舞台芸術の国際共同コラボレーションに関するライブ・ノート(JK・アニコチェによるアイデアの和訳と原文)

2019年10月29日

APAFで出会ったアーティスト JK・アニコチェによる、国際共同コラボレーションに関してのアイデア。
価値のある、考えを深めていきたい内容だったので、日本語に翻訳して友人にシェアしたいとお願いしたら、快諾してくれました。

 *

ライブ・ノート インター - ナショナル・コラボレーションについての考え

1.

国際共同のプログラムやフェスティバルが、コラボレーションのためのインター - ナショナル(国家の-あいだ)なプラットフォームを開発するために、「オーディエンス(観客)」への働きかけに力をいれていくこと。

劇場というプラットフォームは、オーディエンス(観客)の「複数のなにかの/あいだ」とコラボレーションするものとしてある。アーティストたちのためにだけあるのではない。
「インター - ナショナル(国家の-あいだ)」なコミュニティを招待すること。(移民、アートファンなど。国際的なアートマーケットを超えることが必要とされるように)
それが多様性のある対話を促すこととなり、「インター - ヒューマン(人類の-あいだ)」のオーディエンス(観客)のために、「インター - ヒューマン」のコラボレーションをする上で、アーティストの想像力を助ける。

覚えておくべきは、パブリックに向けて無料で開かれているということが、必ずしも「支配的なパブリック」の会話においてしばしば除外されてしまうような人びとを招待をすることを意味してはいない、ということだ。

私たちはアーティストたちの間において、とても多くの興味深いやり取りを作りだしている。
しかしここに問いがある。どれだけの他のメカニズムが「やり取りの-間」に携われているだろう? 劇場の技術スタッフ、マーケティング、広報活動など、それらもまた交際の一部にはできないのだろうか?

オーディエンス(観客)に関して。
私たちは誰に話しかけているのか? 制作国のローカルな観客に向けて?

私たちはどうやって外国人の身体をエキゾチック化させないことができるだろうか?もしくは植民的な「やり取り」とされていた古いモデルのような「エキスポ(博覧会)」における薄っぺらい(参加各国紹介の)羅列でもするというのか? 誰が観ているか、ということについての、多様化をすることはできないだろうか?

2.

しばしばこれらのやり取りにおいて、私たちは(自国の)文化の専門家であろうとする傾向がある。私たちがそうしたことの専門家でないときにも。

オーディエンス(観客)と奨学を受けているアーティストはまた、「外国人の身体」からこうした情報(その国の文化)を手に入れようとしたがる。
グーグルで検索できるのに、まだそのことについて言う価値があるのか? もしくはブラウザのビューアーに対して、ダイレクトに「外国人の身体」が送る日々の生活というパフォーマンスの延長を検索するように伝えるのか?

私たちは歴史の専門家ではない。しかし、複数の歴史の関係の中において、私たちの複数の真実を伝えることについての専門家といえる。
そしてまた。誰かの夢を聴いたり、どこへ行きたいのかを聴くことも、私たちにはできるのではないだろうか?

3.

また別の傾向として、地理的な境界や政治などの違いを明確にしようとして話し合われることがよくある。
国の歴史を話し合ったり、パフォーマンスし合ったりして、シェアするのは簡単なことだ。未来をシェアすることの方が、よっぽど難しい。

「ネーション(国家)」の信条のもとにある私たちの「カルチャー(文化)」をプレゼンすることに、私たちは多くの時間を費やしている。
ネーション(国家)は、認められた歴史の後に、移民や安価な労働者などによる資本主義者のシステムの利益のもとに作り出されている。

どのように私たちは、前に進みながらも一緒に共存することを想像しよう?

「一緒に」ということは、必ずしも「同じに」ということを意味してはいない。どのようなフォームで私たちは話し合おうか? どのようなパフォーマンスを、私たちで作りだそう?

未来をシェアすることのリハーサルを、想像し創造することが、ステージの上ですごされるべきことだ。
劇場の時間は貴重な時を短縮し、日常の楕円(サイクル)に影響を与える。

どのように私たちはこうしたことを経験できる人たちを最大化するのか?
どのように私たちはパフォーマンスの空間と時間をシェアするのか?

4.

アーティストに関して。
もし部屋の中で、うるさすぎる声(意見)があったときに、どのようにマイクを手渡せばいいか?
どのように理解に向けて忍耐したらいいだろう、異なる知恵とバックグラウンドをもつ私たちにおいて、英語だけが私たちをうまくいかなくさせるほとんどの時間を?

英語は不十分な言語だ。ゆっくりにしたり、惹きつけたり、忍耐したりすることだ。なぜ強い政治的意見をもつかということを、他の人たちにどうやって聞いてもらうかという場合にも、同じことが言える。

5.

