地域はおこりも創生もしない、だが情熱はある。
ふと深夜にTwitterでかるーい気持ちで書いた言葉が意外と多くの人に届いていて、少しびっくりしたような、よくわからんような。
この発言について、140字だと字足らずだったので、ここで補足したいと思います。
自己紹介的な導入
地域おこし、地方創生と言われて久しいこの日本社会。ことあるごとに東京一極集中の是非を問われながら、なんやかんかで地方の衰退は止まることなく進んでいます。
そんな中で、自分は和歌山県美浜町三尾に移住して、地方創生・地域おこし的なことをちょこちょこやっています。
地元のおじいちゃんおばあちゃんの語りをもとに資料を編纂したり、
休耕田で子供達と遊んだり、
地域でラーメン屋を立ち上げるお手伝い、
高校生のみんなが地域でイベントをやる時のサポート、
(3月24日にイベントやるんでぜひ申し込んでください笑)
そして古民家リノベーション、
様々な形で2つのワードに関わる内容を今まで携わってきました。
でも、常々、この2つの言葉には違和感を感じていました。
「地方創生」「地域おこし」という言葉への違和感
他の言葉で言うと幸せ、雇用の創出とか、抽象であれ具体であれ、なんとなく情景がイメージできる言葉はたくさんあります。
一方、田んぼで子供達が遊んでる姿、古民家をリノベーションしてる瞬間を見ても、
「地方創生してるなー」とか
「地域おこししてるなー」と
言葉のイメージが湧いてこないなと感じていました。
そして、この二つの言葉にはゴールが分かりにくいという特徴もあります。
少子化なら、出生率の改善
インフラ整備なら、公共工事の進捗率など
目指すべきゴールが分かりやすく設定されています。
一方で、この二つの言葉にはゴールがあるのでしょうか?
雇用の創出、転出の抑止と転入の増加、出生率の向上などの目標が掲げられていますが、「地域が創成する/地域がおこる」という言葉が何を意味するのかについては触れられていません。
地域の衰退と地域おこし・地方創生
そんなある日、こんなことを言っている地元の方と出会いました
「うちの地域は盛り上がらなくていい、穏やかに暮らしながら、静かに衰退していったらいい。」
この言葉を読者の皆様はどう読み取りますか?
僕は、あまりネガティブにこの言葉を受け取りませんでした。
「そりゃそうよな」という気持ちでした笑
地域で穏やかに日々生活できている中で、わざわざ外から観光客を呼んできたり、新しい飲食店を作ったりすることは目障りなことにも受け取られうることです。
その気持ちは確かにわかるなーとか思いながら、
僕はこんなことを考えていました。
「その穏やかな暮らしって、今のままで成り立つのかな?」
僕が住んでいる和歌山県美浜町三尾地区は人口500人弱の集落ですが、毎年30人づつ人口が減ってきています。毎年人口の5%が減っていっています。60代が100人、70代が140人、80代が70人で90代以上も含めて全部を足し合わせると全体の約70%が60代以上の方が占めています。これから急激に人が減少し、地域のあらゆる活動が麻痺してくることは目に見えています。
最近、警察の派出所が実質無人化しました。
草刈りをしてくれていた方が体を壊してから草が覆い被さり通れない道も出てきました。
地域の草刈りや、道の整備、困ったときの助け合い、消防団、言い出せばキリがない地域での「穏やかな暮らし」に必要なインフラたちが、静かに崩れる姿をこの4年間、目にしてきました。
地方創生・地域おこしアレルギー
一方で、「地方創生」「地域おこし」という言葉で胡散臭い人たちがいっちょ噛みしようとワラワラとやってきたり、結果として地域に大きな迷惑をかけてしまう「ありがた迷惑」な状況もたくさん目にしてきました。
せっかく地域にワクワクが広がりそうな取組を誰かがしていても、地元に住む人たちに広がる「地方創生・地域おこしアレルギー」は状況をややこしくしてしまいます。
「観光や移住対策の前に、今いる住民を大切にしたい」
「地域おこしをしても地元の住民には還元されない」
「うちは地方創生は重視していないからやらない」
こんな感じの食い違いが起こってしまっているのはその言葉が持つ固定化したイメージが悪さをしているように僕は感じます。
創生もおこりもしない、でも可能性しかない。
今まさに、「穏やかな暮らし」が知らず知らずのうちに消えつつある中で、「地域おこし」と巷で呼ばれているようなことごとは、衰退の大きなうねりに立ち向かうにはあまりにも小さな波かもしれません。地域は創生もおこりもしないかもしれません。
でもそもそも、創生もおこりもする必要がないかもしれません。
むしろ大事なことは、
地域をなんとか盛り上げたいと思っている人も
地域でのんびり穏やかに暮らしたい人も
先祖代々住んできた人も
何処かから移住してきた人も
生まれたばかりの子供たちも
老いゆく老人たちも
いろんな「地域にいる人たち」が、今年も、来年も、10年後も、できれば100年後も楽しく生活できることを目指せばいいんじゃないかなと思っています。
だからこそ、地域で一人一人がワクワクすることをやってみることが、雇用が一切ない場所に働く場所ができたり、失われつつあった地域の文化を大切にしたり、衰退のうねりの中のかすかな光を大切に包み込むことができるのではないか?
衰退は止まらないかもしれないけど、急激に消えゆく地域の暮らしを少しでも支える「緩和ケア」になるのではないか?
そんなことを思って、日々ワクワクすることをひたすら続けています。
自分がやっていることは地方創生・地域おこしではなく、ただ今いるところで、ワクワクすることをやっているだけなんです。
最後に
てことで改めて。
地方創生とか、地域おこしとかもういいっす
地域はおこりも創生もしないです
だからこそ、全力で地域でワクワクすることをひたすら紡ぐわけです
「何もしなければ、穏やかに衰退していける」と思ったら大間違いで、
いかに地域が元気に衰退できるか、地域の緩和ケアみたいな概念を打ち出したい
もし琴線に触れることがあれば。最低金額以上は入れないでください。多くの人に読んでもらえれば嬉しいです