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小説 センチメンタルジャック(全文)


「お爺ちゃん!ちょっと待って!」

ミニスカートの制服姿の女子高生が慌てて駆け寄って来た。

「こいつはもうダメじゃ」

公園の放置ロボット撤去の仕事をしている爺さんが言った。クレーンの付いた軽トラの荷台には、撤去されたボロボロのロボット達が積み重ねられている。

爺さんはクレーンの操作レバーを上げた。クレーンの先には古びたロボットがだらりと力無く吊るされていた。

「ああオレの命もこれまでだ、みんなさようなら、ありがとう」

錆だらけのロボットは、声を掛けてくれた女子高生に向かい、残り僅かな電力でバイバイと手を小さく動かした。

「お爺さん、あのロボット助けてあげてよ」

「もう動かない、ただの鉄屑じゃ」

「まだ動いてるじゃん!かわいそうだよ!私が連れて帰るから、お願い、降ろしてあげて」

「え、うーん、しょうがないなあ」

爺さんは困り顔でクレーンのレバーを下げ、ロボットを地面に降ろした。

「お嬢ちゃん、もしスクラップにするならここに連絡しな、取りに行くから」

爺さんはシルバー人材センターと書かれた名刺を女子高生に渡すと、軽トラに乗り込み去って行った。

「助けてくれてありがとう、僕の名前はジャック、よろしく」

ジャックはギシギシとボディを軋ませヨロヨロと立ち上がり、女子高生に手を差し出した。

「私は美紀(みき)、ジャック私の家においでよ、オイル風呂に入れてあげる」

美紀は綺麗な歯並びの大きな口でニッコリと微笑んだ。小さな顔にクリッとした大きな瞳、その笑顔からはキラキラと眩いばかりの若いエネルギーが溢れ出している。

ジャックは美紀の発するエネルギーで少し元気を取り戻した様に感じていた。清らかで美しい美紀にジャックは鼓動の高まりを覚えた、ロボットに心臓は無いはずなのに。

こんな年老いた薄汚い僕を何故美紀は助けてくれたのだろう、ジャックは嬉しさ半分、不安も半分だった。

人間は肉体労働を全てロボットに任せる様になりほとんど働かなくなった。ジャックは労働力不足を補う為に今から五十五年前の西暦2035年に作られた旧型の労働ロボットだった。

ジャックは約四十年間、昼夜休み無く自動車工場でドアにビスを止める仕事をしていた。

しかし量子エネルギーと言う新しい動力が発見されると、新型のUFOに似た乗り物が一気に普及し、ガソリンや電気で動く自動車は急速に廃れて行った。そして自動車工場は閉鎖されジャックは仕事を失った。

次にジャックはビルの解体の仕事に就いた。街には供給過剰でゴースト化したタワマンやオフィスビルが溢れていた。そんなビルの不要になった上層階を解体し一階部分だけにする仕事。人々はちょん切られ一階だけになったタワマンをタワマン長屋と呼んでいた。

あれほどニョキニョキあったタワマンもあれよと言う間に長屋化すると、ジャックの仕事はとうとう無くなってしまった。近年街にはジャックの様な職を失った浮浪ロボットが溢れ、大きな社会問題となっていた。

邪魔なタワマンやオフィスビルが東京から消え、高台の公園からは富士山や広大な関東平野を囲む山々をぐるり見渡す事が出来る様になった。

劣化した太陽光パネルでは電力が足りず、ジャックはいつも身体が重かった。最近はほとんど一日中この景色の良い公園のベンチで寝て過ごしていた。

公園には小さな子供を連れたお母さんが良く散歩に来る。その日も子供がベンチで休んでいたジャックの側に近寄って来た。子供好きなジャックは、こんにちは隣にどうぞ、と口元をギシギシ言わせて微笑んだのだが子供は怖がって泣き出してしまった。

お母さんは、まるで汚物でも見るかの様に蔑んだ目でジャックを睨んだ。

ごめんねぼく、怖がらせるつもりは無かったんだよ。ああ僕の人生、いやロボット生もそろそろ終わりが近いのかな。

ジャックは目を閉じ、そのまま眠ってしまった。

「おう、ここにもおったわ、こいつももうダメじゃな」

放置ロボット撤去の仕事をしているシルバー人材センターの爺さんがジャックを指差した。そして軽トラのクレーンでジャックを持ち上げた時、

「お爺ちゃん!ちょっと待って!」

スクラップになるすんでのところでジャックは美紀に助けられたのだった。

美紀は自宅のあるタワマン長屋にジャックを連れて帰り、オイル風呂にジャックを入れた。

「ああ気持ちいい、何年ぶりだろう」

オイル風呂に浸かりジャックは大きく息を吐いた。オイル風呂は何十年も前に一度だけ入った事があった。でもそれは法令に定められた数年に一度のロボット検査(ロボ検)を通す為、ケチ社長が仕方なく入れてくれたものだった。

