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「令和鎖国」 で引き裂かれる家族たち──〈極私的〉記録から(前篇)|新井卓

ダゲレオタイプの作品で知られるアーティスト・映画監督の新井卓さんは、昨年(2021年)末、署名活動の呼びかけ人となりました。新型コロナ感染症(オミクロン株)の水際対策として施行された入国規制について政府に見直しを求めるもので、1カ月ほどで約12,000人もの署名が集まりました。なぜ新井さんはそのようなアクションを起こしたのか――。直面した困難や活動の経験について、ご寄稿いただきました。(編集部)


――家族とは、だれひとり取り残されたり、忘れられたりしないことを意味するんだよ。

『リロ・アンド・スティッチ』(2002)
クリス・サンダース&ディーン・デュボア監督、
ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ

 ――何人も、自己の私事、家族、家庭若しくは通信に対して、ほしいままに干渉され、又は名誉及び信用に対して攻撃を受けることはない。人はすべて、このような干渉又は攻撃に対して法の保護を受ける権利を有する。

世界人権宣言12条

 「リモート」な独白

 想像力の圧倒的な足りなさ。人間の想像力など、穴だらけの知覚の網に引っかかった綿くずのようなもの。写真や映像の仕事をつづけていれば、日々いやでも突きつけられる事実だから、そんなことはよく分かっているつもりだった――少なくとも、2021年12月1日までは。

新型コロナウイルス感染症が世界に影を落とし、日常が非日常へと置き換えられつつあった2020年、張りめぐらされた根を強引に引きちぎるようにして、わたしは、当時別居中だった前妻と離婚した。コロナ禍とは関係なく、わたしの果てしない身勝手と冷たさが原因だった。

それからというもの、わたしは自分のしたことに向きあう勇気もないまま、忙しさを見つけては家にこもり仕事に没頭した。あるときは、戦時中に作られた千人針の一針一針を一千枚の銀板写真に写しとっていた。またあるときには美術館の依頼で映画を作り、芸術祭のために東北の海岸線全長500キロを旅してコンクリートに覆いつくされた汀の風景を撮影したりもした。朝昼晩と老猫の面倒を見、YouTubeでヨガを覚え、サワー種を起こしてパンを焼きはじめた。それら新しい日々の習いによって、非日常は徐々に日常へとたくしこまれていった。コロナに感染した人は身近に一人もおらず、毎朝新聞に踊る感染者数は現実離れした、どこか遠い世界の出来事のように思えた。

いま思い返してみれば、わたしは自分で編み上げた繭玉に身をかくまい、致命的で心地よい眠りを貪っていたに過ぎない。


ベルリンに住む彼女と再婚することになったのは、いつのことだったろうか?

彼女はドイツ人で、数年前、広島で出会った。表現者同士として、また異邦人同士として語りあう自由さに惹かれ、再会するたび内面によく似たかたちを見いだしながら、わたしたちはいつしか互いの一番の理解者になっていた。欧州各国で絶望的な感染状況がつづき、ベルリンで都市封鎖が始まり、日本が国境を閉ざすあいだ、それぞれの居場所に閉じこめられたわたしたちは葉書を送りあい、日々ビデオ通話で話しつづけた。よくもそんなに話すことがあるね、と笑いながらも、7ないし8時間の時差をこえて過ごす時間には独特の楽しみがあった。終わりの見えない蟄居の中、その背後に漂うかすかな焦燥や時々の諍いも、掌の画面に浮かんでは沈んでいった。

わたしが自分の仕事に逃避するたび、そしてバイ・セクシュアルで自由恋愛を信条とする彼女が誰かれとなく出歩くたびに、わたしたちは画面越しに激しく怒鳴りあった。

「物理的に会えないくせに、束縛しようとするわけ? 国境が開いていたとき、こっちに来てくれなかったのはあなたでしょう?」

「引き受けた仕事を全部反故にして会いにくるべきだった、って言いたいの? 無責任にも程があるじゃないか。」

こんな風に言い争うとき、2つの繭玉をつなぎ止める電子の糸はふつりと途切れて、突然、9,000キロの虚空が押し寄せてくるのだった。これほど大変なら、もうやめてしまったらいいのに。21世紀のいま、先進国と呼ばれる日本の国境で恋人と引き裂かれることになろうとは……。

年が改まるころ、最後の破滅的な口論があった。一緒に長い時間を過ごしたこともないわたしたちは、それから、「結婚」という今まで考えもしなかった選択肢を選んだ。ドイツと日本を行き来しながらものを作り生活すること。婚姻を土台とするモノガミー(一夫一婦制)や古典的な家族像から自由に生きること。わたしたちがぼんやりと夢見たそれらの価値感と、会えない現実がもたらす苦しさを天秤にかけたとき、前者のいくつかをあきらめなければならないことは明白だった。


