鯛焼き屋さんは普通は善良でしょうから労働者が10個鯛焼き作ったら7個分は賃金として支払います。しかし竹中平蔵が鯛焼き屋をやったら、たぶん5個分しか給料を払わないでしょう。いや彼なら3個分かもしれない。

或いは、7個分給料は払うけど、働け働けと15個作らせるかもしれません。でも給料は7個分だけ。

資本主義では基本的に資本家は労働者より強い立場なので、やろうと思えばそういうことは幾らでも出来るわけです。

19世紀、アンナと王様(或いは王様と私)という小説が書かれて、イギリスの知的な婦人が未開のタイ王を開化させたと描かれています。しかし現実はそうではなくて、あるときアンナレオノーウェンスが王様、つまりラーマ4世に「タイでは奴隷制があるが非文明的なので廃止すべきだ」と言ったところ、ラーマ4世が答えるに、「アンナ君。確かに我が国には奴隷がいる。だがタイの奴隷と君の国イギリスの労働者とどっちがましな生活をしているかね?」と訊かれてぎゃふんとなったという逸話があります。

つまり資本主義は放っておくと奴隷制より酷い搾取に陥るのです。それで、どの国でも穏健な改良主義から激しい労働争議、一番凄いのは革命ですが、この過酷な搾取をどうにかしようと努力がなされました。多くの血が流れたのです。

ですから日本やアメリカと北欧の違いは、搾取をどの程度にするかの違いです。10個の鯛焼きに対して何個分を給料や、社会保障として労働者に還元するか、と言う違いなのです。北欧が幾ら高福祉だからと言って、搾取をしないわけではありません。それでは資本主義が成り立ちませんから、比率が違うだけです。

搾取全部無くしてしまおう、としたのが旧ソ連などの社会主義です。それには資本家階級を全部追い出して、労働者と農民だけの国を作れば良い、と考えました。

しかし結局、誰かが現場労働している傍ら誰かは管理コントロールをしなければならないわけです。旧ソ連や改革開放前の中国ではその管理コントロールが肥大化して、結局資本家の搾取より更に酷いことになってしまいました。また労働者農民は労働意欲をそがれて、働かなくなった。結局失敗して、ソ連は滅びたし中国は事実上の開発独裁という形の資本主義に戻ったわけです。

しかしアメリカのように、富の99%を人口の0.5%が独占するというような搾取社会はいずれ行き詰まるでしょう。搾取される側の恨み、怒りが高まれば、資本家は金は持ちながら高い塀と鉄条網と監視カメラの屋敷から一歩も外へ出られなくなる。何のことは無い、資本家が閉じ込められているわけです。

だからある程度で妥協しましょうね、と言うのが北欧型社会民主主義です。まあ、経済の原動力が欲望にある限り、あの辺で留めておくのがsecond bestなんでしょう。

これで搾取の基本説明お終い。

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