ジャックは軋んだ身体の関節一つ一つをを動かした。その度に錆や金属カスが浮き上がり、風呂はすぐに真っ茶色に濁った。

「綺麗になったじゃん、ジャック」

風呂から出ると美紀はバスタオルでボディを丹念に拭いてくれた。何だか裸を見られている様でジャックは恥ずかしかった。

「ありがとうございます、美紀様」

「様は付けなくていいよ、ジャック」

「あ、はい、じゃ美紀ちゃん、いや美紀さん」

「ウフフ、はいジャック足上げて」

美紀はとても可愛らしい顔をしている。昔工場のテレビで見たアイドルグループの麻衣ちゃんに似ている。膝の関節から滲み出るオイルを丁寧に拭き取る美紀を見下ろしながらジャックは思った。

ジャックは昔工場の同僚ロボットのトムに言われた言葉を思い出した。ケチ社長の娘を、可愛い子だ、とジャックが言った時トムは毅然と言い放った。

「あの子の顔は全て作り物、酷い整形顔だ、しかも性悪、あんな女に引っ掛かると大変だぞ、お前はホント女を見る目が無いから気を付けろ」

「トムに言われた事は確かにその通りだった。でも美紀は絶対に整形では無い、そして性格も良さそう、あ、イヤン、そこはダメ」

美紀のタオルが股間に差し掛かった時、ジャックは思わず身体をよじった。

ジャックが美紀の家で暮らす様になったある日、美紀は高校のロボット部の友人、康二(こうじ)を連れて帰って来た。

太陽光パネルの劣化で十分な発電量を得られず、いつも元気の無いジャックを美紀は心配していた。

「かなり旧式のパネルだね、おばあちゃん家にある昔の太陽光パネルに取替えてみよう」

康二はジャックを見るなり言った。

「え、手術するの?やだよ、怖いよ」

ビビりのジャックはブンブンと首を降った。

「ジャック、心配しないで、康二君は学校でロボットのドクターXって呼ばれてるんだよ。どんなロボットでも直しちゃうんだから」

美紀が言うと、

「私失敗しないので、エヘヘ」

康二はサラサラのヘアーを搔き上げながら笑った。綺麗な白い歯がキラリと光る、康二は爽やかな好青年だ。美紀と康二は美男美女で、もし二人が付き合っているとしたら、とてもお似合いのカップルなんだろう。

僕も若い生身の人間で、康二の様なイケメンだったらなあ、ジャックは自分が金属で出来た五十五歳のおじさんロボットである事が悲しくなった。

「ジャック、終わったよ」

太陽光パネルの交換中、電源を落とされていたジャックは康二の声で目を覚ました。手術は無事終了した様だった。

「ジャック、このボタンは何?いろんなロボットを見て来たけど、こんなボタンは見た事無いなあ」

康二はジャックのお腹の配電板にあるCTモードと書かれた小さな赤いボタンを指差した。

ジャックは自分のお腹にあるボタンを見た。ボタンは仄かに赤く点灯している。

「このボタン、他のロボットには付いて無いみたいなんだ。何のボタンか良く聞かれるけど、僕も良くわからないんだよ」

「ふーん」

康二は首を傾げ不思議そうな顔をした。

CTモードのボタンは時に強く光ったり、点滅したりする、時には消灯する事もあった。消えたら死んでしまうのでは無いかとジャックは心配したが、消えても何も起こら無い。意味の無いボタンなんだろう、と最近はその存在すら忘れていた。

太陽光パネルを交換したジャックはすっかり元気を取り戻し、共働きの美紀の家の家事をほとんどをこなす様になった。

家事の中でジャックが一番得意としていたのは料理。特にふわトロのオムライスは家族皆に大好評だった。繊細な味覚センサーと器用な指先を持つジャックは、自動車工場よりレストランで働いた方が良かったのかも知れない。

ジャックが寝ているのは美紀の部屋。美紀の部屋にはピンクの可愛いベッドがあり、大きなクマさんのぬいぐるみが置いてある。何だかいい匂いがして、初めて入った時、ジャックはドキドキした。

