小説と雑文の中間「ベストエンドのないエロゲー」


 本当はそれほど面白くもなかった演劇。その内容について僕らは色々なことを語り合う。あの登場人物はここがよかった、あの筋書きの本当の意味はこれこれこういうことだった、などなど。

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 すばらしい音楽を背景にして語られた話。話自体は大したことがなかったものなのだろうか?ただ音楽の力で無理やり僕たちは感動させられただけなのだろうか?だったら感動というものは、涙というものは、本来どこにあるものなのだろう?音楽の中にあるものなのか?それとも物語の中にあるものなのか?

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 あんなに何度もプレイしたエロゲー。物語の要所要所で選択肢が現れ、それに従って物語が変化していく。プレイする度に変化していく物語。そう言うと夢のようなものに思えてくるが、実際にはそれほどいいものではない。テキストそのものの質はいいわけじゃないし、選択肢もそれほど数が多いわけじゃない。次第にプレイヤーはセーブシステムをフルに活用してひたすらに未選択の選択肢をクリックしていくマシンと化す。すでに読んだテキストは読み飛ばし、まだ読んでいない部分を読んで、またテキストを飛ばす。そのくり返し。ジュースとポテトチップスを片手に、油ぎった手でひたすらにキーボードを叩いていく。その作業のくり返し。それは何かを読んでいる状態のようでいて、実は何かを読んでいる状態ではないのだ。

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 人生はテキストではないが、人生の中で残るものはテキストのみである。

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「これあげる…」

「何これ?」

「エロゲー。やるでしょ、あんた」

「まあやるけど…。なんていう題名?」

「題名?題名は…そうだな…”私を忘れないで”っていうのはどう?」

「どうって言われても…。え?もしかしてこれ…」

「そうだよ、私が作ったエロゲー」


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 1つの偉大な名作と、万のくだらない凡作。仮にどちらも同じ400年前の作品なのだと仮定したら、一体どちらが価値のあるものなのだろうか?

たとえばスペインの騎士小説。数多くの騎士小説が出版されたのにも関わらず、そしてそのほとんどは現代まで伝わっているのにも関わらず、その存在を知っている人間はほとんどいない。

1つの大きな小説には、その他の名も知れない小さな小説がいくら集まったって勝つことはできない。巨大な核兵器に100万人の優秀なゲリラ兵が勝利することができないのと同じように。

ならば小さな物語を書く意味などというものは存在しないのか?この問いに対する君の答えは「いや、小さな物語を書いて売ることによって金を稼ぐことができるじゃないか。それで経済がまたちょっとだけまわるのだから、物語が作られる意味はあるさ」などという糞面白くもない決まり文句しかないのであろうか?小さな物語は何にもなることができないのだろうか?小さな人間がどこにも行くことができないのと同じように?


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 彼女はいなくなってしまったけれど、ゲームは残った。彼女は幸せな結末を手にすることはできなかったが、少なくともゲームにはベストエンディングが用意されているはずである。

 そのゲームには7人のヒロインが、すなわち7つのルートが用意されていた。これらのルートを全てクリアーすれば最後のシナリオが現れて、それをクリアーすれば僕はベストエンディングを、そしてエンドロールを鑑賞することができる…はずだった。

 僕は未だにベストエンディングをプレイすることができていない。あれからこのゲームを何十時間も、何百時間もプレイしたというのに。

 だから僕は、まだこの部屋を出ることができない。このじめじめとした地下室を。


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 1つのルートを終わらせること。それは1つのさよならを言うことと同じくらいに難しい。

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