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瑞々しいと初めて感じた。--- 窪 美澄「夜に星を放つ」kindle版

私たちシステムエンジニアの仕事の中には、夜間に動く処理のトラブルに対応するために、一晩現場で待機するようなことがあります。先日も2日間ほどそんな日が続いたのですが、幸いにしてシステムは順調、大きなトラブルもなく終わりました。

たまたまその2日間は抱えている仕事も無くて、手持無沙汰な夜になることがわかっていたので、私は職場にkindleを持ち込みました。基本的に職場で使用しているPCでは私用でのネット閲覧はNG、私物PCの持ち込みもNGなので、たいがい皆さんスマホいじってるか机に突っ伏して寝てるかなんですが、こんなときにkindleは便利ですね。読書で時間をつぶすことができます。

その夜私が選んだ数冊のkindle本のうちの1冊が、今回ご紹介する窪 美澄の「夜に星を放つ」です。第167回直木三十五賞受賞作になります。

少し詳しくご紹介しましょう。本書は5編の短編で構成されています。

真夜中のアボカド
双子の妹を失ったアラサー女子が婚活相手と妹の彼氏の間で揺れ動く話。

銀紙色のアンタレス
受験を乗り越えた高校生が祖母の待つ海で過ごすひと夏の出来事。

真珠星スピカ
交通事故で母を失った少女が、その喪失から立ち直る話。

湿りの海
離婚して妻と娘に会えない男の隣家にシングルマザーと娘が越してくる。

星の隋(まにま)に
新しい母親と本当の母親の間でちょっと苦労する小学生の話。

もう全然物語の本質を捉えていない要約で恐縮なのですが、これらの物語が「」というキーアイテムで接続されているのがとてもおしゃれです。

私はこの作品を一晩で一気に読んでしまったのですが、とにかく素晴らしかった。

コロナ禍を生きる日常の風景を切り取っている淡々とした文章で、難しい言葉もほとんど出てこない。するすると物語が頭の中に入ってきてとても読みやすい作品です。小説の評価に「読みやすい」という褒め方が妥当なのかどうかわかりませんが、心の奥底にすーっと入ってくる文章です。

物語もシンプルだし、言葉の選び方も全然ひねりもなんにもないのに、それぞれの物語の主人公が抱えるそれぞれの喪失感が本当に痛い。そしてどの話も決してハッピーな展開とは言えないのですが、それでも主人公たちが最終的に前を向こうとする姿にとても勇気を与えられます。

実際、物語は日常的にこれくらいの悩みを抱えている人は多かれ少なかれいるよね、ともいえる題材です。しかし丁寧に描写される日常から伝わってくる切なさは本当にリアルというか、鮮度が高くて登場する人物一人一人の気持ちがすごく良く伝わります。

鮮度が高いと書きましたが、私はこの作品を読んで文章が「瑞々しい」というのはこういうことか、と初めて思いました。まるで水分をたっぷり含んだ梨を噛みしめるような感覚。瑞々しい=水分多めという意味ではないことは重々承知していますが、そんな感じなんです。歯茎や下の裏、口からのどの粘膜に至るまでのすべての感覚器に甘酸っぱさが一瞬で浸透するような快感があります。しかも主人公が女性だったり、男性だったり、大人だったり、子供だったりするわけですが、どれも一様に瑞々しい。そこがこの作家の凄いところです。

作者の窪美澄さん、著者紹介を読んだら私と同じ年の生まれでした。
私にとってのこのフィット感は同じ年に生まれたことも原因かもしれません。私が最近特に感じている生きていくことの難しさをこの作品は実に優しく、わかりやすく説いていると思いました。大感動の嵐!という感じではありません。むしろつま先から髪の毛一本一本の毛先まで、穏やかに浸透してくるような感動があります。

もし、今ちょっと精神的に疲れてるなーと思っている方がこの記事を読んでいてくださるなら、強くお薦めしたい一冊です。

夜勤明けの朝5時の町がいつもと少し違って見える、そんな本でした。

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