太宰治『親友交歓』

1年ほど前の記事にも書いたが僕は短編小説が好きだ。理由はその記事をぜひ見ていただきたいが簡単に言うと短いながら読み切ったという達成感が得られるからである。
そんなわけで相変わらず短編集を探していたのだがつい最近太宰治の『ヴィヨンの妻』に出会った。
太宰治という作家はもちろん知っていたが作品は国語の教科書に載っていた『走れメロス』しか読んだことがなく、なんとなく敷居の高いような気がしていたが、そんな太宰の作品でも自分の好きな短編集であれば読み切ることができるだろうと思い買ってみた。

『親友交歓』はその中の一つ目の作品である。
これを読むと自分の中で高尚で手の届かない人物と思っていた太宰治が急に身近に感じられるようになった。
内容は小学校時代の親友を名乗る男が急に家に現れ酒を一緒に飲むのだが、その横暴な振る舞いと対抗する気にもならないような謎の自慢話に付き合わされその際の不満やなんとも言えない負の感情をなんとか言語化しようとする姿が描かれていたのだがその様子を見て随分遠いところにいたはずの太宰に対して親近感が湧いた。
特にそういった人間に対して言い返したりするのは無駄だと分かってはいるが、ご機嫌取りのためにわざと謙ったり高みの見物を決め込むのも気が進まず、ましてやそれを「自分は大人の対応をした」といって美談のように語るのには嫌悪感すらあるがいざその場に出くわすとそういう行動に出る気持ちが分かってしまうというのがなんだか寂しく感じるというような部分が自分の経験とも共感でき、この親友を名乗る人間をクズなど簡単な言葉で片付けることすらもなんだが違う気がしているのにも機械のようなイメージのあった文学者に対して人間味を感じた。
所々に太宰の言い訳みたいなのが入ってくるのも良い。それもすごくわかる。人に話す時にはなぜか余計な保険をかけてしまうことが多い。大体起こったことを話す時は過去のことなのだから自分を俯瞰して見ることができるわけでそんな保険は特に意味を成さないのだがそれでもそこを突かれるのがどうしても嫌というか相手が悪だということに聞き手に集中してほしいのでそういうのを入れてしまう気持ちが自分の友達との通話なんかとも重なり自分のことのように思えた。

この話を1話目に持ってきたのもなかなかの策士のように思えてくる。もし飲みの場ではじめにこの話をされたら自分は大いに共感しもっと同じような感情を抱いたことがないかとこの人の話をもっと聞きたくなるだろう。

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