美紀はクローゼットの中に沢山掛けてあるフリフリのワンピースを片方に寄せ、ジャックが寝る為のスペースを作ってくれた。

ジャックが夜クローゼットの中に入ると、ジャックおやすみ、と言って美紀はクローゼットの扉を閉めてくれる。ジャックは自ら就寝モードのボタンを押して眠りに付く。

その夜ジャックは中々寝付けなかった。隣で美紀が誰かと電話していた。コソコソ小さな声で話し、時にウフフと楽しそうに笑う。

誰と話してるのか、何の話をしているのか、盗み聞きしてはいけないと思いつつ、ジャックは気になって中々眠れ無かった。

その夜、まんじりともしないまま朝を迎えたジャックは、ベッドで寝息を立てている美紀を起こさない様に静かにクローゼットから出ると、誰も居ない台所に向かった。

ジャックは毎朝、一番早く起きて家族の朝食を作っている。冷蔵庫から卵のパックを取り出すと、片手で器用に割り箸でリズム良く混ぜ始めた。

「カッ、カッ、カッ、カッ、カッ!」

ボールの中で黄身と白身が混ざり合って行く、その音で目を覚ました美紀の家族が次々と起き出して来た。

「ふあぁ、ジャックおはよ、いい匂い、やった!スクランブルエッグだ」

パジャマ姿の美紀は、ジャックが振るフライパンを覗き込んでから食卓に着いた。

「ねえジャック、今度の土曜日花火大会に行こうよ」

「花火大会?」

「河川敷でやるんだ、一緒に見に行こ!」

ジャックは花火をテレビでしか見た事が無かった。

「お母さん、行っても良いですか?」

「もちろんよジャック、美紀と一緒に行ってくれたら私も安心よ」

美紀のお母さんは優しく微笑んだ。

「はなび、はなび、フンフンフン」

ジャックの頭の中は花火の事で一杯だった。

「ヒュー、ドッカーン!」

鼻歌を歌いながら家族の洗濯物を干していたジャックは、空を見上げて大きく手で丸を描いた。

「ああ、初めての花火、楽しみだなあ」

青空にハタハタとひらめく洗濯物までもが、今のジャックには連続で打ち上がった花火に見えた。

ジャックは毎日朝から晩まで花火大会の事ばかり考えて過ごしていた。河川敷で体育座りした浴衣姿のカップルが肩を寄せ合いながら花火を見上げている。昔テレビで見たそんなシーンをジャックは思い浮かべた。

「早く土曜日にならないかなあ、美紀は浴衣を着るのかなあ、だったら僕も浴衣着たいなあ、ムフフ」

何度も同じ事を一人妄想しながらニヤついてるジャックだった。

「ジャックまだあ、もう行くよ!」

美紀の呼ぶ声が聞こえた。

「はいOK!ジャック、中々の男前よ」

ジャックはお母さんに昔お父さんが着ていた浴衣を着せてもらっていた。着せ終わったお母さんはジャックの浴衣の帯をポンと叩いた。

お待たせ、とジャックが玄関に行くと、浴衣姿の美紀が待っていた。

「お!ジャック、浴衣似合ってるじゃん」

「そうかなあ」

「行くよ!場所取りしないと」

照れ臭そうに頭を掻くジャックの手を美紀は引っ張り二人は家を出た。

今日の美紀はいつもは降ろしている髪の毛をお団子にしている。お団子に刺した髪飾りが歩みに合わせキラキラと揺れる。ピンクの花柄の浴衣を着た美紀はとびきり可愛いかった。

河川敷へと続く道の両側には屋台がズラリと並び、花火を見に行く人達でごった返していた。二人ははぐれない様に手を繋いで歩いた。美紀の手から伝わる温もりに、ジャックはロボット人生最高の幸福感に包まれていた。

小高い土手の階段を登り切ると一気に視界が開けた。

広大な河川敷には花火大会の為に解放された野球場とサッカーグランドがあり、既にシートが点々と敷かれていた。その向こうに大きな河川の本流が流れているのも見えた。

「おーい!美紀い、こっちこっち」

サッカーグランドに敷かれたシートの上に立っている浴衣姿の男が手を振っている。

「あ、康二!いたいた」

美紀は握っていたジャックの手をパッと振り解き、浴衣の裾がはだけるのも気にせず一目散に土手を駆け降りて行った。

「ジャック!何してんの、早く来なよ」

あっと言う間に康二の元にたどり着いた美紀は、土手の上でポツンと一人立ち尽くしているジャックを手招きした。

「僕は康二と花火大会に行く為に利用されただけか」

夕焼けが空を染め川の水面に反射して辺り一面をオレンジ色に染めている。ジャックは一人トボトボと土手を下って行った。

「ドーン!ヒュー、ドドーン!!」

初めて見る花火は想像以上に美しく、腹の底迄響き渡る轟音と共にジャックの心に強く焼き付いた。

その迫力に言葉を失い見惚れていたジャックだったが、ふと我に帰り隣を見ると、美紀と康二が肩を寄せ合いながら花火を見上げていた。

見てはいけないものを見たかの様にジャックはギュッと目を閉じ、ブンブンと首を振り無理矢理空を見上げた。

だがジャックは美紀の事が気になり、再び横目でチラリと見ると、美紀の頭が康二の肩に乗っている。そして康二は美紀の背中に優しく手を回した。

「ドドーーーーーン!!」

大きな二尺ダマが開いた。辺りをつん裂く爆音を残し巨大な花火の花が夜空一面に広がる。その花びらはジャックを包み込む様にゆっくりと垂れ下がって来た。

「もう絶対に隣は見ない」

そう自分に言い聞かせ、ジャックは花火に夢中なフリをしていたが、隣の二人の事が気になって、花火はほとんど目に入っていなかった。

「今日は楽しかったね、美紀」

「うん、花火とても綺麗だった」

美紀と康二は別れが惜しいのか中々帰ろうとしない。あれほど大勢居た花火の観客はほとんど帰り、辺りは夜の闇に包まれた。二人は土手の階段に座って名残惜しそうにいつまでも話しをしている。