プロセスに関して。
私たちはみな、自身がもつカルチャー(文化)のニュアンスによって、プロセスを形作っていく。コラボレーションの中で、どれだけのこうしたプロセスが、クリエーションの時間の中で折り合いをつけられているだろう? 新しいメソッド(方法論)やプロセスの作り出し方を見つける意思がどれだけ私たちにあるだろう?

聞こえてくる声や、カルチャー(文化)を基礎においたプロセスを認める状況を作り出すことや、感性と信念の現れをファシリテートするだけではいけない。

「語られないもの」のための空間を。

6.

私はいつもこの問いかけに立ちもどる。友だちのシンタに聞かれた問いかけ。「私たちは誰のための価値を作りだすのか?」

7.

リフレクション(影響)は、必ずしもアクション(行動)を意味したり翻訳するわけではない。劇場は実利主義のリディレクション(別の場所に向け直す)のための空間である。

続く(To be continued)

 * * *

「これはライブ・ノートだからいつでも変化するし、もっと加えられていくよ」と、JKが言っていたことを付け加えておきます。未熟な英語力なので、誤訳を見つけた方がいたら、ぜひ教えてください。

 *

JK・アニコチェのプロフィール:
マニラを拠点に活動する「シパット・ラウィン・アンサンブル」のアーティスティック・ディレクター。被差別、被災コミュニティの若者向けのワークショップや読み聞かせの普及など、コミュニティと舞台芸術との関係を軸に幅広く活躍する。

 * * *

以下、JK・アニコチェによる原文です。

Live notes and thoughts on inter-national collaborations. Been moving around this past year. Grateful that I have met and worked with collaborators who are very reflexive and open and wonderful beings. Here ya go:

1. I just hope also that programs or festivals shall work harder to curate “audience” for this kind of inter-national development platforms for collaborations. The theater platform not just the artists shall collaborate with the inter/somethingness of the audience. Really invite inter-national community (migrants, art goers, etc. as seen necessary beyond the international art market also) to diversify conversation and help artists imagine an inter-human collaboration for an interhuman audience. Remember, open and free to the public doesn’t necessarily mean we invited people who are often excluded in “dominang public” conversations.

We create so much interesting exchanges among artists but the question is: how much of the other mechanisms are engaged in inter/ exchanges? Can the theater tech staff, the marketing, publicity, etc also be part of the conversation?

On audiences, who are we speaking to? To the local audiences of the producing country? How can we foreign bodies not be exoticised then or take the thin line of being in an “exposition” like in older models of colonial “exchanges”? Can we diversify too who is watching?

2. Often in these exchanges, our tendencies are to be expert in our own culture when we are not. That the audience and fellow artist also often want to get info from this “foreign body”. If we can google something, is it still worth saying? Or shall we direct the viewer to the browser and tell what to search in the extension of performance which is in their everyday life. We are not experts in history but often experts in telling our truths in relation to these histories. Also. Ask about one’s dream or where one wants to go , can we?

3. Another tendency is to talk mostly about differences defined by borders geographically, political etc.

Talking and performing national history and shared history is easy; reimagining shared future is more difficult. We have spent so much time presenting our “cultures” under the banner of “nations”. Just as nations are constructions where capitalist systems benefit from (migration, cheap labor etc), after acknowledging histories, how do we imagine moving forward and coexisting together? Together doesn’t necessarily mean “the same”. What form shall we take? What performances shall we make?

Imagining and creating rehearsals of shared future should be spent onstage mostly. Theater time is precious time condensed, a dent in the ellipses of everyday. How do we maximise these encounters?

How do we share space and time in performance?

4. On artists. How do we pass the microphone if we have the loudest voice in the room? How do we be patient to understand that we have different intelligences and backgrounds pnly that english fails us most of the time? It is an imperfect language. Also, talk slower, engage, be patient. Same goes with the ones whi have strong political voice, how to let others be heard?

5. On process. We all have processes shaped by own cultural nuances. In collaboration, how much of this processes are accommodated in creation time? How willing are we to look for new methods and process of making? Do not just facilitate the voice to be heard, create conditions to allow culture-based processes, sensibilities and convictions to emerge. Space for the “unsaid”.

6. I always go back to this question once asked by my friend Sinta, “who do we create value for?”.

7. Reflection doesn't necessarily mean or translate to action. The theater is space for materialising "Redirection".

To be continued

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ローカル(地域住民)とゲスト(旅人・アーティスト)が出会い、演劇、ダンスの手法を用いたワークで、地域コミュニティを流動・活性化させる「場」を作りたいと思っています。ご支援・情報共有、よろしくお願いいたします。

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あらゆるひとが社会的役割や立場、自らの属性、共同体の規範から解放される〈自由のための場〉をつくること。目の前のひとと向き合い、一対一の関係性をみつめる〈演じない〉ための演劇ワークショップ|2020年東京から豊岡へ移住。