寄せて、引き、また寄せて
海に行った。海が見たかった。
幼い頃からよく海辺に出かけるような家庭ではなかったし、私自身も海辺で遊びたいと強く思ったことはない。けれど、ふとした瞬間に海が見たくなる。
久しぶりに海水浴場に行った。夕方、もうほとんど人がいない海辺。遠くに見える島と、遊覧船。裸足で砂を踏むとき、しっくりくる、と素直に思った。
波が寄せるところまで近づいた友人を見て、私も歩き出す。波は規則的に、寄せては引いてを繰り返していた。濡れた砂は泥になり、ゆっくりと私の足に侵食する。小さなカニみたいな、エビみたいな虫が歩いている。どこまで行けるんだろうか、と歩いていく。
「ずっと引いてるから怖いね」
ふと、友人が言った。私はその意味がわからなかった。どうして、と聞くと「おっきい波が来るかもしれないから」と答えてくれる。
寄せては引く。その均衡が崩れ、引くのが続けば、大きく波が寄せてくること。私はそのことを知らなかった。海が見たいと言ったのは私だけど、海のことなんて、たぶん私は何も知らない。
・ ・ ・
最近、英語の勉強をしていると、知らないことばっかりだなとしみじみ感じる。そして、最近読んだ『なくなりそうな世界のことば』という本で、話者が限りなく少なくなっている言語のことばがあることを知った。SVOCの順序が丸きり反対の言語があることに、驚きが隠せなかった。
知らないことばかりだと、たまに怖くなったり、嫌になることがある。勉強しても進んでいないような気がするときだ。意味がわからない、伝わらないことが悔しくて、その度に勉強するのに、またわからなくて、先が見えないような気持ちになり、勉強を止めそうになってしまう。
つらいことと、嬉しいことは半分半分くらいで成り立っているとは思うけど、それでもずっと強くはいられない。
海を見たいと思うときは、もしかしたら、そういうときなのかもしれない。弱ってしまった自分が行きたくなる場所が、きっと海なんだ。
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遠くでヒグラシが鳴いている。鳥たちが空を飛びまわる。足元の砂浜に埋まっている貝殻。強い海風。海面ギリギリの低空飛行をする鳥。そして、寄せては引いていく波。
あぁ、きっと私もそうなんだ、と軽々しく考える。わからないことがあって、ずっとわからなくて、わからないまま、急にわかるようになる。ずっと引いていく波は、寄せるためのエネルギーを蓄えている。
都合よく物事を考えすぎだろうか。でも、きっとそうだ。
広い海で仕事をする海人の姿を見て、小野篁はどう思ったのだろう。自分が流刑になることをどう思ったのか。
海の向こうに飛ばされる恐怖を、私は定期船に乗っていとも簡単に飛び越える。二度と帰れないかもしれない怖さを私は知らない。けれど、寄せて引く波をきっと彼も見たはずだ。怖さと一緒に、ほんの少し、エネルギーを分けてもらうようにして。
寄せて、引き、また寄せて。これから何度海を見るのだろう。どの海を見るのだろう。そうやって、まだないはずの記憶に励まされていた。
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