美紀、もう帰ろう、お母さんが心配するよ、と言いたいジャックだったが二人の恋路を邪魔する様で、中々言い出せずにいた。

はあ、早く帰りたいなあ、邪魔者の僕は居ずらいよ、体育座りのジャックは膝に顔を埋めた。

あれ、変だぞ、ジャックは自分のお腹に妙な違和感を感じた。いつもは明るく光っているお腹のボタンが暗くなっている事に気付いた。ジャックは恐る恐る浴衣を少しはだけてみた。するとCTモードのボタンが暗く消えかけていた。

どうしたんだ、僕大丈夫か、死んでしまうのか、ジャックは怖くなって自分のお腹を何度も摩ったが、CTモードのボタンは今にも消えそうにぼんやりと光るままだった。

「じゃあね、康二」

反対方向に帰る康二の姿が見えなくなる迄、美紀はずっと手を振っていた。

明日学校でまた会えるはずなのに、康二も時折振り返りながら名残惜しそうに帰って行く。

「帰ろ、ジャック」

ようやく康二の姿が見えなくなると、美紀は振り返りジャックの手を握って来た。

僕の事を都合よく使わないでくれ、ジャックはムッとして美紀の手を振り払うと、一人でスタスタ歩き始めた。

「どうしたの?ジャック」

「何でも無いです」

「こんなに人がいたら、はぐれちゃうよ」

そう言って美紀はまたジャックの手を握って来た。

若い二人にヤキモチ焼くんて、僕はどうかしている。人間の若い女の子がこんな錆だらけのおじさんロボットを好きになる訳無い、当たり前の事だ。

土手の上を歩きながら、ジャックは少し冷静さを取り戻した。

ビュウ!

突然川の方から強い秋風が吹き付けた。

「ひゃー、寒くなって来たね、ジャック」

美紀がジャックの腕を掴みピッタリとくっ付いて来る。

僕に出来る事、それは美紀を守ってあげる事、それだけで僕は幸せだ。

金属のジャックの身体が美紀の体温で少しずつ温まって行く。ジャックはそれがとても心地かった。

さっき消えかけていたCTモードのボタンが、いつの間か明るく点灯していた。その事にジャックは全く気付いていなかった。

最近、美紀の帰りが遅くなった。学校に残って勉強していた、といつも美紀は言い訳するがそれは嘘だ。その本当の理由をジャックは知っていた。

この冬に大学受験を控えた美紀が勉強をするのはもっともな事なのだが、勉強で帰りが遅い訳では無い事は、お母さんも薄々感づいている様だった。

「美紀遅いわね、ジャック駅まで迎えに行ってあげて」

「はい」

帰りの遅い美紀を迎えに行くのは、すっかりジャックの仕事になっていた。

美紀の居場所を知っているジャックが向かったのは駅の方では無く、駅とは反対の土手の方だった。

土手の階段を登り切るとジャックは迷わず鉄橋の方に向かった。しばらく歩くと、河川敷に下る坂の途中に寄り添いながら座る二つの影が見えて来た。

「あ、ジャックが来た、帰らなきゃ」

ジャックの発するキキと言う軋み音が近づいてきた事に美紀が気付いた。

「じゃあね、美紀、気をつけて」

「うん、ジャックがいるから大丈夫、また明日ね」

美紀は康二に手を振り、土手を駆け上がって来た。

「ジャック帰ろ」

腕を組むように美紀はジャックにぴったりとくっ付いて来た。

「ジャック、私がいつも康二といる事、お母さんに内緒にしててくれてありがとう」

「...」

お母さんは多分気付いているよ、と美紀に言いたいがジャックは黙っていた。

「私康二と同じ大学に行きたいの」

「...」

「エヘヘ、私にはちょっと高望みなんだけど、でも康二が勉強教えてくれるって」

ハイクラスの康二は学校で常にトップクラスの成績だったが、凡クラスの美紀は成績が決して良い方では無かった。

「これから毎日康二と一緒に勉強するんだ。一生懸命勉強して絶対合格する、だから応援してねジャック」

美紀はジャックの腕を引き寄せニッコリと笑った。

受験勉強を一緒にだなんて、ただ康二と居たいだけでは無いのか、受験とはそんなに甘いものなの?ジャックは美紀に問いたかった。

「ほら見て、星がキレイだよ、ジャック」

美紀は夜空を指差して無邪気にスキップしている。

ずるいよ美紀、その可愛い笑顔で僕はイチコロさ、わかった、美紀の事応援する、僕にはそれしか出来ないから。

金色に輝く一番星を見上げなからジャックは思った。

「お母さん、これから毎日康二と一緒に勉強する。帰りは遅くなるけど、近所のマックにいるから心配しないで」

美紀はその夜お母さんに宣言した。受験勉強をすると言う娘を止める理由も無く、しかも成績優秀な好青年の康二とならば安心、とお母さんはあっさり認めた。

親の公認を得て以降、美紀の帰りは一層遅くなった。

二人は学校が終わるとマックに入り浸り、迷惑そうな店員達を他所目に毎日閉店間際まで居座った。そして日付けを超える頃に康二は美紀を家の前まで送り届けた。

ジャックが寝る時間を過ぎても美紀は帰って来ない、美紀の帰りが気になり中々寝付けないジャックがようやくウトウトし始めた頃、窓の外から別れ際の康二と美紀が何やらコソコソ話している声が聞こえて来る。その声が気になり出すと、ジャックはまた目が冴えてしまう。そんな日々が続いた。

