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8月31日の夜に

 アニメや漫画など作品において、感情移入するキャラクターが変わることは楽しみの一つだと思う。

 かくいう私も、映画「THE FIRST SLAM DUNK」を見て、宮城リョータではなく母の薫に感情移入してしまった。親の気持ちは、歳を重ねるにつれその重みを増すようだ。

 そのときにしかわからないことは世の中にあり、タイミングや運が絡んで経験になる。14歳の私は「大人になってあのときは若かったなんていう大人には絶対なりたくない」と思っていたが、今ではその気持ちがわからないでもない、むしろそれを面白がって言いそうになる自分もいる。

 共感とは同じ土俵にいなければできないもので、違う土俵からのそれは共感ではなく同情であると。

   ・ ・ ・

 8月31日。8月の最後の日であり、今日はスーパームーンらしい。そんな夜を迎えたくない人も世の中にはいるだろう。学校が始まってしまう、もしくは学校が始まったけど行きづらい。そんな人も、中にはいるかもしれない。

 2年前、こんな記事を書いた。

 今はどんな記事が書けるのかが気になって、noteを開いた。

 「8月31日の夜に」と検索をかけてみた。NHKのサイトが出てきて、そこに寄せられたメッセージを見てみる。

消えたい。生きていたくない。

 そんな言葉が並んでいることに、私もこの中の一人だった、と過去のことのように振り返る。

 私は中学2年、高校2年、大学2年と3回学校に行けなくなったときがある。どれも理由は違えど、頑張りすぎが大きな原因を占めていると今では思う。死ぬのを考えたこともある。大学生のときは一人暮らしだったから、実行しようとしたこともあった。それでも、今はこうしてnoteを書いている。

 そこまでいったのに戻ってこれたのは、私には大切な人がいたからだ。寸前、私をここまで成長させてくれた家族の存在が頭をよぎった。親はともかく、祖父母たちは悲しむだろうな。泣かせたくない。だったら生きなきゃいけない。私はまだ、死ねない。

 自分は恵まれている。だからここでこうして生きていられる。そのことに感謝したい。そう、そうなのだ。どんな形であれ、私はもう彼らの絶望から離れてしまった。

 いくら私が「生きてたらこんないいことがあった」「諦めないで、死なないで」と言ったところで、たぶん彼らには届かない。私は3回も学校に行かなかったけど、今はこうして立ち直ってる。生きてたら美味しいものが食べることができて、好きな作品と出会えて、幸せなこともきっと起こるよ。そのセリフって、私が憎んでいたあの言葉と同じじゃないか。

 同じ絶望を味わっていたとしても、それをベースに彼らに語りかけることは、14歳の私が許さない。だけど、どうしてもなにか言いたくて、こうして書いている。

 大人になって「あのときは若かったからね」と平気で若いときの自分を卑下したり、「思春期だからそう考えるのも仕方ない」と時期のせいで一括りにしたりなんかしたくない。だけど、歳を重ねるにつれどうしても経験はできるし、考えは整理されてくる。自分がどうすれば楽なのかを第一に考えるようになる。自分に当てはめて答えることが楽なのだ。相手の気持ちを考えなくて済むから。

 それでも、私は今も、14歳の自分であり、17歳の自分であり、20歳の自分だ。あのころ言葉にならなかった理不尽さやふつふつと煮えたぎるような無力感は、私の中に整理されずに残り続ける。

期待以上のものに出会うよ
でも覚悟しておくといい
言えないから連れてきた思いは
育たないままでしまってある
更に増えてもいく

BUMP OF CHICKEN 「魔法の料理 ~君から君へ~」より

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 学校に行けない、それ自体はよくあることだ。それでも、それに至る過程はみんな違う。だからそれは、当人にしかわからない。そのつらさを伝えるのは死ぬ以上に苦しい。自分の気持ちを伝えることって、自分の心臓を誰かに明け渡すようなものだ。だから無理に助けを求めてとは言わない。

 ただ、あなたの身体とこころだけは、大事にしてほしい。しっかり眠ること、しっかり食べること、自分の気持ちをねじ曲げないこと。それができない環境であるなら手を上げてほしい。 

 あなたがいなくても世界は回っていくし、なんの損害もない。だけど、あなたが学校に行けない中で感じたことは、あなたが生きていくうえで一緒に旅をしてくれる方位磁針になるし、その経験がまた誰かの地図になる。

君の願いはちゃんと叶うよ
大人になった君が言う
言えないから連れてきた思いは
育てないままで唄にする

同上

 今年の8月31日の夜に綴ったこのnoteが、誰かに届き、その人の気持ちに少しでも寄り添えたなら。文章は人を救わない。あなたの苦しみを受け止めることはできない。

 けれど、今、22歳の私の気持ちだけじゃなく、つらかったあのときの自分と一緒に気持ちを伝えられるのが文章だと思う。会って話すよりもずっとつらかった自分がそこにいる。だから、私はこうして書いている。

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