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祖父の代からの会社を継承ー親子の確執と事業の変革に悩んだ日々

僕が社長になった理由-森松長照さん
森松さんを形容するなら、繊細で優しすぎる経営者。とはいえ、ただのいい人ではなく、ビジネスセンスが抜群にいい。多額の負債を抱えた会社を引き継ぎ、完済するために行った大きなチャレンジが成功を収めますが、それは単なる賭けではなく、しっかりと計算されたマーケティング手法によるものでした。会社がひと段落した今、新たに目指すものが見つかったという森松さん。そのお話も聞かせてくれました。

2019年夏、”いわみんプロジェクト”として、社長や起業家、独立して活動している方を対象に100人インタビューを実施しました。彼らがどんな想いで起業し、会社を経営しているのか? その中での葛藤や喜び、そして未来に向けて。熱い想いをたくさんの人に伝えたいと思っています。

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森松 長照(もりまつ ながてる)さん

森松産業株式会社 代表取締役社長
大学卒業後にエレクトロニクス系企業に就職
26歳の時に亡くなった父に代わって家業である森松産業株式会社を継承
継承時の負債を完済し終えたのが継承から15年後
数年前から始めたコーチングこそ自分の人生のミッションだと感じ、
本業の傍らプロのライフコーチとしての一歩をスタートさせた。

祖父が創った会社の3代目として継承。
最初、経営者という選択は
おとなしい自分にはなかった

 僕はいわゆる3代目社長です。祖父も父もとにかくバイタリティ溢れる人でした。どちらかというとおとなしい性格の僕とは真逆で、父は外の会社で若くして所長にまでなった人です。長男だった父は、35歳の時に祖父の家業を継ぎ2代目として経営をスタートさせました。人との接し方も上手で社交性があり、多くの人を巻き込みながら事業を拡げていけるようなタイプの人でした。
 そんな父を見ていたこともあり、僕は三男だし絶対に家を継ぐまいという思い、大学を卒業するとさっさと家を出てエレクトロニクス企業の営業マンとして働きだしました。当時のエレクトロニクス業界で見ていた最先端の技術革新は、時代の3年くらい先の世界を知ることができ、営業では億単位の金額が動くほどの大きなプロジェクトを担当していました。ホントに毎日ヘトヘトでしたがとにかく刺激があって楽しく、土日の深夜まで働いていても全く苦にならなかったほどです。
 僕の営業スタイルは決まったお客さまと深く誠実に付き合うことで多額の契約をしてもらう仕事だったため、新規の売り込み営業をする必要はほとんどありませんでした。また、仕事自体もチームではなく、個人戦で自由に動いて数字を作るカタチだったので、広く浅い人づきあいが苦手な僕の性格にも合っていたんだと思います。

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 父が体調を崩したのは、僕がこのようにガツガツ働いていたころです。僕は相変わらず忙しく、その知らせを聞いてもどこか他人ごとのような感覚でいました。病床の父を見舞うために実家に帰ることもなく、2000年に父の容態が急変し亡くなったことも、仕事中に知らされました。
 急遽兄が引き継ぐことになった父の会社は当時大きな負債を抱えていました。エレクトロニクス分野では素人の兄が、なんとか回復を図ったものの2年たっても一向に負債が減ることはなく、非常に苦戦していました。父の死に対して、ほとんど顧みなかった自分を責めていた僕は同じエレクトロニクスの業界ということもあり、この時思い切って会社を引き継ぐ決断をしました。
 肩書きとしては、社長になったとはいえ、前の会社で年間数十億のお金を扱っていたのに、継いだ家業はたった数億の負債で先行きも見えない状態です。同じエレクトロニクス業界なのに、仕事の規模も天と地ほどの差があり、かなりカルチャーショックを受けました。さらに今さら何をやってもこのままでは立ち行かないという状況の中、毎日絶望するしかないという苦痛の日々を送っていました。

当時、森松さんは新婚で息子さんが生まれたばかりのタイミングだったそう。「妻には負債のある会社だとは話していません」会社がどうなるかわからないなんて、とても言い出すことはできなかったのだそう。ここから、森松さんの反撃が始まります。とにかく片っ端から営業を仕掛け、さらにビジネスやマーケティング戦略について学ぶことで、現状の打開策を模索し続けました。

肩書きは社長になったものの、
実際は負債を抱え、絶望的な日々でした

 ただ、以前の会社で扱っていた数十億円の金額を考えると、月に数百万くらいならすぐに稼げるんじゃないか? という根拠のない自信が湧いてきたことが、最悪の事態の中でも唯一救いでした。まずは気持ちを切り替え、片っ端から営業に回ることから始めました。この苦しみは父の死に向き合わなかった自分への罰なんだ、という懺悔の気持ちもありました。毎日ヘトヘトになりながら、そんなことを7年くらい続けていると、徐々に景気の回復に伴い業績も回復してきました。

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▲電機メーカー向けに行っていた品質向上のためのセミナー。60の枠が3日で埋まるほど人気。


 とはいえ、体力勝負もいつまでも続けられない、と社長業についてさらに勉強を深め、企業規模によって社長のやるべき仕事が違うということに気付き始めました。うちのような小さな規模の会社の場合、社長の仕事はマーケティング戦略と仕組みづくりにあることを確信しました。そこからあらゆるマーケティングの本を読み漁り、行き着いたのがECサイトを自分で作るということでした。
 まだどこの会社も自社ホームページしかないような時代において、ドットコムサイトと呼ばれるオンラインで主力商品やコンセプトに特化した、お客さま目線で商品を紹介するサイトです。当時では珍しく、どうなるかわからない状況でした。サイト制作は会社にとってはとてつもなく大きな投資で、これがこけたらアウト! というような社運をかけた挑戦でした。でも、学べば学ぶほど「やらずにはいられない」という心の声に逆らえなくなり、「今やらなくてどうする?」という気持ちでした。