木枯らし一号が吹き荒れ、街路樹のイチョウの落葉が銀杏臭漂う歩道を真っ黄色に染めた。受験生の二人にも容赦無く時は流れ、新年を迎えるとすぐに受験シーズンがやって来た。美紀と康二は満を辞して目指す第一志望の大学を一緒に受験した。

模試では常にA判定の康二だったが、第一志望の大学は不合格と言う結果に終わった。美紀はもちろん受かるはずも無い、しかし滑り止めで受けた大学に辛うじて引っ掛かった。

合格に絶対の自信を持って挑んだ康二は第一志望以外の大学は受験しなかった。已む無く康二は来年再度挑戦する為一年浪人する事を決めた。

「あの二人はいつもマックでイチャ付いている」

そんな噂がジャックの耳にまで届く様では、二人の受験がこの様な結果になる事は至極当然の事だったのだろう。

連載小説 センチメンタルジャック(19)

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ポンタいつし

2022年11月17日 07:00

康二が受験に失敗したのは自分のせいだと、美紀はしばらく落ち込んでいたが、持ち前の切り替えの早さですぐに立ち直った。

だが康二の落胆振りは相当なもので、誰にも会いたく無い、卒業式にも出ない、とずっと引き篭もっている様だった。

そんな康二がリベンジに向けようやく顔を上げたのは、満開の土手の桜から青葉が顔を出し始める頃だった。

このままでは来年も同じ結果になると意を決した康二は美紀を呼び出し、今年一年は会わないで受験に専念する、と宣言した。

美紀はお母さんの勧めもあり、滑り止めで受かった大学に行く事に決めた。退路を遮断して挑む康二の覚悟の程を知ってか知らずか、美紀は大学に行きながら受験勉強を続け、来年また康二と同じ大学を受験する、とお気楽な事を言っていた。

「ジャック、大学でいっぱい友達出来たんだよ。今ね、みんなでどのサークルに入るか迷ってるの、毎日色んな大学のカッコいい先輩達が来て勧誘して来るんだ」

目をキラキラさせながら美紀は言った。大学に入学した美紀は、受験で溜まった鬱憤を晴らすかの様に、キャンパスライフを存分に楽しんでいる様子が伺えた。

最近美紀の口から康二の話題が出て来ない。予備校に通っている康二は頑張っているだろうか、ジャックは康二に思いを馳せた。

美紀は散々悩んだ挙句、都内にある有名私立大学のテニスサークルに入った。今夜は新入生の歓迎会で遅くなる、と言って出て行った。

その夜終電の時間を過ぎても美紀は帰って来なかった。心配になったジャックが駅まで迎えに行こうと玄関を出た時に、フラフラと美紀が帰って来た。

「おう、ごくろう!ジャック、ただいまあ」

おぼつかない足取りの美紀はよろけながらジャックの肩を掴んだ。プーンと酒の臭いがジャックの鼻をつく。

「美紀、大丈夫?」

「らいじょぶ、らいじょぶ、わたしはらいじょぶ!エへへへ」

かなり飲んだのか美紀は相当酔っている。酒を飲んだのはおそらく今日が初めてだろう。

「ここまでどうやって帰って来たの?」

美紀の声に気付いたお母さんが出て来た。

「あ、お母さんたらいまあ!車持ってる先輩に送ってもらったあ」

「もう!そんな酔っ払って、見っともないでしょ!」

「お母さん!あたいはもう大人なの!らいじょぶ、心配しないで、では皆の衆おやすみい」

そう言って美紀は壁を伝いながら階段を登ると、着替えもせずに自分のベッドに倒れ込み、部屋のドアも閉めず、普段はかかない大きなイビキをかきながら寝てしまった。

大学に行っても受験勉強を続ける、という言葉は何処に消えてしまったのだろうか。大学に入ってからと言うもの、美紀が机に向かう姿をジャックは一度も見ていない。

美紀は毎朝化粧に余念がない。一時間近く掛けカラコンや長いつけまを付け、ファンデーションを塗りたくる。前髪を摘んでみたり、つけまを指で上げてみたり、正面から横から、いつも鏡ばかり気にしてる。

友達も行ってるから、と美紀はエステにも通い始めた。若く張りのあるきめ細やかな肌にエステなど必要なのだろうか、厚化粧で美紀の生来の美貌も台無しだ。小さな顔に異様に大きな黒目、これじゃ不細工なロボットより酷い。ジャックはいつも思っていた。

