英会話のエイゼツ_EIZETSU___今のあなたのままで__コツ_さえつかめば__日本語に頼らず口から英語が出てくるようになることが可能です_

僕にもできた英語の習得方法。みんなにも伝えていきたい!と起業

僕が社長になった理由-Jack植木さん
日本人向けの英会話スクールEIZETSU(株式会社EIZETSU)のフランチャイズ事業を行う植木さん。自分がもがき苦しんだ英語習得での経験を活かし、さらに人に教えていく中で編み出したメソッドを実践しています。エヴァンジェリストという日本人の先生が生徒をサポート、英会話の実践はセブの先生という2人の先生がいる手法です。
現在は、セブへ移住し日本と行き来しながらビジネスを展開しています。

2019年夏、”いわみんプロジェクト”として、社長や起業家、独立して活動している方を対象に100人インタビューを実施しました。彼らがどんな想いで起業し、会社を経営しているのか? その中での葛藤や喜び、そして未来に向けて。熱い想いをたくさんの人に伝えたいと思っています。

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Jack 植木(ジャック ウエキ)さん

【略歴】
・外資の銀行コールセンターにて外国人専用の相談窓口
・IT企業の営業
・2014年ごろ EIZETSUプロジェクトスタート
・2017年 株式会社EIZETS創業

猪突猛進! ハマったらひと筋
今考えると、かなりヤバイやつです(笑)

 僕はハマっちゃうと一直線タイプ。子供のころからやりたいことにどんどん飛び込んでいて、中学から高校まではサッカー、サッカーの強豪校で200人くらい部員がいるの。でも、僕は別にうまくないんですよ(笑)レギュラーにもなれない。でも、練習だけは人一倍やる。朝もイチバンに登校して走ってるような部員だから、監督やコーチからはすごく評価されてました。でも、高2で大きなケガをしてしばらくサッカーができなくなって、辞めようと決意しました。

 受験モードに入ろうって決めて、実家から離れた大学を志望校に定め大学見学にも行って、気持ちを一気に高めました。監督にも辞めることを報告に行きましたが、引き止められちゃって。そこで「受験が理由なら、次のテストでいい点を取って証明してみろ」的な話になり、猛勉強スタートです。友達はみんな驚いてましたよ。そんなやつじゃなかったですからね。結果、監督から指定された点には少しだけ足りなかったんですが、サッカーはそこで辞めました。多いときは毎日15時間くらい勉強してました。受験は志望校しか受けないって言って、その大学の学部を受けまくりましたが全滅。その大学しか行く気はなかったのですが、母からお願いされて、試しに受けといた1校だけが合格。結局は浪人する気持ちになれず、そこへ通いました。

 大学1年でイベント系のサークルを作ってそこの代表になったんですが、すぐに飽きちゃいましたね。次は映画。1日2~3本くらい見てるうちに、自分でも撮影したくなって。脚本書いて、8ミリビデオを用意して、友だちに演じてもらって監督気分で撮影してました。ハマるとまっしぐらな性格なので、「映画作りをするなら、アメリカだ!」と思い立ち、調べた結果ミズーリ州にある大学院に行こうと決めました。

「大学では、カッコいいものにあこがれちゃってましたね」と当時を振り返った感想を教えてくれました。植木さんにとって、外国や英語という世界はあこがれの対象だったようです。海外へのあこがれに向かって、再び猪突猛進していきます。

海外にあこがれて海外留学を目指して英語の猛特訓!
自分に合った方法で、7か月で話せるように

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 TOEFLが必要ということで、夏休みの交換留学で初のアメリカにも行ったんですが、まったく点数が伸びない。そもそも、暗記したり文法の勉強したり、本当にニガテだったんです。ある日、同時通訳の学校を見つけてコレだ!と思い、親から借金して150万円で申し込んだのに、合わずに退会(汗)それでも、アメリカ留学をあきらめきれず、まずはアメリカに行くための資金を作るために、時給がいいバイトも探し始めました。

 金融業で英語対応のコールセンターに、英語はたいしてしゃべれないのに、ごまかして応募したら受かっちゃって。英語で電話がかかってくると、慌てて周りの人に転送してました(笑)さすがにヤバイと思っていたときに出会ったのが『英語は絶対に勉強するな』という本。この本のやり方をひたすら実践してました。そのうち、外国人相手の電話にも出られるようになり、たった7か月でお金のやりとりが発生する慎重な電話対応もできるくらいぺらぺらになってました。

