「優しい世界をつくりたいんです」Teacher2.0運営者インタビュー#002
アパレル業界に13年間身を置いてきた見増さんが、なぜ教育の世界にきたのか?彼女のほんわかした雰囲気を育てた生まれ育った村と、そして大人になってから直面した地域格差、海外での出会い。彼女を教育の世界に導いたその背景を聞いてみた。
アパレルでのキャリアを捨て、教育業界へ...
簡単に自己紹介をお願いします。
こんにちは。国際エデュテイメント協会に所属する見増と言います。協会では、オンラインサロンの運営担当、また個人でも、mocciという活動名を使い教育イベントもおこなっています。
見増さんは教育業界での経験はまだ3年ほどのようですが、なぜアパレルという世界から教育業界に転身されたのですか?
みなさんに、長いキャリアを捨てて知らぬ業界に飛び込んできたことをびっくりされるのですが(笑)、とにかく。。優しい世界をつくりたいとおもったのが一番のきっかけかもしれません。
優しい世界・・・?
それだけ聞くとちょっと怪しい人みたいですか?(笑)でも、私は本気なんですよね。私は過疎化がかなり進んだ村で育ちました。村には何もなかったけど、挨拶をする、困った方を助ける、無い物は自分たちで作る。。という私の考え方や生き方の基礎を作ってくれたとても良い環境でした。それが、大人になるとハンデのある環境だったと気づかされることになるのです。つまり、今の日本の社会構造では弱者になる。あまりピンとこない方も多いかもしれませんが、まだまだ私たちの国では自分の幸せを見つけることは難しく、社会の枠の中で幸せだと思わなければ排除されてしまうかのようなつくりなんだと改めて突きつけられたのです。
つまり地域格差を感じたということでしょうか?それと、優しい世界のつながりがまだわからないです。
あなたは私より上ですか?
え!いえ、上とか下とか。。ただ、見増さんは僕より元気だなとは思います。
すみません、困らせてしまいましたね。元気ですか?(笑)ありがとうございます。そうなんですよね、わたしはわたし、あなたはあなた。同じ時間軸の中で、どちらが人として偉い偉くないなんてないのです。どこに暮らしていても、どんな性格でも。このことを社会の中に染み込ませる必要があります。
それが教育と?
はい。私は29歳まで海外に行ったことがなくて、初海外は29歳ととても遅いデビューでした。イタリア、ポルトガル、フランス、オランダ、クロアチアなどヨーロッパで学んだことも膨大にありますが、私にとってインドネシアや韓国、台湾などアジアでの人との出会いがとても大きかったんです。
彼や彼女たちと様々な話をする中で、教育がいかに国を作ってきたかを実感させられたのです。教育で優しい世界を作れなければ、日本は平和のリーダーになんてなれない。。そう強くおもうようになりました。
優しい世界とはどんな世界なのでしょうか?
自分を認め、他人を認めれる世界だと思います。性格の合う合わないはあります。でも、それと優劣をつけることは全く違うんです。そう思えることがまずは一歩ですし、それは何をする時にもとても重要な一歩目なはずです。でも、テストの点数や学校名で価値をつけられてるような世界では無理じゃないですか?というのが私の考えなんです。
最後に今回、オンラインサロンを立ち上げたということですが、どんなサロンなのでしょうか?
自分の考えをため込まずにアウトプットできる場所です。発信者にもなれるのが大きなポイントかなと思います。テーマも教室の中だけではなく、社会につながるものが多いです。優しさの中には、強さがないといけないと思っています。その強さをみなさんと一緒に学んでいけたら嬉しいです。
見増さん、本日はどうもありがとうございました。
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