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役者人生

中学生の頃、いわゆる役者をしていた。
いや、その歳なら「子役」というのか?

NHK名古屋で30分ほどの人間ドラマの主人公を演じたことがある。「中学生日記」という番組をご存知の人もいるだろう。

東海地方ではかなり有名で、1972年から2012年までかれこれ50年続いた歴史ある番組である。普通の中学生が自身の思いや葛藤、悩みを一つの作品にしてリアルに演じる。いわゆる「中学生力」を大切にしたのだ。


思春期真盛りの中学2年時、姉に勧められて、そのオーディションに応募した。動機などはうろ覚えだが、本当に受かりたかったのだけは今でも身に染みて覚えている。


晴れたある日、いつも着慣れた学生服を鎧に纏い、地元から逃げ出すように電車に飛び乗った。30分ほどかけて名古屋は栄へ。

同じようで、でも少し違う悩みを抱えていそうな中学生たちを横目にオーディション会場に入った。そこはTVでよく見る、撮影スタジオのようだった。1分で自己PRをしろと言われて、当時10年間続けていたよさこいの曲をもってきたiPodで微力ながら流し、審査員10人ほどの前で身体の舞を魅せた。今思えば恥ずかしくなかったのだろうか。満悦の表情で、会場を脱出した。

数週間後、合否通知のはがきが届いた。ガッツポーズを掲げた。そこにあったのは「合格」の2文字。生まれてはじめて誰かに認められたような気がした。「自信」という言葉の本当の意味がわかったような気がした。


それからというものの時々番組に呼ばれてはエキストラ・脇役をこなす日々。文化祭を準備しているたった2秒の役、主人公の好きな人の友人役、体育館で話を聞く生徒D、地道に「役者」をこなし続け、華が咲くのを待つ。

そしてついにその時がきた。いわゆる番組ディレクターという人から、以前に書いていたアンケートについて「話を聞きたい」と電話をもらった。すぐに栄へ向かい、話をする。

当時中学生の僕は今以上に人とのコミュニケーションが苦手で、姉が2人いるからなのか、男友達より女友達が多い、いわゆる女々しい男子学生だった。思春期ゆえにその葛藤に悩まされ、アンケートに殴るようにそれを書いたら、それをディレクターが拾ってくれたのだ。

主人公に選ばれた。
「いわつりゅうき」役だ。本人が本人を演じた。

当時は知らなかったが、役者の吉田栄作さんが先生役で共演した。

新年――中2の岩津立樹(いわつ・りゅうき)は誓いを立てた。今年こそ「ザ・オトコになる」それは、男子に対して「なー、なー」と話しかけ、対等なオトコ同士の付き合いができる者のこと。気が弱い立樹は、「ねー、ねー」としか話しかけられないことを深刻に悩んでいるのだ。3学期のはじめ。1年間の育児休業を取っていた本陣達也先生(吉田栄作)が、クラスの国語担当として戻って来た。姉の話によれば本陣は、「オトコらしい先生」だと言う。立樹は、期待に胸を膨らませて本陣の授業を迎えるが…。

今思えばとても恥ずかしい内容だが、14歳の男は一つの作品を最高のものにしたくて過呼吸をしていた。

顔合わせから台本読み合わせ、演技指導、スタジオリハーサル、ロケ、スタジオでの教室撮影、中学2年の11月からおよそ2ヶ月間、学校が終わると部活を早退し、電車に乗って毎日名古屋へ通った。毎日が刺激的でいろんなことを学び、楽しかった。家に帰ってくるのが夜遅くてもなんてことなかった。刺激を探していたからだ。

周りの奴らとは違うことをしている自分が好きだった。

支えてくれた両親や姉には今でも頭が上がらない。

そして年明け1月の夜、30分だけ自分の名前が、顔が、人間がTVで放映された。家族でそれを見た。とても恥ずかしかった。親戚、学校の友達や先生からも連絡が来た。2ヶ月の舞台はあっという間に幕を閉じた。


番組のEDには大好きな音楽が流れていた。

14歳で「演技」「役者」に熱中したら、高校で演劇部に入った。その話はまた今度にでもしよう。


青春が過ぎ去った今でも演劇というものに魅かれる。特に舞台が好きだ。旅に出る前は、よく一人で舞台を見にいっていた。幕明けと客席が一体になるあの空間・瞬間が大好きだ。

そうだ、今度の休みにでもまたあの場所へ行こうかな。

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