高校生迄着ていたお嬢様風のワンピースは隅に追いやられ、次々と買い込んで来る派手な流行りの洋服でクローゼットは溢れた。

化粧品代に洋服代、エステ代、かさむ出費に子供の頃から貯めていた預金が底を着いたのか、最近美紀はジャックにまで金の無心をして来る時もあった。

美紀は毎日SNSのチェックにも余念が無い。皆と同じ様な格好をして、同じ様な化粧をし、同じ店で同じ物を食べ、同じ景色をバックに同じポーズで写真を撮る。

皆と同じ事をしていると安心するのか、美紀に取ってトレンドに乗り遅れる事は一番の恐怖なのだろう。

最近美紀の帰りは以前にも増して遅くなり、朝帰りする事も珍しく無くなった。居酒屋でバイトをしていると言うが、どうやらガールズバーの事の様だった。

終電の時間を過ぎたのに、今夜も美紀は帰って来ない。最近の美紀の生活の乱れを問いただす勇気が無いお母さんは、美紀に何をしてたか聞いてくれないか、とジャックに頼んで来た。

ジャックはふらふらと朝帰りして来た美紀に向かって珍しく強い口調で言った。

「美紀!毎日朝帰りして何やってるんだ!勉強はしなくていいのか?康二は毎日頑張っているぞ、そんなんで来年一緒に合格出来る訳ないだろ!」

いつも優しいジャックの豹変ぶりに、美紀は最初キョトンとしていたが、康二と言う名前を聞いた途端、顔色が一変した。

「うるさい!お父さんでも無いのに余計なお世話!ジャックは家の事だけしてたら良いの!ロボットの癖して、何時からそんな偉くなったの?私が助けてあげなかったらとっくにスクラップだよ!私の事はもう放っといて!ジャックなんか大嫌い!」

酒の臭いをプンプンさせて美紀は一気に捲し立てた。

大嫌い、と言われた瞬間ジャックはショックを受けて固まった、そしてしょんぼりと項垂れた。美紀はダダダと階段を登り部屋のドアをバタンと閉めた。

「ごめんねジャック、何だか悪者にさせちゃったみたいで」

陰で聞いていたお母さんが申し訳無さそうに出て来た。

「だいきらい、か」

ジャックのお腹のCTモードのランプはぼんやり点滅し、今にも消えそうになっていた。

美紀の剣幕は相当なものだった、康二の事は今の美紀に取って一番触れて欲しく無いのだろう。現実逃避している事は美紀自身が一番わかっていた事なのかも知れない。

大学が長い夏休みに突入すると、美紀は家に帰って来る日すら少なくなった。数日に一度ふらりと帰って来たかと思うと、誰とも顔を合わす事無く部屋に入りずっと寝ている。そして夜中にこっそりと家を出て行く、そんな生活が続いた。

夏休みも終盤に差し掛かり、今年も花火大会がやって来た。花火大会に向かう人混みの中、ジャックは一人土手に向かって歩いていた。

昨年はこの道を美紀と手を繋いで歩いた。浴衣姿の可愛い美紀の姿が脳裏に浮かぶ。今年も通りにはぎっしりと屋台が並んでいる、一年前あれほど心躍った景色も、美紀の居ない今年は何だか色褪せて見えた。

