見出し画像

パーソンズ美術大学に留学して良かった10のこと

早いものでアメリカに留学して2年弱、コロナ禍のバーチャル卒業式、セルフ祝賀会(?) を経て、無事ニューヨークのパーソンズ美術大学を修了しました!

画像4

まさか最後zoomで卒業式するとは..

noteには留学前からデザインスクール出願 → 渡米 → パーソンズでの生活と、自分の状況変化と共に記事を書いていますが、これを見てパーソンズまで訪ねてきてくださる方もおり、嬉しい限りです。

本記事では、超個人的な観点でパーソンズに留学して良かった10のことを書いていきます。

芸術学修士 (Master of Fine Arts) in Design & Technology、
副専攻 (Graduate Minor) in Civic Service Designとなります。

画像1

1. ダン&レイビーに会えた!

1つ目からいきなり「誰それ?」と思われた方もいるかもしれないが、この人に会うために日本の会社を辞め、自費でとんでもない学費を払ってまでパーソンズまで来てしまった、という話。

自分は美大出身でも何でもなかったのだが、ある日出会ったスペキュラティブデザインという概念に衝撃を受けて以来、こんなん本だけじゃなく直接聞かないと無理やん!と思い、その元祖であるダン&レイビーという教授を目指してピュアな知的好奇心だけでNYまで来てしまった

画像24

マンハッタン (5Av-13St.) にあるパーソンズの校舎

私と同様、世界的に有名な彼らの指導を仰ぎたいという生徒は多く、彼らのプロジェクトに入るためには、就職の面接のように志望動機やポートフォリオを送り、多くの他のパーソンズ生の中でさらに選抜されてようやく参加することができる。
遂に対面を果たした時には、あなたに会うためにここまで来ました!と思わず言ってしまった。

画像2

画像3

彼らの"指導"というよりは、"対話"の中で、おそらく生涯取り組んでいくだろう自分のテーマが見つかったのは、それだけでここに来る価値があったと言える。

そしてスペキュラティブデザインを目指してきたら、彼らはもうスペキュラティブのその先を目指していた、という衝撃の展開が待っていたのだが、それはまた、どこか別の場所で語りたいと思う。

2. アメリカで「普通に」仕事できるようになった!

日本時代UI/UXに携わっていた私は、GAFAをはじめ、身の回りのプロダクトがアメリカ製品で占められている中で、あいつらはどんだけすごいことやってんねん!自分のほうが(社畜として)必死に働いてるのに何が違うんだ!という思いから 、学校だけではなく、アメリカで働き、一体何が日本の環境と違うのかを肌で感じたいと思っていた。

アメリカでの職歴ゼロからの就活はまた大変だったのだが、結果としてコロナもありながらも、一応「普通に」アメリカで卒業後も働くことができるようになった。Teknikioというブルックリンのスタートアップで知育系サービス・ビジネスのディレクションをしていく。

画像5

Girls-Centered Designを掲げるTeknikioは、STEAM教育の民主化を目指す

純ドメの私は英語は未だに不自由しているが、日本時代の経験だけで驚くほど「普通に」働けている。普通にペルソナも書くし普通にワイヤーフレームも書く。アジア進出のために日本の教育ビジネスのリサーチもする。どれも日本でもやっていたことで、全く見たこともないようなビジネスやデザインの手法はない。アメリカ人も驚くほど皆「普通に」働いている。魔法のようなレベニューモデルを生み出すCEOも、3日でプロダクトを完成させるスーパーエンジニアも自分が見ている範囲にはいない。アメリカでもやっぱり愚直に、一歩一歩着実にプロダクトを育てていくしかないのだ。

画像7

これぞスタートアップって感じのオフィス。

ミッションドリブンであれこれ指示しなくてもメンバー各自が自律的に動き、プロダクトに自信を持ってやるべきことをやっているというのはあるかもしれないが、個のスキルセットで負けているということは絶対にないと確信している。だから日本のビジネスパーソンは自信を持って良い。負ける理由はどこにもない。

画像14

ディス イズ ブルックリンって感じの場所にオフィスがある

アメリカには研修制度はないので、いくら良い大学を出ていても、コロナも加わって社会人経験のない若者が仕事を探すのは相当大変なようだが、日本時代の確固とした社会人経験があったから、アメリカでも「普通に」即戦力で働くことができたと思う。

3. 英語で「普通に」論文書けるようになった!

