小説風雑文
「あたしは寂しい」
「僕がそばにいるよ」
「あなたじゃだめだ」
「どうして?」
「あなたは薄汚い烏だから」
項垂れた僕は彼女の部屋を後にする。すぐそばの廊下に、申し訳なさそうな顔をした彼女の母親が立っていた。「娘が失礼なことを言って、本当にすみません」と彼女は言った。彼女の後について階段をおりていく。リビングの真ん中には真っ白なクロスがひかれたテーブルが置かれてあった。その上のティーポットを手にとって彼女はこう言った。
「お茶をごちそうしましょう。おいしいお菓子もありますので…」
僕は手を振って遠慮した。
「これからちょっと病院に行かなければならないんで…」
「そうですか…」
彼女はすたすたと僕に向かって歩いてきた。僕の目の前に立つと僕の手を握り、彼女自身の額におしあてた。何度も何度も。そして彼女は顔を上げて一言、「ありがとうございました」と言った。彼女の瞳には涙が浮かんでいた。もらい泣きしそうになった僕はできるだけ彼女と顔を合わさないように、そそくさと彼女の手を振り払って玄関へ向かった。逃げるようにドアを開ける僕の背中に向かって彼女はこう言った。
「あなたは薄汚い烏なんかじゃないです。あなたはとても立派な人…」
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その後僕は精神科を訪れた。顔なじみの先生に尋ねてみる。
「僕は烏に見えますか?」
「私には烏には見えません。あなたには羽根が生えていないし、くちばしも伸びていない。どこからどうみても私には烏には見えません。人間にしか見えません。おそらくDNA検査をしてみたとしても、あなたは人間だということを指し示す結果しかでてこないと思いますよ」
「そうですか…」
「あなたは自分が烏だと思うのですか?」
「いえ、思いません。僕は自分は人間であると考えています」
「その考えは間違っていません。あなたはあなたが人間だと思っているし、僕だってそう思っている。このナースだってそう思うに決まっている。なあそうだろう?」
「はい。あなたは私には人間に見えます」と、そばにいた胸と尻の大きなナースが言った。言った後に舌で唇のまわりを舐めた。
「ね?間違いなくあなたは人間です。誇ってもいいのですよ。…ひとついいことを教えてさしあげましょう。ねえ、耳を貸して」
僕は耳を先生の近くに差し出した。先生が口を僕の耳に近づけてこう囁く。
「あのナースはね。僕の愛人なんです。可愛いでしょう?でも嘘はつかないから安心していいですよ」
先生はそれから僕の肩にそっと手を置いてこう言った。
「薬の処方は必要ありません。大丈夫、あなたは健康ですよ」
僕は烏ではない。そうなると彼女は嘘をついていたことになる。そして「烏である」という理由以外に、僕が彼女のそばにいることができない理由が存在することになる。それは一体何なのだろう?と近くの公園のベンチに座って空を眺めながら僕は考えている。
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