地方に住み始めて「わかりやすい説明」を知った。
こんにちは、地方に住み始めて8ヶ月目、今日は終日雨が降り、風が10〜12mで吹きまくってます。
和歌山に来て長いようであっという間なこの期間に学んだことは多々ありますが、その中でも特に印象に残っていることがいくつかあります。
まずは、本当にあった話をもとにしたちょっとした小噺をします。
とある日のおばちゃんとのやりとり
今、居候しているゲストハウスはバー併設で、夜になると地元の老人の方が飲みに来てくれるのですが、地元のおばちゃんに「インスタライブ」について話すことがありました。
最近スマホに変えたばかりのおばちゃんにとって、インスタグラム自体難しいなと思い丁寧に説明しました。
「画像を共有するアプリでインスタグラムというアプリがあって、それの機能の一つにその時にライブ配信?今起こっていることをそのまま発信する機能があるんです。知り合いが見ることができてコメントとかで会話することもできるんです。」
僕の説明が半分も終わらないうちにおばちゃんは苦虫を潰したような顔をして僕に言い放ちました。
「多分、わかりやすく説明してくれてるのかもしれないけど、わからないもんはわからないんだよね。」
さて、どうしたことかと思い、今度はこういう風に説明してみました。
「テレビの生中継が誰でもスマホだけでできるようになった感じです。」
そしたら、おばちゃんは納得して、
「そういうことかいな、やっとわかったわ」
と言って笑っていました。
ついついしがちな「わからないもの」の説明
人に何かを説明するときに、つい言葉数を多くして、できるだけ丁寧に、誤解がないようにすること。一見悪くないことのように思われますが、問題点があります。
僕の2つ目の説明は、インスタライブの機能の説明にしてはかなりざっくりで偏りがすごいです。
しかし、インスタライブの機能を正確にわかりやすくおばちゃんに伝える必要がどこにあるのでしょうか。
むしろ、そのおばちゃんにもわかる話の範囲で伝えられることを伝えたほうが、おばちゃんにとっては「わかりやすい説明」なわけです。
世間ではコロナウイルスの話題が持ちきりです。PCR検査の精度は高いのか低いのかという話題になったときに、
「DNA断片という壊れやすいものを使って検査しているし、検体の取り方が悪かったりやウイルスがその段階では少ないこともあるから100%正確とは言えない」と説明するのか、
「(上で言ってることを踏まえて)とりあえず信頼していいらしいですよ」
と説明するのか。
間違った情報を言ってはいけない
でも、正しい情報をたくさん伝えればいいわけではない。
先ほどの小噺のモデルになったおばちゃんから言われた言葉ですが、
「多分、イワナギくんは素人でもわかりやすく説明してくれてるんやとは思うし、その知識は素晴らしいと思ってるんよ。ただ、私たちにはわからない。なぜなら、今説明していることは私たちにとって『わからない』ことだから。」
おばちゃんは別に理解しようとすることをやめてるわけではありません。僕が説明しようとしていたのは、そもそも「おばちゃんがわからないものの世界」の話だったのです。
僕自身も誰かから、どんなに頑張ったとしても、今すぐに習ったこともない何もわからない言葉で話しかけられたとしたら、「わからない」のと同じように。
だから、「わからない」ものを「わかる」ものに翻訳する必要があるのです。
わからないことをわかりやすく言っても結局わからない
わからないことをわかりやすく言ってもわからない。
わからないことをわかることに言い換えて説明する、わかるようなことだけ説明する力。
それが田舎で生きて行く上で僕に強く求められています。
そしてその力は、田舎じゃなくてもどんな場面でも求められる能力なんだろうと確信しています。
もし琴線に触れることがあれば。最低金額以上は入れないでください。多くの人に読んでもらえれば嬉しいです