ひたすら「次の山」を登り続けるのが人生?
【参考記事】
「量産型」会社員はもっと自分を認めていい
この記事を読んで、高校生3年生のときに現代文の先生が話していたリクルートのCMを思い出しました。
前半のみんなが同じコースを走るマラソンは、この記事で触れられているひたすら次の山を登り続ける行為を象徴しているように思えます。
「自分なりの価値観を育まないと、人生の展望が開けない」とありますが、現実的には会社でも、学校でもコミュニティに属している限り、誰しもが周りの評価を気にすることから避けられません。
誰もが「よりみんなに認められたい。。」そう思っているからです。
すると、そのコミュニティ内で影響力のある人物は、意図を持ってか無意識か次第に特有の価値基準を創ります。
(高校だとあいつは面白い、とかいいやつとかかもしれないですね)
そうして、コミュニテイに属する人間はその価値を発揮しようと競争をし始めます。
ついに、1番を目指し2番以下の人間は自分を認められなくなるのではないでしょうか。
正直他人の価値基準で生きようとすると、それは本当に自分の人生なのか?と思います。
誰かのためを思って生きようとすることも大切ですが、自分の気持ちを殺して、我慢することは犠牲であり、とても不健康な状態だからです。
しかし、自分の心の声に気づき、本当に自分のやりたい人生を設計することはとても難しいです。
難しいからこそ、いろんな価値観の人と付き合い、挑戦をし失敗から学ぶことが重要なのではないでしょうか。
自ら新しい挑戦をして、周りにも戦っている人がいたらファイトと言ってあげようと思いました。
最後に、担任の現代文の先生が大学受験後にクラスに配布してくれた文章を添付します。
“人生はマラソンではなく表現してしまうもの”
らしいです。笑
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