 スタートしてから少しずつ検索で見込客が集まるようになり、営業に行かなくてもネットから注文が入るようになりました。マーケティングやコピーラーティングを勉強しながら、効果がありそうなアイデアをどんどん取り入れて、オフラインで研究会を立ち上げたりセミナーを企画したりしながら徐々にブランディングを強化し、業績を伸ばしていきました。サイトから24時間体制で注文が入り続けるということは、今までのようにがむしゃらな体力勝負の営業をしなくてもよいということです。今思うと営業は好きだけど、売り込みするのが嫌いという僕らしい戦略ですよね。
 ドットコムサイト戦略が当たった後、さらに同じターゲット向けに複数のドットコムサイトを立ち上げ、お客さまが求めているものをクロスマーケティング的に提案する手法を試し始めました。こうして少ない人員で大きな業績を上げる仕組みを構築したのです。まさにITの恩恵ですね。

負債が完済し会社が落ち着いたところで、森松さんは新しい道を目指すことになります。ビジネスを拡大する方向ではなく、まったく違う道です。でも、それは本当に自分が求めていたことから見つけたことだったのだそうです。

負債を完済して、やっと見つけた
本当に自分がやりたかったコーチングという仕事

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 ようやく負債を完済できたのはそれからさらに8年くらいたったころです。当時、会社は順調でしたが、自分は社長として身を粉にしてがんばっているのに、どうして社員が幸せそうにならないのかとイライラしていました。「みんなに恩返しがしたいのに、どうしたら幸せになってくれるのか?」とチームビルディングについて勉強したいと思い、そのころから心理学やコミュニケーション系の学校でいろいろと学びを深めました。
 ある講義の中で、突然頭をハンマーで殴られるようなショックを受けました。先生から「あなたのように自分をないがしろにして自己犠牲している人は、周りのみんなを幸せにすることはできない」とズバッと言われたのです。個別で先生に聞きに行くと「人のために自分を殺して生きるのはやめなさい」というようなこと言われ、「なぜ人のために頑張っている事がいけない事なのか?」と僕がよく理解できずにいると、ただ一言「もがきなさい」と、そして真剣な眼差しで「自分を大切にすることだけをやりなさい」とおっしゃっていただきました。

 その後、1週間ほどは混乱して何も手につかない状態でした。藁をもすがる思いで「自分を大切にする」というキーワードで検索してみたり、片っ端から意味を調べたりしました。そこで感じたことを言語化し、自分を大切にするために自分がうれしいと感じることを毎日実行する生き方を始めることにしました。
 毎日満たされる感情を書き綴っていくと、ほどなくしてそこで体験したのは心の底から湧き上がる“感謝”の気持ちでした。今自分がこうしていられることが、どれほどありがたいことなのか、社員や周りの人への感謝がとめどなく溢れてきて、毎日泣いていました。そのことを先生に伝えると、「あなたが今、本当にやりたいことは何ですか?」という問いをいただきました。その答えとして「人の輝きを引出すコーチングをやってみたい」という想いが自分の内側から湧き上がってきたのです。
 マーケティングにハマったのも心理学が好きだったことに起因していることに気づいたのですが、「人を輝かせたい」、そして「相手が心から幸せを感じてもらえることに貢献したい」、それが僕にとっての幸せだと気づいたんです。すぐにコーチングの学校に通い始め、半年間学んだあと、その後わずか2か月で100人にコーチングをするという目標を掲げて達成し、そのままさらに学び続けて晴れてプロのライフコーチとしての活動を始めました。

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 僕にとって祖父の代から続いた会社は、ずっと自分のものではありませんでした。それでもやらなくてはならないという思いでやってきましたが、負債を完済できた時にやっと父への親孝行ができたのではないか、という気持ちになりました。その時に天国の父から「もうお前の好きなことをしてもいいよ」とずっと背負っていた罪を許してもらったような気がしました。この時初めて『誰に認められなくても、誰にほめられなくても、本当の自分の人生を生きよう』と決心したのです。
 当時の僕と同じように、何かに囚われるようにがむしゃらに頑張ることに没頭し、自分の人生の目的を見失いかけている誰かのために、「これこそが本当の自分なんだ!」という内なる自分とつながった人生を生きていく、そんなお手伝いができたらと思っています。

森松さんが今目指しているのは、既存事業のほかにコーチングの会社を作ることなのだそう。世の中の人が、より自分らしい人生を自分の選択で生きるために、「自分を知り、自分を受け入れ、自分を愛し、自分を活かす」そしてそのことが誰かの貢献につながるという生き方を応援していきたい、という想いを聞かせてくれました。
森松さんが見つけたものは、知識を増やしたからではなく、深く自己と向き合い、鎧を手放し続けた末だと言います。本当に自分の創りたい世界をイメージし、自分自身がその体現者として今を生きていくと決めた瞬間から、人は生まれ変われる。そしてそれはいくつになっても、いつからでも新しいスタートができるのだということを教えてもらいました。


下町の2D&3D編集者。メディアと場作りのプロデューサーとして活動。ワークショップデザイナー&ファシリテーター。世界中の笑顔を増やして、ダイバーシティの実現を目指します!