2021年3月、わたしは一人で区役所に行き婚姻届を提出した(去年離婚届を出した同じ窓口に同じ職員が立っていて、わたしは怖じ気づいた。しかしそれは他でもないわたし自身の業なのであって、逃げ出すわけにはいかなかった)。1週間後に戸籍謄本を発行してもらい、アポスティーユと呼ばれる公文書の訳文と嘆願書を添えてベルリンに送る。彼女はそれらの書類を手に在ドイツ日本大使館を訪れ、短期滞在査証の申請を行った。この時期、日本は入管法第5条第1項14号に基づき外国人の新規入国を「特段の事情」がある場合を除き拒否していた(詳細は後述。当時の入国制限については「新型コロナウイルス感染症対策本部(第58回)議事概要」他参照のこと)。彼女の場合、結婚の準備や高齢になるわたしの祖母への面会が「特段の事情」として認められることになった。

わたしたちは5月から7月までの2カ月間を一緒に過ごし、ドイツ側の婚姻登録のため在日本ドイツ大使館に二通目の婚姻届を提出した。こうしてわたしたちが行ったのは「リモート婚」と呼ばれる、制度の隙を縫って可能になる特殊な方法だったのだと、後になって知った。わたしたちは、この困難な時代に最良の選択をし、したたかに生き延びたのだ、と誇りに思いさえした。年末にまた戻ってくることを約束して、彼女は帰っていった。

ベルリンに戻った彼女は手慣れた様子で次の短期滞在査証を取ってしまい、いろいろ整理してからなるべく早く日本に戻るつもり、と言った。

このとき政界では菅義偉前総理が退任し、第一次、第二次岸田文雄内閣が発足していた。

 家族が分断された日

 11月26日、WHOは南アフリカで新たに報告された変異株を「懸念される変異株 (Variant of Concern; VOC)」として「オミクロン」と名付けた。なにか雲行きが怪しいから年内にも日本に戻るべきではないか、わたしたちはそう話しあった。

数日後、在ベルリン日本大使館から彼女のもとに電話が入った。日本の水際対策が強化されるという未確認情報があるので、すぐに渡航することを強くおすすめします――異例の通知にただならぬ気配を感じた彼女は12月下旬の航空券をキャンセルし、可能な限り早い日にちの便を新たに買い求めた。

12月1日、再び大使館から連絡あり――日本は今日さらなる入国制限を決定し、その結果2021年12月2日より以前に取得したビザはすべて無効になりました(例外:「日本人の配偶者等」)。日本在住の近親者が死去するか危篤といった人道上の危機が懸念される場合を除いて入国できません――彼女がベルリンを発つ、わずか2日前の出来事だった。

「こうなる予感がしていたのに、ベルリンになんて戻るべきじゃなかった。この部屋を見て。もう空っぽじゃない! 仕事もアパートも整理した。どうやって生きろっていうの!」

画面の向こうで半狂乱になった彼女に対して、そんなはずはない、とにかく落ち着くように、と言った。「日本人の配偶者等」は入国可能と書いてあるし、第一、家族の入国を拒否するなど人権にかかわる措置を、政府が事前通告もなく発令するはずがないではないか……。


それから丸1日、わたしは関係省庁の公式文書をしらみつぶしにあたり、航空会社に確認し、外務省と法務省に電話をかけつづけた。どうやら「配偶者等」とは「日本人の配偶者等」という種別の在留資格のことであって「単に」結婚しているだけ、家族であるだけでは入国拒否の例外にならない、ということらしかった。前回まで利用できた「特段の事情」については適用要件そのものが水面下で厳格化されたらしかった。たとえば危篤の家族を理由にした場合も診断書の提出が求められ、個別に審査が入ることになるという。危篤の家族を「審査」するなんて――わたしたちは言葉を失った。

在留資格とは外国人が日本国内に長期間居住する場合や、就労、留学ほか様々な活動を行うために必要な資格だが、すべての国際家族が「配偶者等」の在留資格を持っているわけではない。なぜなら海外に仕事や生活拠点がある国際家族にとり日本の在留資格を取得する意味はあまりなく、「平時」であれば多くの国に適用されるビザ免除措置による無査証短期滞在で、居住国と日本を行き来するのが普通だからだ。

ありえない、と思えた事態が現実であることを呑み込むまで、ずいぶんと時間がかかった。漠然とした息苦しさの感覚はやがて焦点を結び、憤りの感情となってあふれだした。この1年間のわたしたちの格闘はいったい何だったのか。そもそも、コロナ禍であろうと家族の再会を認めないとは、人権蹂躙ではないのか?

