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星野源結婚記念に積ん読から昇格した本と寄席

星野源とガッキーが結婚したというのは、ドラマの中の出来事だと信じ切っていた。ところが友人のお嬢さん(と言ってもすでに30代後半)がインスタで「おめでとう」とお祝いしているので、まさかドラマで結婚してもそこまでしないだろうと。

ようやく本当のことかと認識した昨夜。

確か積ん読のなかに源ちゃんのエッセイがあったはず、と引っ張り出しました。

最近のマイブームは、積ん読から読了に昇格しメルカリで次の方の元へ送り出すこと。

※メルカリもなにやらニュースに取り上げられていましたね。だから口座と連携するのは避けておきたいところです。

さっそくひっぱり出し昇格の憂き目を味わっていただくべく。


パラパラと読み進めるうち「人間」というエッセイにぶち当たりました。


源ちゃんが鶴瓶師匠との思い出を語っているのですが、鶴瓶さんが親友の今は亡き中村勘三郎さんとの思い出話に花を咲かせたあと「人間は死んだら終わりなんや」と、ついいましがたまで周りを笑わせていた鶴瓶さんの目がまったく笑わなくなったのだと。

「まだ勘三郎が死んでから1年やろ。なのにもう、みんな忘れる。死んだら終わりやで。」キッとこちらを向いた。「だから源ちゃんは死んだらあかんねん。死なんでよかったなあ」


それから2年後、鶴瓶さんからお声がけがあって『鶴瓶噺』に初めてお邪魔したときのこと。

鶴瓶さんの師匠の笑福亭松鶴の三十回忌なのでと松鶴師匠との笑いの隙間にさまざまなエピソードを織り交ぜ話した最後をこう結んだそう。

「人間は死んでも終わりじゃないんです。」「残された者がその人を語り、バトンを繋いでいきますから。だから、人間は死んでも終わりじゃない。それが、今回いいたかったことです」


「人間は死んだら終わりなんや」

「人間は死んでも終わりじゃない」

この2つの言葉のはざまに、どれだけの想いと、憤り、決意があったことか。

鶴瓶さんのことを思い涙したと綴ってあるが、それは生死を彷徨った経験がある源ちゃんが感じるさまざまと重なり、たくさんの想いが交錯し、涙したのだろうと、容易に想像できた。




その後開いたnote、飛び込んできたのはお代官の記事。

おや?なんとタイムリーなことか。

さっそく開いて見れば寄席の危機を救いたい黒門町の若旦那の記事を紹介していた。

こんなご時世で寄席は存続の危機に見舞われていて、にっちもさっちもいかずクラウドファンディングを開始したのだとか。

私もclubhouse寄席で機会をみて応援と思っていた矢先のこと。さっそく黒門町の若旦那のnoteにもお邪魔しました。

日本の伝統芸能を応援したい。失くしたくない人間が結集している様で、プロジェクトは順調に推移しているとのこと。


しかし何かしら抜本的な改革がなければ先行きの不安が払拭されるわけもなく。文化・芸能・スポーツが生きる上で間接的に必要なものであるのは周知の事実です。

応援することは、応援するのではなく応援されることとイコール。

少なくとも、気持ちだけでも寄せておきたいものです。





今日も最後まで読んでくださりありがとうございます! これからもていねいに描きますのでまた遊びに来てくださいね。