大阪で癒されたい時はここへ。自分に気づき、心から癒されることで頑張れる
僕が社長になった理由-秋庭宏是さん
秋庭さんにお会いしたのは、私が禅に興味を持ちだしたころ。「おもしろい経歴で、ものすごいリラックスできる人がいる」という謎が深まる紹介のされ方でした。実際にお会いして謎が解けました。すべてを受け入れるような器の大きさを感じ、何も求めないスタンスでそこにいる。それだけでこちらの気持ちが落ち着いてくる人。仕事も謎すぎる展開の仕方で、不思議すぎるそのオーラや魅力を解明したいと思います!
2019年夏、”いわみんプロジェクト”として、社長や起業家、独立して活動している方を対象に100人インタビューを実施しました。彼らがどんな想いで起業し、会社を経営しているのか? その中での葛藤や喜び、そして未来に向けて。熱い想いをたくさんの人に伝えたいと思っています。
秋庭 宏是(あきば ひろし)さん
株式会社SEA.SON 代表取締役社長
1962 年 沢庵和尚の血筋を持つ秋庭家の次男として大阪にて誕生。高校を全寮制である麗澤高校へ入学。 京都の大学を経て、4 年間家業の製造業を手伝う。
1989 年 東京銀座の歌舞伎座東新館のプランニングに参加。
同館 禅ギャラリー「洗心」の支配人となり後に、同館総支配人となる。
1993年11月 『 気づきの絵てがみ教室』を新大阪のマンションの一室にてスタートさせる。
1997年3月 『 natural kitchen めだか1 号店』を梅田太融寺付近にOPEN。
2000年4月 滋賀県の鯖街道ぞいの大自然の中、リトリートスペース『 風の谷』にて、ナチュラル料理教室、アロマ教室、ハーブ教室、絵てがみ教室などを合宿形式で行う。
2003年3月 古民家を改装し、レストランギャラリーオープン(05年1月まで)。
2005年6月 上質岩盤浴『ちいさな木』OPEN。
2006年2月 『natural kitchen めだか2 号店』。
2007年8月 株式会社SEA.SONを設立。
2009年4月 めだか1号店をケータリング形式に変更。宅配弁当、店頭弁当の販売。
2010年4月 大阪の守口市の禅寺『南詢寺』の新築改装のトータルコーディネート。
2010年11月 『season フリールーム’8’』とボディセラピーの部屋をOPEN。
2011年1月 『動物職人のなみだ』 が発刊。
2012年11月 郷土料理を出す居酒屋『瓦そば すずめ』をOPEN。
2014 年 アイリッシュハープの広げるべく新ルームをOPEN。
2015年 キモチを音楽で伝えよう、MUSIC LETTERをスタート。
現在、直営店の運営の他、飲食店・旅館などの空間プロデュースやコーディネート、コンサルティングも行う。
二女の父
やりたいことを楽しみながら
生きていくことはできるのか?