2021年12月2日――その瞬間、何の前触れもなく数多くの国際家族が引き裂かれ、日本国外に取り残されることになったのだ。
  

オンライン署名活動――そのとき国境の向こうで何が起きていたか

 事の異常さに衝撃を受け、12月3日、わたしは抗議のオンライン署名活動を立ちあげることにした。公の異議申し立てを通じて、まず人々にこの事態を知ってもらわなければ――そう考えたからだ。

何年か前に別の活動で利用したChange.orgにアクセスしてオンライン署名サイトの準備を進める中、ドイツの友人からTwitterで情報収集することをすすめられ、開設したきり眠っていたアカウントをもう一度使いはじめた。

彼女は、わたしたちの窮状をInstagramに投稿しはじめた。ベルリンの人々は優しく、みな彼女に救いの手を差しのべてくれた。彼女は元の職場で一時的な復職を歓迎され、アパートを譲り渡すはずだったブリュッセルの研究者は、「休みが延びたと思って少しゆっくりするから、別に気にしないで」、と言って笑った。

想像力の圧倒的な足りなさ――ソーシャル・メディアで、無関心な人々にわたしは確かにそう訴えかけた。しかしその言葉は、そっくりそのまま自分自身に向けた言葉でもあった。過去2年間の入国制限によって、わたしたち以外にも無数の国際家族、同性婚配偶者、未婚カップル、留学生や労働者、技能実習生、日系人、元日本人(外国に帰化したことにより日本国籍を失った人々)ほか数十万人に上る人々が困窮してきた現実を、今ごろになって認識したからだ。

妻と一歳になる子どもに会えず、育児に参加できないことが原因で離婚することになったという人。腎臓移植のドナーとして来日予定だった家族の来日が突然キャンセルになった、という人。見も知らぬ人々の悲痛なメッセージが、再開したばかりのTwitterアカウントに届きはじめた。

コロナ禍をうまく生きのびてきた、と自負していたわたし自身の無知を恥ずかしく思った。わたしが編み上げた繭玉とは結局のところ、自分だけが心地よい蛸壺に過ぎなかったのだ。

この運動が本格化すれば私生活は世間に晒され(わたしは、再婚はおろか離婚のことさえ、ほとんど誰にも知らせずにいた)、時間もお金もなくなり、友だちも失うかもしれない。しかし、何かが起こるのを待ちながら無為にやり過ごすことなど、もはや不可能だった。


当事者たちになにが起きているか、個別の事情を知ることが先決だった。

署名サイトの立ち上げと同時にオンラインで簡単な実態調査を行ったところ、9日間で236名の回答が寄せられた。回答者の5割弱が待機留学生、4割弱が国際家族とカップル、1割が労働者と日本に就職予定の人だった。全体の7割に上る人が心身の健康被害、5割がパートナーや家族との離散状態、3割が経済的な困窮、1割弱が住居の喪失を経験していた。さらに一割の人々が、日本の入国制限が原因で離婚や離別したと答えた(複数回答式)。

以下、実態調査の自由回答からごく一部を紹介したい。なお、個人の特定を避けるため文面を一部編集した。内容は2021年12月時点のもので、現在各回答者の状況はそれぞれに変化していると考えられる。

「夫の短期ビザが突然無効になった。帰国理由は祖父が末期の癌のためだったが、大使館に余命が半年と伝えると、まだ生きられるならビザ発給の優先順位は低いと言われた。」(ノルウェー在住、日本人)

「家族に不幸がありアメリカに一時帰国したタイミングで入国制限が強化され、日本に戻れなくなった。日本に住まいがありパートナーと暮らしている。学業も途中で、日本政府の硬直的で排外的な姿勢に憤っている。」(日本在住、アメリカ人)

 「日本の企業で働く婚約者(インド人)と一緒の職場で働いていた。私たちは近々インドに一時帰国して結婚する予定だった。私が先にインドに帰国した直後、日本政府が再入国許可の発行を停止したため、婚約者は日本から出られなくなってしまった。私はその間に在留資格の期限が切れたため日本に入国できなくなった。私たちの人生は日本の入国制限に弄ばれている。」(日本在住、インド人)

「私は日本に仕事があり、アパートも借りています。年金も健康保険も払っています。そして日本人のパートナーがいて日本に住んでいます。人生の全ては日本にあるのに、入国できません。現在日本の会社のためにテレワークをしていますが、給料は日本の銀行に振り込まれるため、今は母国の口座にある貯えで生活するしかありません。」(日本在住、スイス人)