夕まずめの河川敷には所狭しと色とりどりのシートが敷かれ、ビールを飲んだりお弁当を食べたり、平和な光景が広がっている。ジャックは一人土手の上から見下ろしていた。

ジャックが鉄橋の方に目をやると、土手の草の上にシートも敷かずに康二がぽつんと座っていた。

ジャックが鉄橋の方に歩いて行くと、一歩毎にジャックの膝から鳴る軋み音に気付いた康二が振り向いた。

「おう、ジャック!」

ジャックは手招きされるまま土手を少し下り、康二の横に腰掛けた。

「久しぶりだねジャック、太陽光パネルの調子はどうだい?」

康二は白い歯を見せて微笑んだ。元気そうな様子に、ジャックはホッとした。

「勉強がんばってる?」

「ああ、大変だけど、あと半年の辛抱だよ。予備校ってつまらない所だと思っていたけど、友達も何人か出来たんだ」

「それは良かった、元気そうで安心したよ」

それ切り二人の会話は止まってしまった。お互い美紀の話を切り出したいのだが、タイミングが見つから無い、気まずい空気が二人の間に漂った。

「ヒューー、ド、ドーン!」

西の空を紅に染めたマジックアワーが終わる頃、挨拶代わりの一発目の花火が上がった。

二人は黙って花火を見続けた。美紀の話をいつ切り出そうか、それとも言わずに居るべきか、ジャックは気もそぞろで花火がほとんど目に入らなかった。

仕掛け花火が終わり、花火大会も終盤に差し掛かった頃、ようやく康二の方から口を開いた。

「あの頃の美紀はもういない」

康二はボソリと言いSNSの画面をジャックに差し出した。画面には見知らぬ男に頬を寄せ微笑む美紀が写っていた。

「次の写真も見てみな」

ジャックがスワイプすると、今度は別の男の頬にキスしている写真が出て来た。ジャックが写真をめくって行くと、次々と別の男とイチャついている写真が出て来る。

「ジャック、美紀はキャンパスライフを楽しんでいるみたいだね。でも美紀は悪く無い、大学に落ちた僕が悪いんだ」

強がりとしか思えない康二の言葉に、どう答えたら良いのかわからず、ジャックはただ俯いていた。

「ジャック、お腹のボタン見せて」

ふいに康二に言われたジャックは戸惑いながら浴衣をそろりと広げた。CTモードと書かれた赤いボタンが薄暗くほとんど消えかけている。

「ジャック、今悲しい気持ちなんじゃない?」

ジャックは黙って頷いた。

「やっぱりな、そのCTモードと言う赤いボタン、一体何のボタンなのか僕はずっと考えていたんだ。そのボタンはセンチメンタルモードのボタンだよ」

「センチメンタルモード?」

ジャックはお腹のボタンを見詰めた。

「ロボットは基本感情を持たない様にプログラムされている。でもジャックには心がある。そのボタンはジャックの心の動きを表しているのさ。そのボタンがあるロボットは世界に数体しか無いらしいんだ。だからジャックはとても特別なロボットなんだよ」

「僕が特別なロボット、、」

変なロボットだ、と言われた事は何度もあった。自分のどこが変なのだろう、と思う事もあったが、何処かの回路がイカれているのだろう位にジャックは思っていた。

普通のロボットは人に対して好きや嫌いの感情を持たない様プログラムされている。だがジャックは人間の女の子を好きになっては振られる経験を今まで何度も繰り返して来た。

「はあ?何言ってんの、あんたロボットでしょ」

「ロボットに告られたあ、うけるう」

思い焦がれて眠れぬ夜を何日も過ごし、意を決して告白したのに、結果はいつも無残なものだった。浴びせられた残酷な言葉の数々をジャックは思い出した。

ロボットと人間の恋など叶うはずも無い。わかっているのにジャックはまた人を好きになってしまう。

CTモードが装着されている自分が特別なロボットである事は誇らしい気もする。だが果たしてロボットの自分にCTモードは必要なのか、こんな物無ければ叶わぬ恋に苦しむ事も無かったのに、ジャックは思っていた。

「ああ、浪人生活もあともう少しだ、頑張って合格するぞ!僕は将来ロボットの開発者になりたいんだ。ジャックみたいなロボットを作りたい!それが夢なんだ」

「そんな、僕なんてただのオンボロロボットだよ」

「オンボロなんかじゃ無いよ!ジャック、君は優しい心を持った素晴らしいロボットだよ!」

「そうかあ、なんか少し元気が出て来た。ありがとう康二、受験がんばってね、応援してるよ!」

ジャックは康二に笑いかけた。

「ありがとうジャック!ほらお腹のランプが」

康二はジャックのお腹を指差した。消えかけていたCTモードのボタンが煌々と輝いている。

「僕の心バレバレだね」

「そこもジャックの良い所じゃん、ハハハハハ!」

二人は顔を見合わせて笑った。

「ヒューーーー、ドッカーーーン!」

最後の二尺玉が夜空いっぱいに広がり、ジャックと康二を包み込む様に垂れ下がって来た。

花火大会の後、この町で康二の姿をぱったりと見掛けなくなった。翌春、康二が最先端のロボット工学部がある優秀な大学に進学し、この町を出て行った事をジャックは風の噂で知った。

康二がこの町を去った事を知ってか知らずか、美紀の生活は相変わらずだった。誰が見ても美人の部類に入る美紀は相当モテる様で、彼氏らしき男を次々と乗り換えていた。

美紀が付き合う男達は、皆似たような流行り髪型に気味の悪い薄化粧と口紅迄付けている。ジャックはその誰もが同じ顔に見えて区別がつかなかった。

こんな男のどこが良いのだろう、康二の方がよっぽど良い男なのに、見たくないのに、つい目にしてしまう美紀のSNSを見る度、ジャックのCTモードのランプは苛立ちで真っ赤に点灯した。

「美紀の事を思うと僕の心は揺れ動く、それは僕にCTモードが装着されているからだ。CTモードをオフにしたら美紀の事でこんなに思い悩む事も無い。僕はもっと楽になれるかも知れない」

ジャックはCTモードのボタンを眺めていた。

「このボタンを押してCTモードをオフにしたら僕の感情は消える。CTモードが付いているのは特別なロボットだと康二が言っていた。でもロボットに心なんて必要無い。もう人を好きにならないし、失恋する事だって無いんだから」