日本の大学時代、おっかなびっくり書いていた英語の論文も、普通に書けるようになった。学(アカデミック)の場に所属している以上、学生の間にちゃんと時間をかけてできることのひとつは、研究に打ち込み、論文を書いて世界に問うことだと思う。
日本の学生時代遊び呆けてしまった私が言えた話ではないが・・

画像22

論文を書けって先生も言うわけではないので、自分次第だけどね

作品を作って終わりではなく、公式に残すためには現状、論文という方式が自分には合っているので、デザイナーとはいえ積極的に出すようにしている。そこで、デザイン・人文学系の学会では、Research thorugh Design(デザインを通した研究)という分野で、本noteでもお伝えしてきている多元的なデザイン初の国際学会Pivot2020に採択され、フルペーパーを書いている。

それから、インタラクション・理工系学会にも出しており、コロナ渦で家でひねり出したインタラクションが今年のSIGGRAPHのポスターに通った。奇しくも遥か昔の学生時代、SIGGRAPH2008のポスター発表して以来、12年ぶり2度目となる(しかも学生枠!)。

何で英語で普通に書けるのか考えてみたが、アメリカでの英語の慣れというのはあるが、社会人時代に培った、論理的大局観も大きい。この段落では何を書けばよいか、メインメッセージこれが伝わってれば良いだろうみたいな、全体観を掴むのが上手くなった。昔は全ての英文を1文1文確認して時間ばっかりかかっていたところ、どこは力入れて、どこはさらっとでよいかなど、良い意味で手を抜けるというか作業量をマネージできるようになった。

画像8

コロナ以降、備蓄キッチンペーパーで作ったスタンディングデスク笑

そう考えるとこれも別にアメリカ来て初めてできるようになったことでもない。もうおっさんなので、ある意味日本で培った知識と経験を、アメリカで活かしてやっているだけ。場所がどこでも学生として、社会人としてやるべきことは基本的には変わらないし、これまでの経験知や実践知を、その環境に合わせてアナロジーで適用していくのみ。

4. スペキュラティブデザインで国際デザイン賞を取れた!

スペキュラティブデザインをやりにきて、最終的にその分野でCore77という国際的なデザイン賞を受賞することができた。会社を辞めてまで来たので、何か結果を出さなければと思っていたので、これは大変嬉しかった。

これは昨年、アメリカの学期の夏休みの期間中に、京都工芸繊維大学KYOTO Design Labのデザインリサーチャー・イン・レジデンスに招聘され、その時に京都で実施した未来夢想プロジェクトだ。実作業は1人で、1年ぶりに帰った日本(京都)でもあまり寝る間もなくやっていたプロジェクトなので、ここまで仕上げることができたのは感慨深い。

数年越しで夢見てきたスペキュラティブデザイン部門で受賞できたこと、そして日本の文脈に基づく作品が海外で評価されたことは非常に良かった。アメリカではこうしたトップレベルの受賞経験は今後のビザ等でもポジティブに働くので、これを獲れたことは色々な意味で大きい。

画像9

作品には自分で出演してしまうスタイル(スプツニ子さんインスパイア系)

デザインの分野も、こうした賞などに応募し、人に伝えるためには最終アウトプットだけではなく、そこに至るプロセスやアイデアの言語化、文章化が必要になるので、前章で挙げた論文を書く能力も大きな助けとなった。

5. 日本での仕事の機会も増えた!

前章のKYOTO Design Labに招聘頂いたのもそうだが、アメリカに来て以降、新しいデザインの分野(スペキュラティブデザイン・トランジションデザイン・多元的なデザインなど)を世界の最前線で吸収し、かつ社会人経験を活かしてアカデミックと実践の両方を橋渡す活動に携わっているので、ありがたいことに日本の仕事もお声がけ頂き、今スタートアップを中心に4社リモートで協力している。

その一つは、21世紀のビジネスパーソン全ての人が持つべき、新しいデザイン教育を作るというものだ(現在英語版記事のみ↓)。直近ではなく、10年20年単位でカルチャーやマインドを変えていく活動に興味がある。BTC(ビジネス・デザイン・テクノロジー)はもはや前提で、4つ目、5つ目を越境しなければいけない時代がやがて来ると考えている。

アメリカでの仕事や論文執筆もあるので、稼働率は日本時代同様ヤバいことになっており、土日関係なく忙しい状態ではあるが、アツい意志のある人と仕事をするのはやはり楽しい。日本でモヤモヤしたまま当時の会社に残っていたら、こうした人たちとの出会いは無かっただろう。会社を辞めてアメリカに収入ゼロで飛び込んできた時には、不安しかなかったが、徐々に日米双方で生活費をカバーできるくらいの収入は確保でき、今の今まで何とかやってくることができた。これはひとえにアメリカにいても力を貸してほしいと言ってくれた日本の人たちのおかげだ。私はその人たちのために力を使いたい。

画像10

たまにNYは日本から出張等で来てくれる人がいるので寂しくないです。

画像26

ユカイ工学の青木さんもQuubo連れて遊びに来てくれました!

6. デザインの総合格闘家(?)になれた!

