見出し画像

指先 

翻る裾を、僅かに弛む袖を、私の辿々しい指が掴もうとしてはするりと離してしまう。ねえ、貴方に触れるのが怖いのです。このまま振り向かないで、ただ前だけを見ていて。振り払っても良いから、期待だけはさせないで。
この指が私の精一杯の気持ち。


優しい声。暖かい眼差し。
思い出の中に残る貴方の一瞬一瞬の姿。朧げになっていく記憶に何度溜め息を吐いたことでしょう。

見上げる程の背丈。仄かに香る煙草の匂い。
貴方ではないとわかっているのに、街中でその面影や残り香と擦れ違うと、足が立ち竦んでしまう。振り返っても、ただただ寂しい気持ちと貴方への想いだけが募っていく。

貴方と紡いだ時間。貴方と歩いた道。貴方を中心に回る世界。
ほんの少しの勇気があれば、たった数cmの隔たりを越えて、貴方の世界に私の色を落とせるのでしょう。でもそれができないのは、きっと貴方の中に私の色が存在しないことを知っているから。


私が裾を掴めても、そのまま真っ直ぐ歩いてね。
貴方の影に隠れてしまうけれど、その隣を歩める日など来ることは無いのだから、せめてその広い背中に甘えさせて。この程良い距離感が貴方と私の境界線。

袖を掴んだ時は、ゆっくり立ち止まって。
きっと私は貴方に見せられないくらい酷い顔をしている。落ち込んだ視界には貴方の足元しか見えないけれど、貴方が此処に在るというだけで十分なの。それだけで十分。また歩き出せるから少しだけ雨宿りさせて。降る雨はきっとすぐに止むだろうから、傘を差すような優しさはいらないの。


狡いことは承知しています。それでも貴方には私のことなんか気に留めないでいてほしい。
振り返って手を掴まれでもしたら、手を離さなければいけない寂しさに心が悲鳴を上げてしまう。手と手を通して伝わる体温の違いが、貴方とは決して一つに交わらない現実をまざまざと突き付けてくる。たとえ同じ温もりを共有し合えても、いつかお別れが来るのなら、そんな思い出と生き続けるくらいならば貴方とはばらばらのままでいたい。そして、こんなぐちゃぐちゃな私を知らない貴方のままでいてほしい。


貴方が好きです。
震える指先を通して、貴方にこの気持ちが伝わるかもしれません。でも見ないフリをしていてね。
私が貴方に触れられるようになって、その優しい背中をトンと突き離せる日が来るまで。
貴方の正面に立って、「ありがとう」と笑顔で見送れる日が来るまで。

でも。もしも。
貴方が私の手を取る時があるのなら。
貴方と私の手が触れ合う時があるのなら。
ほんの少しだけ幸せを感じてもいいですか。




指先
もしも
この想いも結ばれるのなら
 僅かに伝う温度で火傷してしまいそう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?