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#33「定義」よりも「意義」

「良い本の定義ってないんだ」からの続きです。

定義はなくても、「意義」はある。

前記事のBooktuberさんを例にすると、
本を手に取る瞬間は「なにか主体的に行動しようとしているとき」でした。
あとは、手に取った時に、その時の自分とリンクする部分が多く、共感が多く救われたとき。

この記事、どう着地するか・・・不安になってきました(笑)思いついたまま書いて、消して…を繰り返しています。。なんの実況って感じですね笑

なぜ、人は「読書」をするのか
なぜ、人は何度も同じ本を読むのか

読書に限らず、「なんとなく」行動していることよりも、
自分で目的を決めて主体的に「行動」した方が得られるものが違います。

何気なく手にして、読書をしていることが多い私。スピリチュアル講座ジプシーの時も、「なんとなく癒されたい」で色んなところへ行く。

なんとなくで、なにかに結び付くこともありますが、私の人生では、「なんとなく」は「なんとなく」で終わっていることの方が多いような気がします。

何気ない「無意識」の部分ですが、そこを「主体的」に意識するだけで本から学べることや、得たい感情面は大きく違ってくるよねってことに、気づきます。

「本」はあくまでもツールにしか過ぎない。
「本を読む」という行動でどういったものを得るか

なぜ、読書をするのか
なぜ、この作品を「今」読みたいのか
なぜ、同じ本を何度も読み返したいのか

気づかない間に「受動的」になっている部分。
そこの視点を主体的に意識することが大切だなと改めて思っています。

何気なく続いている習慣(「読書」や「書くこと」えとせとら)に
少し違った目線で見つめると、自分にとっての大切な部分が見えるのかもしれません。

何かに「気づき」を得るときって、
自分が無意識に受け身であることが当たり前になっていたことに
気づく瞬間なのかもしれませんね。

「本」も1つのツールにしかすぎません。

ちなみに元読書嫌いの私が読書をする理由は、いくつかあります。

1、思考力を養うため
2、集中力をつけるため
3、自分では言い表せない感情を文章で明確にしてもらいたいため
4,自分で学ぶと時間がかかることを、教えてもらいたい
5、そういった勉強する時間をつくるため

今の世の中、「本を読むことがいい」って風潮があります。
成功している人の自己啓発本を読むと必ず「読書習慣」があげられています。

本当に「読書」好きですか?
あまり好きじゃないのに、無理して本を読むことはないと思っています。
私自身、本を読むことが嫌いでした。

確かに「本」は、自分が知らない知識や経験、物の見方を変えてくれる存在ですが、嫌いなものを読む必要はありません。
得意な人に教えてもらったらいいだけです。

広い意味での「定義」はありますが、
大切なのは自分のなかの「意義」

そうやって一つ一つ、自分の中を好きなもので満たしていきたいですね♪

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