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ヒッキーコラム① 「ヒッキー」は、これから演劇をやろうとか作家になろうとか思ってる人にも、ぜひ見にきてほしい!

「ヒッキー・カンクーントルネード」を書いたのは2002年。翌年にハイバイの旗揚げ公演として上演しました。

当時、俳優をやりたいけど俳優としての需要が全くなかった僕は、仕方なく自分が出演する台本を書くしかないと思っていたのですが、その取っ掛かりがどこにもありませんでした。だって演劇の大学出たけど、同期が全員俳優だから、卒業してもまともな公演の打ち方もわからないし、同期に作家もいないし。俳優だけの集まりってマジで役に立たないんです!涙

が、そのタイミングで見た、岩松了さんの「月光のつつしみ」に雷を打たれました。

喋り言葉の演劇。難しい言葉で言うところの「現代口語劇」。

演劇の歴史的には、岩松さんや平田オリザさんが登場するまでの演劇の台本の言語は「文語体」が主流でした。シェークスピアとかの少し硬めの言い回しをイメージしてもらえればわかりやすいかなと思う。

フラれて落ち込んでるはずの人が「この大海の荒波すさぶがごとき悲しみにぃ!」って、自分の悲しみを全力で叫んだりするようなやつです。極端な例です。

そこに「や、辛い時ってそんな喚かなくない?」と異を唱えたのが「現代口語劇」な訳です。


めっちゃ辛い時には「あぁ、、まあ、、そっか、、」
めっちゃ幸せな時には「あぁ、、ふふ、まあ、、そっか、、」


そんなもんじゃないですか?人間の使う言葉って。っていう感じに。極端に言えば。

そんな口語劇を目の当たりにした僕は、めちゃくちゃ衝撃を受けました。

それまで大学などで自分が関わってきた演劇は「どこかの時代のどこかの王様の話」みたいなものが多かったけど、岩松さんやオリザさんの作品を見ていると、「私たち」のことが描かれていたからです。僕たちが日常で、つい見過ごしてしまったこと、「私はあの時、優しさのつもりで言ったけど、それは正確に相手に伝わっていたのだろうか」とか、そういった「人との関わり」についての繊細な目線と、そこからだんだんと人間が人間のまま、非日常へと移っていくような面白さや恐ろしさが、現代口語の作品にはありました。

そして、とにかく何かしなければと焦っていた僕は、「これなら自分でも書ける気がする!」と、台本を書き始めたのです。

特に何も考えずに、なんとなく「自分が引きこもっていたこと」を題材に、「郵便屋さんに対応するのも恐怖だったなあ」とか、「もしあそこで支援団体に助けを求めていたら」とか「その支援団体がワケのわからない人たちだったら」といった妄想を交えて、3日間、笑いながら泣きながら書き続けました。

家とデニーズを、3時間ごとに行ったり来たりして、大学ノートに書き散らしたのを覚えております。

途中、手が止まりそうになっても「ここで辞めたら、もう2度と舞台に立てないぞ!」という、謎の不安から来る勢いが、当時の僕にはありました。あの感じ帰って来いたのむ。涙

そして出来上がったものが、「ヒッキー・カンクーントルネード」です。
28歳の「1個目の作品」となります。

これから演劇をやってみようとか、作家になってみよう、とか思ってる人に、「なんだ、こんなもんか」でもいいし「意外とやるじゃん」でもいいし、何かしらの刺激になればいいなと思っております!

あとは単純に、「ハイバイって?なに?韓国ドラマ?」とかって思ってる人にも、ぜひ見にきて欲しいと思っています。w

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