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「計画された旅」vs「行き当たりばったり旅」

 旅のスタイルは、ざっくり分けると2種類です。

行くところ、泊まるところ、食べるところ、電車の時間など、事前に細かく決めておく「計画された旅」。

もう1つは、とりあえず家を出発してから、感じるままに動く「行き当たりばったり旅」です。

みなさんは、どちらの旅が好きですか?
・・・たぶん前者のほうが多いと思います。もしかしたら、2つの中間の人、もしくは2つの割合が7:3という人もいると思います。

 今回はこの対照的な2つの旅を比較、考察してみました。

「計画された旅」は様々な情報源から情報を集めます。雑誌、インターネット、知人などでしょうか。最近では個人のスマホ所有率も高く、下調べがどんどん楽になってきています。
「へ~ここにはあの有名な建築物があるんだ。」
「ここからの移動は電車じゃなくてバスのほうが良さそう。」
「この場所は美味しい地元の料理が食べられるみたい。」
「1ヶ月前に予約するとこんなに割引になるんだ。」
と考えながら計画していきます。


「行き当たりばったり旅」に比べてどんな良さがあるのでしょうか。それは、費用が安く抑えられる、効率良く行きたいところに行ける、自分の舌に合うものを食べられることでしょうか。さらに計画を立てる能力も育ちます。自ら計画を立て(計画的)、いかに安く(経済的)、いかに効率よく(時間管理)、美味しいものを食べたり自分のしたいことをする(幸福追求?)能力が育ちます。学校で行う修学旅行や校外学習も「計画された旅」に該当します。学校行事ではこれらの能力を身につけることができます。これはこれで素晴らしく、生徒にとって必要なことですが、ちょっと立ち止まってみましょう。


 以上のような「計画された旅」にデメリットなどあるのでしょうか。
もしかしたら、これは僕だけかもしれませんが、計画された旅は「確認感」が出てしまうのがデメリットだと思います。わかりにくいかもしれませんが、京都を例にしてみましょう。雑誌で「見たことのある」清水寺を見る、歴史の教科書で「話題になった」金閣寺で写真をとる、「おいしいと評判の」抹茶アイスのおいしさを確認する。極端な例えですが、指差し確認をしているイメージです。金閣寺よ~し!清水寺よ~し!抹茶ソフトよ~し!のように。予定調和なところがあります。想定の範囲内といいますか。あまりノイズがありません。


 逆に「行き当たりばったり旅」はノイズだらけです。何も調べていないからバス停でありえないくらい待たされるかもしれません。いきなり予約するので高くつくかもしれません。せっかく海沿いの街に来たのに、お刺身を食べられないかもしれません。「行き当たりばったり旅」は自分の思い通りになりません。少し、良い言い方をすると自分の認識の外のこと、想定外のことが起きてくれます。もしかしたら、困っているときに助けてくれる地元の人の優しさに気づくかもしれません。意外と社交的にふるまえる自分に出会えるかもしれません。何も調べていないのに、めちゃくちゃおいしいごはんを食べられるかもしれません。期待していない分、うれしさは倍増します。

この例えが伝わるか疑問ですが、「計画された旅」は今までハンバーグしか食べたことのない人が、おいしいハンバーグを食べにいく旅です。「行き当たりばったり旅」は今までハンバーグしか食べたことのない人が未知なる食べ物、カレーに出会う旅です。想像していなかったことに出会えます。


 以上のように、2つの旅には違いがあることがわかります。この違いをふまえたうえで、僕たちはどのような選択をすればよいのでしょうか。

僕がお伝えしたいのは、「行き当たりばったり旅」は学校で提供できないということです。なぜなら、安全じゃないからです。学校行事は安全が第一です。さらに、保護者の方もそれを望んでいません。理由は同じです。つまり、皆さんがしたことのある旅はほとんど「緻密に計画された旅」に偏っているということです。最近ではスマホで調べられるのでそれも後押していると思います。偏っているという認識をもって、「行き当たりばったり旅」を虎視眈々と狙っていてください。

付け加えると、複数人より、1人でいくとよいと思います。複数人で行くと、誰かが決めてくれます。そのため、「○○君についていけばいいや」となりがちです。旅から学ぶものが少なくなります。修学旅行で「楽しかったです」という感想しかない人は、金魚のフンのように後ろからくっついているだけだったのではないでしょうか。


 ある先生に

「旅を意味する英語、トラベルの語源は、

 事件を意味するトラブルから来ている。」

と言われました。かなり納得しました。語源に立ち返ると本来の旅はどういうものだったかが想像できます。想定外の事件が起きることでも、人は学び成長していきます。


 ちなみに、予測可能なことを楽しむのは新生児から幼児までと聞いたことがあります。この時期の子どもは、高い高いなど、同じことをしつこいほど繰り返して喜びます。何度やっても喜んでくれます。これは「高い高いしてくれるだろう」→「そうなった」→「うれしい」という自分が予測したとおりになることが嬉しいのだそうです。

小学生以上の僕たちは、これから

予測不可能なことを楽しんでいきましょう。

無駄なことをどんどんしていきましょう。

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