「〈要介護4〉の母を介護するため、夫と帰国を予定していた。フランス人の夫はこのために短期ビザ、有給休暇を取得。しかし2021年12月1日にこのビザが無効となり帰国を断念した。母は電話口で泣いていた。」(フランス在住、日本人)

 「博士課程の研究のため、2020年から日本に滞在予定だった。いままで積み重ねてきた研究を放棄するわけに行かず、ただ入国できるのを待ち続けている。もし外国人が欲しくないなら日本政府は公式にそう発表したらいい。具体的な予定も出さずただ「待て」と言いつづけることで、多くの人々の人生を台無しにしている。」(スリランカ在住)

 「私は文部科学省の奨学生(MEXT)です。この奨学金の規則によりその他の収入(給与や別の奨学金など)を同時に受け取ることはできません。規則を守り、日本への入学が早くなることを期待しながら、母国の大学を休学しています。本来ならあと数日で東京に到着することになっていて、ビザや航空券、そして隔離ホテル、入居予定のアパートに対してすでに支払いを済ませていました。すべてが数時間でご破算になり、返金も受けられません。さらに、日本に到着するまで文部科学省の奨学金を受け取ることはできないのです。」(ロシア在住、ロシア人)

 「認知症が悪化している母親と会えません。私はアメリカへ帰化したため日本の国籍はもうありません。短期ビザを用意しやっと日本へ出発という前日、何の予告もなく私のビザは停止されました。空港のカウンターで追い返された人々も沢山いました。混乱状態で、泣いて泣いて信じられないと叫ぶしかありませんでした。あまりにも酷い処置だと思います。日本はもう少し人道的に配慮のある国だと思っていました。」(アメリカ在住、元日本人)

 「ミャンマーの国費留学生です。日々軍事政権の存在に脅えながら、銃声が聞こえる街で、停電の合間を縫ってオンライン授業を受けています。日本で学ぶ機会を失うということが、人の命に関わる問題になりうることを想像できますか?」(ミャンマー在住、ミャンマー人)
 

 特異な水際対策で「鎖国」する日本

  わたしたちの訴えの核心は発給済み査証の効力停止の即時撤回と「特段の事情」の適用範囲の拡大」だった。とりわけ「特段の事情」については日本人および在日外国人の家族、同性婚配偶者、交際事実のある未婚カップルの再会を含めることを求めたが、これはOECD加盟国の入国制限に関する一般的基準を想定したものだった。2021年12月中旬の時点で、国際家族の入国を拒む国はOECD加盟国中、日本だけだった(筆者調べ。ワクチン接種の有無や自費によるホテル隔離等の条件を設ける国は存在した)。パンデミック初期において厳格な入国制限を敷いた国の多くが、国民による抗議や国際機関の勧告を受け、早々に制限を緩和していたからだ。

国連のグテーレス事務総長は2021年12月1日、特定地域からの渡航制限について「渡航のアパルトヘイト(人種隔離)であり、受け入れられない」と語り、世界保健機関(WHO)の緊急対応責任者マイク・ライアン氏は同日、ウイルスは感染者のパスポートを見ているわけではなく、自国民か外国人かで分ける対応には矛盾がある、と発言している(「日本の入国規制 国籍で分ける対応「矛盾がある」WHO責任者が指摘」2021年12月2日付、朝日新聞デジタル)。

諸外国との大きなズレに加え、政府が日本人の出入国を制限しなかったことも対外的な問題となった。日本人ならば留学やビジネスはもちろん、たとえ観光目的であっても、相手国側の制限がなければいつでも海外に出かけてゆき帰ってくることができた。このほかにスポーツ選手や有名DJをはじめ「国益」に見合うとされた外国人の入国が例外的に認められることも多々あったし、駐留米軍に至っては日米地位協定が原因で日本の検疫体制を遵守する義務さえ欠いていた。

岸田政権が誇る「G7でもっとも厳しい水際対策」とは要するに抜け穴だらけの防壁にすぎず、それでいて人々を国籍によって差別的に排除する異形の「鎖国政策」だったのである。

そして、この「水際対策」は「水際」という言葉そのものがもつイメージ――脅威はいつも海をこえてやってくる、というイメージ――と、そのイメージから醸し出される「海を越えてやってくる外国人は感染源である」という倒錯したナラティヴによって、国内世論の強固な支持を勝ち取るに至った。

