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BUMP OF CHICKENの『カルマ』の歌詞の意味の考察。

「カルマ」とは、業・業報・応報・行為・造作・所作・宿命
のことを意味する。 by wiki


♪『ガラス玉ひとつ 落とされた
追いかけてもうひとつ落っこちた
ひとつ分の陽だまりに ひとつだけ残ってる』

この歌の歌詞って、
めっちゃ深いよね

というか、
作者は、何を思ってこの歌詞をかいたんや、、、
そして今、何を思うんや。。と思うくらい。

そんなカルマについて
思うところを書いてみたい。

歌を聴きながらでも、
読んでみてください

ガラス玉のひとつとしての
透明なワタシから、ジブンになった
"あなた"として。


赤ちゃんのとき
自分たちが自己を確立するまえ
あるいは、その前

ぼくらは、
(この世界で言う自己は)あいまいで、
よくわからない。

しかし、何の因果か、
ひとつの場所として、
じぶんの場所(自我)を確立して、
それ以外と区別する(いまのじぶんと他人)

ばしょを取った自分の場所をジブンとして、
とらなかったものを他人として、
おたがいにそれを見せ合いながら過ごす。


でも、なんの因果か
この世界で場所をとる前の自分は
赤ん坊として

種も、国も、性別も、
他人と自分を区別するための思考や思想も、
なんにもないみたい

なんの場所を取って
なんの場所を取らなかったのか?


私たちは、バラバラに過ごし、
色々な考えをして、
それぞれの道を進むけれど

ことの始まりは、
この透明なガラス玉が落っこちて
ジブンの場所をとり、ワタシとして

そして、光を浴びて
ジブンとして生きている

もうひとつ落ちたガラス玉と
ジブンは違うって思って、
あるいは違う部分に成長しながら
ジブンの場所を強くしていく


そのガラス玉は、
落ちる前はどうだったのだろう?

追いかけてもう一つ(他人、あるいは縁ある魂が)
落っこちてきたけれど。。


この歌は、
ことの始まりを書いていると思う。

最後に、
十字架を建てる時に約束は果たされる
ってあるけれど、

これは、キリストに象徴される
伝統的な覚醒を書いてあると思う。

"ぼくらは、ひとつになる"

って締めくくられているように、
ガラス玉の落っこちた一つとして生きて、
他人とは違う多様性を獲得し、
人生を生きてきたけれど

生まれた意味を知る
ひとつになる ってことなのかも。




世には知られていないし、
世界に溢れる記事たちは、

基本的に
"陽のあたる場所をとったジブン"という観点から
書いてあって

"ここの話"は、知られてない

なんで、そんなこと言うの?ってなるだろうけど、
宗教とか精神的な話とか一切興味のないジブンが
この歌詞みたいなことが身に起きたからだ。

(みたいってだけで、このままじゃないからね!)

そんなものの存在さえ
知られない世界からすれば、
聞いても意味のない話だし、

ただのおとぎ話だし、

頭のおかしい人で
ねーあの人現実から乖離してない??笑
大丈夫ー?ってなる話だ

しかし、誰も知らないからこそ
なんなんこれ??っとなったのだった

だれかの受け売りでも、
本の知識でもなく
直接の経験として。

だから、
構造的な話となると、
この歌詞にあるように
『ふむふむなるほどねー!』ってなるけど

声を小にして、
『このままじゃないんやけど、
似たような感じやけど
ほ、ほんとうにあるんやで。。
やで。。。』

って言いたい(笑)


ぼくは、誰もいない朝の会社で、
それが起きたんだけども

あの瞬間、
ぜんぶの場所に同時にいて
"互いに"というヒトの立場も越えて

あらゆる場所の
ひとつになったと言えばいいのか
その眼としてあらゆる場所にいたかのようだった

それは、
区別をつける自己としての性質としてのジブンから
びゅー--んと飛び出して、

その前の、あなたがあなたになる前の
場所を、うー-んとさかのぼった先にある

統合されたあらゆる生命非生命、空間、時間、場所
また、それにあらざるものの視点として
あらゆる遍在の場所にいたかのようだった

そこまでいくと
あれだから、

ヒトに限って考えると
このカルマの歌詞みたいな
出会いと別れの中で
ジブンとジブン以外のものを知ることで

あらためて、
ジブンの多様性に
気づく旅になっているのかもしれない。

そして、
いつか、
なぜか
なにか約束が果たされたとき


ぼくらは、ひとつになる意味を知り、
もともと、ひとつだった意味を知り、

ひとつを知らない
ガラス玉の落ちた一つとして
生きてきたジブンというものから

思い出すのかもしれない。


アダムとイブの本当のストーリーが
ガラス玉と、追いかけておっこちたガラス玉
だとするならば、

楽園では、アダムとイブは
ひとつの場所にいるのだろう

互いのカルマを写すために
お互いを見せ合った二人は
何を知るのだろう。
 

新しい人生を
どう生きるのだろう。



というか、バンプの藤原さんは、
何を思いこの歌詞を書いたのだろう

しかも、大分、若い時に、
これ作ってるし。。ね

アニメのOPでもあるらしいので、
そこが由来かもだけど

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