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文化人物録29(くるり・岸田繁)

岸田繁(ロックミュージシャン、くるりボーカル&ギター、2016年)

→くるりの岸田繁といえば、僕らにとってはカリスマ的存在といっていい。くるりの代表曲である「ばらの花」や「ワールズエンド・スーパーノヴァ」などが誕生したのは僕が大学生の頃。つまりは「ドンピシャ」世代である。
セールス的には突出したものではなかったが、音楽好きの間では極めて評価が高かった。ミュージシャンから崇拝されるミュージシャンという存在が少なからずいるが、くるりもそれに近かったかもしれない。
岸田さんとは大曲「交響曲第1番」を完成させたときに何度かお会いした。まさか岸田さんに対してクラシック的音楽に関する取材をするとは想像だにしていなかったが、ロックだけでなくジャズやクラシック、民族音楽など軽々とジャンルを超えていく岸田さんならさもありなん、と思ったものだ。

人間的にもユニークかつ思いやりのある方で、直接話したことがある人ならみな好きになるだろうと思わせてくれる人柄である。

*交響曲第1番について
・僕の実家は京都で、しかも京都交響楽団の本拠地からすぐ近くだったんです。京都コンサートホールができる前は京都会館(現ロームシアター京都)を拠点に活動していて、子供のころから年末の第9を聴きに行ったりしていた、うちは別に音楽一家ではなかったですが、家ではチャイコフスキーやベートーヴェン、ドヴォルジャークなど日本の音楽家が多数ライブをしていた。

・今回の話をいただいた時、音楽を偏見の目で見ない方がいい、ハードルが高いと患者得ていた。安直なコラボではないと。ただくるりは特定の音楽でなくいろんなジャンルの音楽を取り込んできたので、それらら違う土俵でやるのは最高だろうと引き受けた。

・譜面上の構成は比較的古典的で、管弦と打楽器ティンパニくらい。変わった楽器といえばコントラファゴットくらい。交響曲の楽章は基本4楽章、少し前の時代だと第3楽章までが多いので、僕は第5楽章までにした。今回は1人でずっと作ってきた。自然の営みなどにインスピレーションを受けて作ってきましたね。

・日常生活の中で普段私が感がる社会的な出来事個人的な思いは投影せず、風景や特定の描写のつもりで作曲した。ポップスの曲の場合は楽曲に子供の名前のようにタイトルをつけるけど、クラシック曲はほとんどが記号的。聴いている人が何かを思いつくほうが楽しい。作曲家として音符は提供するだけです。

・僕はいろんなタイプの音楽を聴きますが、毎朝必ずポルトガルのファドを聴く。夜はテクノなどですか。もちろんクラシックやジャズなども、いろいろです。ジャンルでどうこうは考えてないです。今回はいわゆるクラシックと言われるものの中で、18世紀以降続く欧州の音楽が今まで残っている理由を考えた。

・バッハにしてもベートーヴェンにしてもRシュトラウスにしてもドビュッシーにしても、当時の音楽の最新鋭、新たな発見だったということです。僕はピアノも弾けないし音楽的な教育は受けてないので、できるだけ形式、様式の器の中で自由にスケッチしようとした。

・基本は頭の中で鳴っている音をどう具現化するかということになる。これはバンドでも一緒ですね。僕が五線譜に強ければパソコンはあまり使わないと思うが、強くないのでMIDIの規格で打ち込んでやる。ボブディランの音楽はハーモニカと弾き語りのようなシンプルな構成の曲が好きですが、今回もシンプルな音像や構成を心掛けた。

・交響曲を作るとき、自分が思うより複雑なものを表現したがっていることに気付いたのですが、ひとまず感覚でスケッチし、思ったより複雑になった部分をアンサンブル、和声、フーガなど旧来の技法を参考にして取り入れた。

・僕は1995年に立命館大に入学したのですが、当時は人が多くモラトリアム的なムード全開だった。京都には拾徳(じっとく)、磔磔(たくたく)など有名なライブハウスがあり、ブルースロックが活発だった。村八分というバンドも京都発祥で、影響力が強かったですね。メジャーデビューしている人たちもたくさんいましたが、磔磔からは違う方向から出てきたミュージシャンが多かったです。全然違う音楽シーンが点在してました。

・僕は10年ほど京都音楽博覧会というイベントをやってますが、お客さんに感謝ですね。くるりが聴きたい、他のミュージシャンが聴きたいなど色理由はあるけれど、音博に行きたいというファンも増えている。10年やってみて、あの規模の音楽祭を続けるのは本当に大変です。でもはじめなにもなかったエリアがにぎわうようになっていますし、あの場所であるからには何かを変えないといけないと思っています。でも京都は東京と比べて見渡せる程度のキャパですし、たくさんの人が共存できる都市構造だなとは思ってます。

・拾徳、磔磔のころは若く自由にスケッチしていましたが、だんだん絵の描き方が分かるようになる。良くも悪くも。型にはまっていくんですね。そこを今回の交響曲ではないですが、全然違う方からやるのがくるりだと思っています。これは京都で育ったことも関係あるでしょうね。一見ステレオタイプなんだけど違うものが取り込まれていく魅力というか。古いところに新しいものを取り込んでいくのはまさに京都だと思います。新しいものを生み出すのは当然ですが、歴史も下敷きにしないと本当に新たなものは生まれないです。

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