そもそもなぜ、このような措置がとられることになったか。その背景については後ほど詳しく考察する。しかし意図や経緯にかかわらず、諸外国から日本の水際対策がいかに民族差別的、外国人嫌悪的(ゼノフォビック)に見えたか、想像するのはたやすい。

『フィナンシャル・タイムス』紙でレオ・ルイスは「Japan’s immigration experiment under cover of Covid(コロナを隠れ蓑にした日本の移民実験)」と題して、日本政府がコロナ禍に乗じていわゆる「ゼロ移民」政策の実験を行っているのではないか、と皮肉めいた書きぶりで批判した。

その仮説の真偽は定かでないにしても、水際対策の明確な根拠付けや効果の検証もせず、置き去りにされた人々に向けて血の通ったメッセージを発する気配もない日本政府に対して、多くの人々が疑心暗鬼に陥ったのは無理もないことではないだろうか。

誤解のないように補足するが、わたしたちの訴えは国が必要と定めた水際対策そのものを否定するものでは決してない。感染拡大防止のために必要な制限を維持したとしても、真に重要な理由により入国を求める人々に対して救済の道をひらいてほしいこと、そして「真に重要な理由」には諸外国の基準に照らして「家族の再会」が該当することはもちろん、留学や就労、未婚カップルの再会など、当事者の生に関わる理由が含まれるべきであること、さらには、日本が本当にSDGsを追求する先進国ならば、「家族」という概念に当然、同性婚配偶者が含まれるべきである、ということも、わたしたちの主張だった。

しかし、日本国内ではこうした運動に対する風当たりが相当に強いであろうことが予想された。そもそも法律家や政治学者でもないわたし自身が状況を正確に理解できているか怪しかったし、折しも讀売新聞が世論調査を行い、日本人の89%が岸田政権の水際対策強化を支持する、と報じたこともあって(「オミクロン株の水際対策「評価」89%、スピード感に肯定的受け止め…読売世論調査」讀売新聞)、どうしたら現状を正しく伝え、訴えを誤解なく受けとってもらえるか、正直なところ不安で一杯だった。

しかし、そのような不安はネット空間の奇跡的な出会いによって、払拭されることになった。

オンライン署名が稼働し始めた翌々日、Change.orgの山村珠理さんから連絡があった。社会的に重要な運動と考えるのでChange.orgとしても直接支援したい――その言葉がわたしたちにとってどれほど心強かったことか。

署名とともに政府に提出する抗議文は、東アジア国際関係史や日本政治外交史を研究する政治学者の澤井勇海さんに多くの助言と校閲をいただいた。当事者グループ主催の勉強会では、待機留学生を支援する「Education is not Tourism(教育は観光じゃない)」ダビデ・ロッシさんが現状を整理してくれ、海外に足止めされた留学生たちの生の声を届けてくれた。そして、入国制限によって引き裂かれた国際カップルのために抗議活動を行い、彼女/彼らの心理ケアを無償でつづけてきた医師のミューズ佳奈さん入国を拒否された三人の子どもたちのために署名活動を始めた日本文学研究者のメレク・オータバシさんを加えた5人が、運動の中心メンバーとなった。澤井さんとミューズさんはそれぞれ、台湾、アメリカのパートナーと入国制限による離散を経験する当事者でもあった。全員がTwitterで繋がったばかりだったが、まるでずっと以前から知っていたかのような不思議な親密さが漂っていた。そして、それぞれの佇まいからはっきりと見てとれる無私の精神に、熱いものが込みあげるのを禁じえなかった。

ソーシャル・メディアを介して勉強会の発表を書き起こしまとめてくれた人、英文を整えてくれた人、いち早く最新ニュースを共有してくれた人、匿名で内情を示唆してくれた政府関係者など――たくさんの人々が救いの手をさしのべてくれたことに、心から感謝したい。

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*記事見出しの写真は、2021年12月19日、成田空港にて筆者撮影

新井 卓(あらい たかし)
1978年、神奈川県生まれ。アーティスト・映画監督。ダゲレオタイプ(銀板写真)の技法で写真を撮る。2016年に第41回木村伊兵衛写真賞を、2018年に映像詩『オシラ鏡』で第72回サレルノ国際映画祭短編映画部門最高賞を受賞。写真集に『MONUMENTS』(PGI)など。
TAKASHI ARAT STUDIO(公式サイト)https://takashiarai.com/
twitterアカウント @TakashiArai_78

[参考]以下の動画は、藤原辰史さんが主宰するパンデミック研究会のトークプログラムに新井卓さんが招かれ、藤原さん・石井美保さんと、執筆中であった本稿の内容を踏まえて話されたものとなります。


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