英語も話せる、バイトでお金もたまった、でも、ハタと気づいたんです。「オレ、本当にフィルムメーカーになりたいのか?」と。よく考えてみたら、自分は映画を撮るのが好きだったのではなく、映画の主人公の自由な生き方にあこがれていただけだな、と。英語が7か月でぺらぺらになったことで、「オレはなんでもできる!」とイケイケ状態だったんですね。大学卒業後は、日本で営業マンになりました。電話回線の切り替え営業の会社で営業実績№1になり、「次は訪問販売もやってみよう!」「法人営業をしてみよう!」といくつか転職して、さまざまなものを売りまくっていました。ところが一向に給料は増えず。。。

オレができたんだから、
みんなにできないわけがない(笑)
英語で世界が広がることを知ってほしい!

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 当時、英語で悩む友だちに自分のやり方で教えてあげてたんです。そしたら、口コミでどんどん増えてきちゃって、仕事帰りの居酒屋で10人くらい相手に英語レッスンとかしてたんですよ。さすがに友だちに教えていたまんまの方法ではやりづらくなり、テキストも作成して、その代り月謝を少しずつもらうようにしました。英語を学びたい人はさらに増えて、居酒屋を貸し切り状態で、37人を相手に講座。「これって仕事になるな」と思い、会社を退社して本格的にスタートさせました。すぐに100人になり、1年後には200人超。生徒さんをグループに分け、20か所くらい拠点を作って講座を開いていました。

 英語を話せるようになるためには、習慣化させる仕組みが必要なんです。どしても離脱しちゃう人がいる一方で、僕の父のように数か月で話せるようになる人もいます。「その違いはなんだろう?」と考えたとき、父はやり方がわからないときはすぐに電話してきて僕に聞いてたんです。しかもしょっちゅう(笑)
 挫折した人はやり方がわからなくなったり、困ったりしても解決できないからだとわかりました。ポイントはモチベーションをキープさせること。そこで、料金を上げたマンツーマンレッスンも取り入れました。成功率は上がりますよね。ただ、どんどん生徒が増えて330人くらいまでいった時点で、自分1人では回せなくなりました。このままじゃ、オレ死ぬな、と。
 そこで、コンサルタントの方に相談して、日本で言う「家元制度」つまりフランチャイズ(FC)にする方法を教えてもらいました。すでに英語を習得した生徒さんに講師になってもらい、少しずつFCを増やしていきました。

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 英語が話せるようになるためには、僕がコールセンターで話していたように、英語を話す機会が必要なのは間違いないので、セブの英会話スクールと提携してオンライン英会話も導入しました。ところが、提携先の社長が事故で亡くなられてしまい、僕の会社でセブの学校運営も始めました。英語でつまずいている人たちに、より多くノウハウを伝え、英語によって世界が広がることを知ってもらいたいです。

 僕自身、セブへ足を運ぶ機会がどんどん増えていく中で、子どもを海外で育てることの意義を見出した妻がセブへの移住を提案してきました。それで今はセブ島へ移住し始めたところです。僕は月の半分は日本へ帰るんですが、妻と子供はセブ暮らしです。僕が挑戦できるのは家族がいるからです。本当に幸せだと思いますよ。

「NGSLという調査会社によると、実は、ネイティブが日常会話で使っている単語数は721語で90%もカバーされていることがわかっています。つまり彼らは、ほとんど同じ単語ばかりで会話しているってこと。一方で日本人が普段使っているカタカナは1500語もあって、そのほとんどが英語から派生。さらにカタカナ以外でも、日本人が普段目にしている英単語は300語。日本人のボキャブラリーは1800語もあるんです。でも、しゃべれないのは、使い方を知らないから。うちのスクールでは3パターンで使い方を教えているので、みんなどんどん話せるようにっています」こんなふうに力強く語る植木さん。
インタビュー最後に近況を伺うと、家族との日々をうれしそうに教えてくれたときの植木さんの笑顔が印象的でした。ハマったらまっしぐらだった青年は、ちゃんと自分が返ってくるホームを見つけて、安心して冒険に出かけるようになったみたいです。

株式会社EIZETS HP http://eizetsu.com/ 

下町の2D&3D編集者。メディアと場作りのプロデューサーとして活動。ワークショップデザイナー&ファシリテーター。世界中の笑顔を増やして、ダイバーシティの実現を目指します!