Parsons School of Designは単体では総合美大で、私はDesign & Technologyという学科に所属していたが、隣には経産省から同時期に留学していた官僚デザイナーこと羽端くんのいるTransdisciplinary Design(超学際的デザイン)があったり、その他ファションやインダストリアルデザイン、ビジネス・マネジメントの学科もあり、自分の学科を飛び越えてこうした学科の授業を取ることも可能だ。

さらにParsonsはThe New Schoolという大きな大学連合体の1つであり、New School全体を見ると、哲学・心理学などのNew School for Social Research、Mannes音楽院、パフォーマンスアート系のNew School for Dramaなどが並列に並んでおり、これらの授業も取ろうと思えば取ることができる(さすがに音楽系の授業までは越境しなかったが)。超浅く広く型の自分にとってはこのリベラルな校風が非常に良かった。

画像11

議論もするし、手も動かすし、深い研究もする。まさに総合格闘技

なので自分の所属するデザイン&テクノロジー(これだけでも相当広い)はもちろん、都市計画や哲学、サービスデザインの授業にも越境して取りに行ったり、先程のダン&レイビーの授業なんかは授業構成自体をあえて性別・国籍・学部を超えた多様性が生まれるように生徒を選抜している

自分の中ではもはやデザインとは、ありとあらゆる専門性を駆使して、現在の状態を今よりも望ましい状態に変容させていく行為、と超広義に捉えており、デザインの対象もプロダクトから体験、政策や文化に至るまで、あらゆるものが対象になる。もはや「デザイン」という単語でラベリングされなくても良いと考えている。

画像12

ビジュアル、インタラクション、サービスと色々なものを作りました

同じものを見ててもプロダクトの人と、哲学者と、テキスタイルの人(さらに性別や人種のパラメータ乗算)はこうも見方が違うのか、という超広義の多様性を吸収できたことが大きな学びで、そうした肌感、空気感を得るにはフィジカルな場が重要だ。デザインツールやソフトの知識はそうした人たちとコミュニケーションするためにある。そうした学びをコロナ前に吸収することができたと共に、コロナ前後の変化も感じることができたので、この年にしかできなかったことは死ぬほど経験したと言えるだろう。

7. 世界にネットワークが広がった!

よく留学した人が言う「ネットワークが広がった」という概念を自分なりに考えると、友達が増えたみたいな身体的な部分ではなく、情報ネットワークという側面が大きい。

画像17

Parsons Parisでの出張授業(パリでのフィールドワーク)

画像18

エンドイヤーパーティのカオス感

画像25

そして肉を焼く教授

私の学部には現役生から卒業生まで全員が参加しているメーリングリストがあり、そこで世界中のParsons仲間から、日々デザイナーレジデンスプログラムやエキシビション、仕事の募集の情報などが流れてくる。自分の情報収集には限界があるので、そうした集合知に触れることができるのは今後も役立つだろう。

画像14

世界中から集まったクラスメイトにコロナ以降会えなかったのが残念。

特に、中国はもちろん、東南〜西アジア、南米、アフリカなどの国々のデザインは、こうしたパーソンズなどの有名デザインスクールを出た人たちがその国のデザイン文化自体を変えていくポテンシャルがあり、次の10-20年、非常に面白いと思う。もう21世紀なので、身体的な縛りは飛び越えて、こうしたデザイン新興国でデザインを教えていくキャリアというのも悪くない。

8. 日本人ネットワークも広がった!

ニューヨークに来ると、ここで留学していたり働いたりしている日本人同士はすごい勢いで繋がっていく。先程の経産省の羽端くんをはじめ、パーソンズの数少ない日本人同士の繋がりから、パーソンズで教えている日本人の先生、駐在員、こっちで就職し活躍している社会人など、日本では全く繋がりがなかったような人たちとのコミュニティが広がっていった。さらにこのnote経由で、ヨーロッパや北欧など、他の地域のデザインスクール留学生とも知り合うことができ、そういう人たちと今後何かで仕事ができたら良いなと思う。

画像15

パーソンズ日本人メンバーでGoogle NYを訪問しました

画像19

ハロウィン with Parsons DESIS訪問研究員の志水くん

画像21

第1回パーソンズ日本人会 at チャイナタウンの火鍋屋

画像28

NYで起業した男と展示に来た男と、東大苗村研OB会もNYで実現した

そして最近、経産省から初めて美大(パーソンズ)に留学した橋本さんと共同で、サンフランシスコに本部があるSpeculative Futuresの東京支部を立ち上げた。このコミュニティでは今後、東京の橋本さんと共に、新しいタイプのデザイン領域(政策のデザイン、トランジションデザイン等)や、海外のデザインスクールで学んだ人(Parsons, RCA, Aalto等)を呼んで日本にはないプログラムなどについて議論する場を設けていく予定である。2020年7月にはイベントを開催しようと思っているので、ご興味ある方はぜひ下のSlackへ。

9. 自分が生涯戦いたい舞台が見つかった!

