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はじめに|岩波書店 チーム「なみのおと」より

岩波書店編集部の主に人文書を担当するメンバーからなるチームで、noteを始めます。

ドアを開け、玄関から一歩、外に出る。ひやりとした空気が頬に触れる。
マスクをつけずにいたことに気づき、部屋に引きかえす。
誰もがマスクをしている世界だなんてまるでナウシカみたいじゃないかと、この光景を驚きと不安で目にしていた自分は、かなり過去のものとなってしまった。
歯を磨くことがあたりまえのように、マスクをつけることは、もはや日常だ。

目に見えず、においもせず、触れることもできないが、わたしたちを脅かすもの。
そうしたものへの恐怖と緊張は、数年前にも経験している。
そのものは消え失せたわけではない。
封じ込めのための困難な作業はいまもつづき、難民であることを強いられている人たちがいる。そうでありながら、類を見ない酷悪な事故は、歴史の1ページに無理に綴じられようとしている気配が濃厚だ。

抑制とぶりかえしが波状に繰り返され、「かつてのように」戻れる日が求められながらも、多くの人たちは、「かつてとは違うこれから」を感じてもいる。

日本で一回目の緊急事態宣言が発せられ、海外でも多くの都市がロックダウンした2020年の4月。インドの北部では数十年ぶりにヒマラヤ山脈の眺望が得られたという。
新型コロナウイルス感染症の流行は、地球上の空気をつかのまクリアにしただけではなく、わたしたちが生きる世界の構造的な矛盾も露わにしたのではなかったか。

食べものや必要な品々を、つくり、売り、運ぶ人たち。
知恵と技術を生かし、心と身体を働かせ、だれかをケアする人たち。
そうした人たちの働きによって、わたしたちは互いに生かされているということ。
しかし、そうした人たちは、過小評価され、厳しい待遇に置かれているということ。

疫病に限らず、厄災は不均衡に影響をもたらす。
さまざまに弱い立場にある人たちが、大きな痛みや苦しみを被ることになる。
大切な人を失った人、あるいは仕事や家を失い暮らしが壊れてしまった人の痛苦は、時が経ったからといって、もとに戻るというものではない。
終わりのない災禍の時間を生きる人たちがいる。

パンデミックの渦中にあっても、自由や尊厳を求める闘いが世界中で繰り広げられている。
香港。ベラルーシ。タイ。アメリカ。
かれらが立ち上がった理由は、パンデミックが可視化した世界の矛盾と地続きだ。

可視化……。見るのは誰なのか。見られるのは誰なのか。
書くことや伝えることにある、傲慢さを警戒したい。
立ち上がった人びとにとっては、それは、いまさら見えるようになったことではなく、自分たちが生きてきた現実なのだから。

まだ定かではない未来を、よいものに変えうることを信じ、いまこの時代に、言葉になにができるかを考えながら、誰かの書く言葉を誰かに届ける仕事を見つめなおしたい。

わたしたちは岩波書店という出版社にあって、本の力を信じ、本をつくり届けることに努めていますが、同じ時間をわかちあう人たちと、いち早く言葉をわかちあうことを、よりいっそう意識し、このnote、「コロナの時代の想像力」を始めます。
運営するメンバーによるチームを、「なみのおと」と名づけました。「なみのおと」は、「波の音」であり、「波ノート」でもあります。
岩波書店の社名は、創業者である岩波茂雄の姓を掲げたものですが、「岩」と「波」という対照的な2文字から成ることについて、チームメンバーの一人が、プーシキンを連想したと、『オネーギン』の一節を読み上げてくれました。(以下、そのメンバーによる訳です。)

  二人は仲良くなった。波と岩
  詩と散文、氷と炎
  それらも二人ほど違わない。
  初めは互いの違いから
  ともに相手が退屈だった。
  だがやがて好きになり
  毎日ともに馬に乗り
  じきに分かちがたくなった。

互いに違っていながらも、分かちがたくなったオネーギンとレンスキー。
波と岩、対照的なこの二つもまた、通いあうもの。
その波の音に耳を傾け、波の音を届け、波のことを想像する橋渡しとなる役割を、わたしたち「なみのおと」は担いたいと思います。

想像すること。
自分とは異なる人の思いや考えを。
苦楽に満ちた過去を。つくるべき未来を。こうではない世界を。
いまは亡き人を。ここにはいない誰かを。これから生まれる人を。
簡単な答えなどない、さまざまな矛盾や複雑さに満ちた、このパンデミックの時代に、杖ともなる言葉をお届けできるよう、一同、励みます。
 
不定期の更新となります。
よろしくお願いいたします。

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