小説あるいは雑文「3つの目と3本の腕と2つの口を持った化け物 」



 下校途中の女子中学生を男が暗がりに引きずり込むという事件が起きた。3時間ほど経って少女は交番に姿を現し、男に襲われた旨を話した。少女が話した特徴に合致した不審者が間もなく発見され、事情聴取の末にこの男が犯人であるということが判明した。男は間もなく逮捕された。


 少女は被害の内容を詳しくは語らなかった。犯人の男は「別にそんな大したことをしたわけじゃない。ただちょっと抱きついて色々と触っただけのことですよ」と自らの犯行を解説した。確かに交番に現れた時、少女の衣服がそこまで乱れている感じはしなかったし、少女には目立った外傷もないようだった。しかし少女は明らかに深く動揺し、傷ついた様子をみせていた。しかし「何をされたのか」ということは黙して語らなかった。結局主に犯人の供述に従って裁判は進められ、暴行罪その他の罪状によって立件され、ごく軽い判決を受けて法的手続きは終結した。が、少女の中で事件はまだ終わっていなかった。


 彼女はそれから化け物の幻覚を見るようになった。化け物は3つの目と3本の腕と2つの口を持っていた。3つめの目と2つめの口は後頭部に、3本目の腕は背中についていた。だから正面からは普通の人間に見えたが、後ろから見ると化け物だということを一瞬で知ることができた。主に少女が1つのところに留まっている時、その化け物は姿を現すようだった。たとえば信号待ちをしている時、たとえば公園のベンチに座ってアイスを食べている時、必ずその化け物は彼女よりも高い場所に立って彼女をあざわらった。


「3つの目が開いている時、3つめの目は役には立たない。焦点があわなくなるから。しかし2つの普通の目を閉じた時、3つめの目は全てを見通すようになる。あなたの心の奥に隠された本当の欲望を、3つめの目は露わに映し出す」


 彼女はそれから1つのところに留まることができなくなってしまった。彼女は常に歩くようになった。食事をする時でさえ、出来るだけパンか何かを買って歩きながら食べるようにした。それでもトイレに行く時、眠る時など、どうしても1つのところに留まらなければいけない時というものはあった。そういう時には必ずその化け物が現れて彼女のことを苦しめるのだった。


「3つの腕が動いている時、3つめの腕は役には立たない。それはろくなものをつまむことができない。しかし2つの普通の腕を切り落とした時、3つめの腕は全てを引きずり出すことができるようになる。あなたが隠そうとしている悪臭を放つそれを、あなたが墓場の奥まで持っていこうとしている泥と垢のついたそれをしっかりとつかんで、陽の光のあたる場所まで引きずり出すことができるようになる。私は流水でそれを洗って泥を落として、薄くスライスして爪楊枝を刺して、刺身醤油をつけて道行くみなさんに召し上がっていただく。それを口にした人間はみんな口をそろえてこう言う。眉をひそめて顔をしかめてこう言う。「これじゃ救われないのも当然だ」って」

 彼女は授業を受けることができなくなってしまった。席について教科書とノートを開いて前を向くと、決まって化け物は教壇の上に立って彼女をあざわらっているのだ。目をそむけて窓の外を見ても、やはり化け物はすいすいと空を平泳ぎしながらこちらを見て笑っている。

「2つの口が開いている時、もう片方の口は役には立たない。その声はあまりにか細くて普通の声にかき消されてしまうから。しかし普通の口を縫いつけた時、2つめの口は最後の言葉を放つだろう。その言葉はあなたが命と引き換えにしてでも聴きたいと思った言葉であると同時に、それを聴くなら死んだ方がましだと思った言葉でもある。その言葉を聴いた時にあなたがどうなるのかということはお前が一番よく知っている。最後の言葉を聴いた時、泣くほど望んで死ぬほど憎んだその言葉を聴いた時、あなたは…」


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