それが私の人生のテーマでした
中学生のころから兄の持っていたギターを使って音楽を作るのが好きでした。高校に入ってからは音楽活動に明け暮れましたね。実家が製造業を営んでいたので、父親からは家業を継ぐように言われていましたが、私は次男というのもあって「自分の本当に打ち込むことを見つけられなかったら家業を継ぐ」という条件をもらい、大学時代は好きな音楽活動やウインドサーフィンをひたすらやっていました。
ところが一生懸命にやっていると、大好きな趣味に対して義務感というか、仕事をやっているような感覚になってしまい、いつの間にかやりたいことでなくなってきちゃったんです。それで約束通り、卒業後はいったん家の仕事を手伝いました。
私にとっては、「やりたいことをやり、楽しみながら人は生きていくことはできるのか?」というのが人生の大きなテーマだったので、なぜやりたいことは、やりたいことでなくなってしまったのか?そんなことをよく考えるきっかけをもらったような気がしています。
26歳のころ、ある社長さんから声をかけていただき、歌舞伎座東新館プランニングに参加し、東京へ出向くようになりました。そして、そのまま、同館にある禅ギャラリーで仕事をさせてもらうことになり、直感で、その仕事をやってみたい、やってみると決めると、父親からは「好きにしろ」と勘当されてしまい、このことは私の人生にとって大変大きな転機になってゆきました。
▲家系は沢庵和尚の血筋なのだそう。禅のお坊さんでもある「沢庵和尚の言葉に共感を覚える」と言います。
東京は銀座、歌舞伎座の真横で禅の書画などが飾られ、僕はそれについて説明をしなくてはなりません。本を読んだりお坊さんから聞いたお話をもとに説明するのですが、ある経営者の方から「きみは禅の本質がわかっていない」といわれて愕然としました。しかし、その経営者の方からは非常によくしてもらって、経営者が集まる会合にも勉強のために連れていっていただくようになり、そこから新しい人脈が広がってたくさんの名立たる経営者の方とも知り合いかわいがっていただくようになりました。
バブルが崩壊して生き残る経営者と消える経営者。
生き残った経営者に共通していた“禅的な考え”
バブルの全盛期。 20代後半を華やかな成功者に囲まれ夜な夜な銀座界隈をはしごする日々の中 、 「自分はどんな大人になりたいんだろう?」と素朴に考えるようになりました。
まもなくしてバブルがはじけ、そのときに「生き残った経営者」と「消えていく経営者」を私は間近で見させていただきました。そして残った経営者の方たちに通じるものが、禅的な考えにも合致しているということでした。彼らの話はそれこそお坊さんたちが語る内容よりも非常に実践的かつ実務に即しており、さらには非常に身近で体験的であったので、私は経営視点から禅の世界に深い興味を持つようになっていったのです。
当時の成功者と呼ばれる人の多くはお金もあり毎日楽しそうだけど、どこか真の安らぎに欠け、本当の幸せを得ているように、私には見えなかったのです。そんな中、尊敬する経営者の方たちから言われて、自分の中で大きくなっていったのは…
「“本物の心の平安 幸福感”といったものを得るためには、いったいどうしたらいいのか? 」という問いでした。
自分を見つめる中で、気づいたことがいくつかありました。最初の気づきはマネージャーの立場で部下への対応を考えているときです。ふと、「自分が部下の視点だったら。。。」ということで自分のことをみた時、「今の私のような上司は嫌だなあ」って気づいたんです。僕は、いい上司になろうなろうと本を読み漁っていたのですが、本当に部下のことを大切にすること、向き合うことをしていなかったことに気づかされ、そんなことが 自分を客観視するというコツを少しつかみかけた瞬間でした。
禅ギャラリーで働きながらも、本当の意味での禅を理解していなかったという秋庭さん。自分自身に何度も何度も問い直すことで、本来の自分に気づくようになったと言います。その後、自分自身を取り戻すことで初めて、自分がやるべきことが見えてきた。そして、本当にやりたいことを見つけた秋庭さんが始めた事業は、あまりに他業種。理由はいったい。。。
自分を見つめ直して気づいた
親への愛情と自己承認欲求。
そこから見つけた本当に自分がやりたい癒しの世界
そんな経験もあり、「自分の心の痛みはどこからきているのだろう?」「いつから父親への反発をしてきたのだろう?」「兄に対してはどうだろう?」自分は、「本当はなにがやりたいんだろう?」と、自分を少しずつ客観視するようになりました。すると、私の父への反発は、父への愛しさからきていることに気づかされたのです。
