記憶について

記憶を辿っていく。何年か前にも通った道を歩いていく。あちこちにゴミが落ちている。ポテトチップスの袋や、ガラスの破片や、壊れた冷蔵庫。そういったものがあちこちに落ちている。多分はるか昔に僕が捨てたものなのだろう。なぜならこの道を通ることができるのは僕だけなのだから。

少年がいる。ひたすらに蟻をつぶしている。彼は今1人でつぶしているが、やがてその数は2人になり、最終的には3人になる。彼は夢中で蟻をつぶしている。僕は迷う。彼が蟻をつぶすのをやめさせるかどうかということで。見ると、彼の回りには僕と同じように悩み事をしている男がたくさんいた。これらは全部多分僕なのだろう。何度も僕はここにきて、そして彼のこの小さな虐殺をやめさせるかどうかということについて頭を悩ませ続けてきたのだろう。


そして結局、とめないことに決めるのだ。いつでも。だからこの少年は今でも蟻をつぶし続けているのだ。


僕は来た道を引き返しながら記憶について考える。結局のところ、人間1人1人が固有の記憶を持つ時代はいずれ終わるのかもしれない。記憶圏なるものが各地に出来上がり、個々人の記憶はそれぞれの圏に吸収され、消えうせる。か弱き人間がスーパーオーバーロードに最終的に統合されてしまったのと同じように。

歴史すら事物と化してしまうのなら、記憶も事物と化してしまうこともありえるのではないか?全ての人間が歴史的主張にエビデンスを求めるようになる。全ての人間が記憶的主張にエビデンスを求めるようになるのも時間の問題ではないだろうか?

僕に記憶はあるのだろうか?この目の前に広がる森のようなものは記憶なのだろうか?中には泉が流れている。梢から梢へと猿が歯をむき出しにしながら伝っていく。鹿が枯れ葉の中に糞をしている。魔法使いが焚き火をしている。これは記憶なのだろうか?こんなことは僕は経験しなかった。しかし記憶の中にはなぜかあるのだ。しかし頭の中にはあるのだ。そうである以上、これを僕は記憶を呼ばなければならないのだろうか?


少年時代には色々なところへつれていってもらった。どこかの火山のふもとにも行った記憶がある。硫黄の匂いがしていた。その匂いは子供時代の僕には糞便の匂いとしか思えなかった。どこかに便所があるのかと疑ったくらいだった。何十メートルか先の方に便所は確かにあったのだが、しかしそれは硫黄の匂いだったのだ…


僕は旅行で海や森や山で行った。それが日常でなかったことは確実だ。日常は、ふるさとは、間違いなく都市であった。都市の片隅に建てられたマンションの一室。僕の原風景はそれであった。さらに言うならば、その部屋の中の椅子やソファーに座って観たアニメや、読んだ漫画や、プレイしたゲームこそが僕のふるさとだった。ゲームの中では飽きるぐらいに森を探検した。それはただの森じゃない。モンスターが現れてくる森であった。僕は剣を握って森の中に入り、奇怪な動物を打ち倒す毎日を謳歌していたのだ。

ゲームを知らない人は普通「森」と聞いたらあの自然豊かな、じめじめと苔むしていて、たくさんの虫がとびまわる、生命ゆたかな森のことを思い浮かべることと思う。どれだけ「ゲームの森」のことについて説明を受けたとしても、やっぱりゲームを知らない人々が思い浮かべるのは、自分の心の中に存在する森なのだと思う。ゲームの森は一種の記号で、それは彼らの心の中の原風景としての森を指し示すものだからだ。


僕たちはまず最初にゲームの森を知った。いわば記号の方を先に知ったのだ。しかも記号を記号として認識したのじゃない。僕たちはその森を、実際にモンスターが出没する、実体としての森として認識したのだ。だから後に本物の森を見ても、それがいわゆる「森」だと思うことはできなかった。

少なくとも子供時代の間は、僕は「森」という単語からゲームの森をイメージしていた。それどころかほとんどの単語からイメージされるのは「ゲームやアニメや漫画の中のモノ」であった。「川があった」のならそれはアニメの川だし、「血が流れた」のならそれ漫画の中で流れる真っ黒の血だし、「主人公がいた」のならそれは僕自身ではなく、あくまで僕が操作するキャラクターに過ぎなかった。


ゲームをしたという記憶は、どういうものなのだろう?それは一種の記号であり、しかし実体でもあった。漫画を読んだという記憶も似たようなものだ。アニメもそうだ。それは記号だったのか?それとも実体だったのか?あるいは両方の性質を兼ね備えたものだったのか?


小説を読むことも経験の一種だという話はよく聞く。現実に何かを体験した時に刺激される脳の部位が、小説を読んだ時にもまた刺激されているのだという話は聞いたことがある。ではアニメやゲームや漫画はどうなのだろう?それらを体験した時に刺激される脳の部位と、現実世界を体験している時に刺激されるそれは同じなのだろうか?本当に?


犯罪を描いた漫画というものがある。それを読んだ時に得ることができる高揚感とは、実際に犯罪を犯した時に得られるそれと同じなのだろうか?

僕は記憶の中を歩いていく。記憶についてあれこれと考えをめぐらせながら…

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