これはアメリカに限ったことではないが、学校はあくまでも学校なので、卒業後の就活や人生設計まで面倒見てくれるわけではない。ここで何を吸収するかは自分次第で、結局その先の未来を作っていくのは自分しかいない。実力勝負のアメリカでは、自分のケツは自分で拭くしかないのだ。

画像20

ただただ校舎を散歩するのも好きでした

もっと言えばパーソンズでは就職に有効なスキルや方法論(例えばデザイン思考とか、企業とコラボしたプロジェクト)なんかはほとんどやらない。パーソンズの文化は非常にクリティカル(批判的)でアート的である。自分がこの世界に何を問いたいのかを自分にひたすら問いかけるし、資本主義の次の世界はどうすべきかなんてことをこの資本主義の権化のアメリカで自己批判的にやっているような場所である。

画像23

他の学部も学内でしょっちゅう尖った展示やっててバリバリ刺激を受けれる

なので卒業後GAFAにすぐ就職できるなんて生徒は稀だし、今後の人生に迷う人も多いが、自分は何に興味があり、どんな世界を生きたいのかという問いに対するヒントは確実に吸収できる場である。それは卒業後すぐに花開かないかもしれないけど、それができるように自分の周りの世界の方を変えていく推進力になる。

アメリカではそうした中でとにかく行動すること、そして行動した先に待っているリターンがでかいように感じる。ここまで私が書いてきたことも誰かにやれと言われたわけではなく、全て私自身が想い、行動し、結実させてきたものだ。

日本の教育レベルの高さや、今MOOCもある今、留学する意味についても賛否あると思うが、行かない理由を並べ立ててずっとモヤモヤしてるんだったら行動したほうが良い(私も5年位モヤモヤしてた・・)。述べてきたような、プライスレスの生涯価値みたいなものをたくさん得ることができた。

画像16

フライドチキン食いながら見るマンハッタンの雨の景色が好きでした

実際行ってみた人にしか見えない景色があり、来なかったら開けなかった道が開けてくる。そこで生き残るためには日本での経験やスキルもフル応用することになるので、日本時代から今その瞬間を無駄にしないように自分を高めていかなければいけないことは年齢や場所に寄らず変わらない。

10. これからも楽しく生きていけそうだ!

色々書いてきたが、やりたいことを仕事にも変えて、ゆっくりしている暇が全く無いが、毎日充実して過ごしている。

日米の仕事を学校と並行しながら続けていたので、出願したら落ち着く→現地行ったら落ち着く→夏休み入ったら落ち着く→1年目終えたら落ち着く→就職先見つかったら落ち着く→修論出したら落ち着く→卒業したら落ち着く(今ここ)
と言われ続けて全然落ち着かないのはありがたいことです。今後も拠点は当面NYとなるが、日米双方で仕事をしていく。

画像29

オンライン最終発表は、日本でも見てもらえた (photo by 水野大二郎先生)

結構MBAだったり留学ガチ勢を見ていると、社会人5年くらい働いて20代後半で留学するパスが多いように思うが、人生100年時代、自分のように社会人10年くらいやって日本でも独り立ちできるくらいまで成長して30代で留学するというのも一つの道としてあるのではないか。日本の社会人5年目と10年目は意外に見えてる景色が結構違う。自分も20代で来ていたら、上記の達成は難しかったものもあるように思う。初めてのタスクを進めていくマネジメント力も差があるし、就活でアメリカ人と並んだ時に、ビザや言語というマイナスを補って余りある経験知とハイレベルな視点でタコ殴りにし、リクルーターのポジション自体を奪うくらいの圧倒的なスキルで超えてしまう戦い方を私は提案したい。

嬉しいことに、パーソンズでそのまま非常勤講師として修士の授業を教えることになった。この学校に恋してやってきたので本当に嬉しく思う。お陰様で日本からもリモートで色々な引き合いを頂いており、個人的にはもう、21世紀も中盤に入っていくので、22世紀に向けたデザインをアカデミック・実践双方で追い求めていくというのがライフミッションとなる。

画像6

コロナ後のビジョンデザインなんかを得意としておりますので、お仕事のご相談もお気軽にお声がけください。卒業して一息つく間も無くアメリカ第二章に突入しますが、今後ともよろしくお願いいたします。

画像27

Farewell to The New School and My Final School Days!

岩渕正樹
https://www.masakiiwabuchi.me/
お問い合わせはこちら

この記事が役に立ったな〜と思ったら、NYのMASAに明日の授業中に飲むコーヒー1杯をサポート頂けると大変嬉しいです! こんな情報知りたい!などのご意見・ご感想もお気軽にどうぞ!