私は父に認められたかったんです。兄とは違うところで認めてほしかった。だから音楽や芸術といった兄がやらなかったことをやって認められようとがんばった。好きでやっていたつもりだったすべては、じつは父に(誰かに)認めてもらうためにやっていたんです。だからどんなにやっても、認めれているときは楽しくても、認められなくなると嫌になった。やりたいという気持ちよりも本当に欲しかったのは、誰かからの承認だったと気づかされたのです。私の心は自己承認を渇望していた。その無意識の欲求が私の行動や考え方までをも支配していたんです。だからそれが満たされないとストレスが襲い、その影響でお酒や大きく見せて見栄を張ることが必要だったんです。
そのことに本当に気づいた時、私は何をやるにしても、自身の心の痛みを癒すことが先決だと考えメンタルの癒しマニアになりました。
30年も前にアロマやハーブなどあらゆるヒーリンググッズを買い集め、食事を変え、水を変え、そんなナチュラルな生活に身を置くうちに、自然とたばこが止み、アルコールも止み、日々の生活がどんどん快適になってゆきました。
そしてバブルの崩壊とともに禅ギャラリーも閉館となり、私は関西に戻ることになります。
そして京都での仕事を2年ほどやっていくうちに、本当の幸せは心の正常化(癒し)と客観的視座を持って生きる(瞑想的な生き方)の中にあると気づかされました。そして「私も誰かの傷ついた心を癒すようなことを仕事にしてゆきたい」と強く思うようになり、会社を辞めることを決意しました。
心やカラダが癒されるもの
それが僕のビジネスのキーワード
最初は独立した友だちの小さい事務所を間借りしてのスタート。私は自分の高くなったプライドを捨て去るために、あいだみつをさんのカレンダーを売る営業として、会社、お店に関わらず、飛び込み営業をさせてもらいました。そんな日々は、お金は稼げなかったけれど私にとって必要な過程だったのだと思います。
私は、禅ギャラリー時代、来館してくださったお客さまに、直筆でお礼のはがきを送る風習があり私はよく絵てがみを出していました。そこで、友人に絵てがみの描き方を伝えたところ、「コレはいろいろな気づきがあって、やりたいことに通じるものがあるんじゃないか!?」というアドバイスをもらい、「自身の心に気づく絵てがみの教室」を始めました。
早速ちらしを作って近隣オフィスにまいたところ、アドラー心理学のセラピストたちに興味を持っていただき、そのセラピストたち全員に受講していただき、その後その方たちによっていろいろな方を紹介していただき、あっという間に教室も生徒さんも増えていったのです。
そんなあるとき、大阪の「絵てがみ教室」として借りていたレストランが、閉店することになり、この場所を引き続き借りてくれないか? という話をいただきました。飲食店なんて無理だと思ったのですが、もしやるなら体の内側から癒されるような健康的な食事を提供したいと思いました。が、料理はつくれません。料理人をどうしようと悩んでいたところ、絵てがみ教室の生徒さんから「私たちが手伝います」と声をかけていただき、一緒に運営してゆくことになりました。
まだオーガニック専門店がわずかしかなく、しかも高価で、入りにくい時代でした。私はサラリーマンがランチでヘルシーなものが毎日食べられるようにと、850円で提供できるオーガニック系レストランを目指しますが、有機野菜などは高くてコストが合いません。そこで、新鮮な旬の野菜と玄米とを組み合わせた、有機野菜にこだわらない健康ランチに転換。新しいスタイルのナチュラルレストランが生まれました。
私のいくつかの事業はみんなこんな感じです。何かしらのキッカケがあって、だったら「心とカラダを癒すもの」というテーマに合うものを広げてきたら、今のようなカタチになりました。ある人からみたらバラバラなものですが、ある人が見たら大変理にかなったものになっていると思います。
私は今、自分のやりたいことだけを仕事にしています。自分のやりたいこは人間の心とカラダが癒えること、そして今後も自分を客観視することや心
を癒すことから自然とたどりつく、今を生きるのコツを、体感として感じとってもらえるきっかけになるような場を作っていきたいと思います。。
秋庭さんの事業ビジョンは「この世の中は私と同じように傷ついた人だらけ。。。しかし人は自分が傷ついていることに気づき、認めることは大変難しく勇気のいることです、しかしそこに気づき癒える事の大切さ、またそのキッカケをつくりたい」という想いそのものです。その気づきと癒しにつながるものであれば、なんでもかまわないのだと言います。おいしい玄米食にハープの音色、絵てがみ教室に岩盤浴、瞑想まで。確かにどれも心とカラダの栄養になるものばかり。疲れたら大阪へ! そんな気持ちになれました。
下町の2D&3D編集者。メディアと場作りのプロデューサーとして活動。ワークショップデザイナー&ファシリテーター。世界中の笑顔を増やして、ダイバーシティの実現を目指します!