CTモードのボタンのランプは赤々と光を放っている。

「心が無くなったら僕はどうなるのだろうか、もしかしたら死んでしまうかも知れない」

ジャックが恐る恐るCTモードのボタンに指を近付けるとランプの光は一層強さを増した。指を遠ざけるとランプは普通に戻る。

それはまるでジャックに押すなと言っているかの様だった。

ジャックは怖くなった。やっぱりボタン押すの止めようか、いや、でも、もうこんな苦しみは御免だ。僕は感情の無い普通のロボットになるんだ。

何度も躊躇した後、ジャックは意を決してボタンに指を乗せると、目をつぶりながらグッと押した。

「CTモード解除、CTモード解除、10秒以内にもう一度押すと取消できます」

初めて聞くアナウンスが流れた。ピーピーと警報音が鳴り続けている。どうしようやっぱり取り消そうか、ジャックは迷ったがそのままにしておいた。

「さん、にー、いち、CTモード解除完了しました」

アナウンスが流れ終わると共に目の前が真っ白になり、意識がすうっと遠のいて行く。ジャックは膝から崩れ落ち床にバタンと倒れた。

「...ジャック、ジャック、どうしたの?大丈夫?」

お母さんの声でジャックは目を覚ました。お母さんが帰宅するまでジャックは床に倒れ意識を失っていた。

「あ、お母さま、お帰りなさいませ」

ジャックはムクリと起き上がった。

「お母さま、申し訳ございません、すぐに夕食とお風呂の支度を始めます。しばらくお待ち下さいませ」

無表情でジャックはクルリと踵を返し、お風呂に向かってカクカクと歩き出した。その話し方には全く抑揚が無い。

「いいのよジャック、私がお風呂掃除するから、あと今夜はピザでも取るから夕食の準備はいいわ」

お母さんはすぐにジャックの異変を感じ取った。

「ジャック、調子が悪いみたいね、少し休んだら」

「いいえ、お母さま、私は働く為にこの家におります。休む訳には参りません」

そう言うとジャックは掃除機を持ち出し掃除を始めようとした。

「あー、ジャック、いいからいいから、テレビでも見てて」

お母さんは慌ててジャックから掃除機を取り返すとジャックの背中を押してリビングに追いやった。

休めと言われてもジャックは落ち着かない様子で、テレビの上を指でなぞり埃を眺めたり、ソファの裏を覗き込み見つけた小さなゴミを拾い集めたりしていた。

夜明け前、美紀が帰宅した。

美紀は家族に気付かれ無いようドアノブをそろりと開け中を覗き、玄関に誰も居ないのを確認すると、そっと中に入り音を立てない様ドアを閉めた。

「美紀さま、おかえりなさいませ!」

突然玄関の電気が点き、背後からジャックの声がした。

「うわあ!びっくりしたなあ!もう、ジャックそんな大きな声出さないで、しー、みんな起きちゃうじゃん」

「美紀さま、お風呂が入っております。お疲れ様でした、どうぞお入り下さいませ」

「いいよ、お風呂は、後でシャワー浴びるから」

「それではすぐに朝ごはんご用意いたします」

「いらない」

瞳孔を開いたまま表情を全く変えずに話すジャックに美紀は違和感を覚えた。だが徹夜明けで眠気の方が勝る美紀はそのまま部屋に行き、ベッドに潜り込むと深い眠りについた。

午後になってようやく美紀が起き出して来た。

「ふわあ、おはよ、お母さん」

「おはようって、もうすぐ夕方よ、全く貴方いつまでこんな生活続けるつもり?もういい加減にしたら」

「うん、わかってる。四年生になったらちゃんとする、就活も始まるし」

「突然良い子ちゃんになっても、すぐに見抜かれるわよ。世の中そんなに甘く無いんだから」

「大丈夫よ私自信があるの。今の彼氏ね、ベンチャー企業の社長さんなの、ほら見て」

美紀が見せた画面をお母さんは覗き込んだ。

「なんか社長さんには見えないけど」

「イケメンでしょ!私、絶対玉の輿に乗るんだ、結婚するならやっぱりお金持ちじゃないと」

「そんなものかしら、、」

お母さんはフッと溜息をついた。

「そうそう、なんかジャックの様子おかしくない?朝帰りすると必ず小言言われたのに、今朝は何も言わなかった。変な敬語使ってるし」

「最近ジャック変なのよ、どうしちゃったのかしら。でもね、ジャックはいつも貴方の事ばかり心配してたのよ」

ジャックが変になったのは、自分の所為では無いか、美紀は心配になった。

最近のジャックは朝早くから夜遅くまで忙しなく家の中をあちこち動いている。以前は家族に何かと話し掛けて来たが、一人黙々と働き続ける様になっていた。

「ねえ、ジャック、最近変だよ、一体どうしちゃったの?」

歌っているのだろうか、ジャックは電子音をピポパと鳴らしながら、廊下を隅から隅まで拭き掃除している。美紀が声を掛けるとジャックは手を止め、慌てて立ち上がり背筋をピンと伸ばした。

「すみません美紀様、私の歌がうるさかったでしょうか、気を付けます」

「もう!その言い方が変なの、様とか付けないで!前は呼び捨てだったじゃん。私が朝帰りした時、いつも長々と説教したのにそれもしないし」

「す、すみません。美紀様」

「だから!美紀で良いの」

「すみません、すみません、美紀、、、さ、、ま」

「お母さん、やっぱりジャック変だよ。ジャックお願い!前のジャックに戻って、私もう朝帰りとかやめるから」

「僕はどうしたら良いのでしょう、ピポパ、美紀様が怒っていらっしゃる、ピポパ、ピポパ、ピーーーー!」

ジャックはクルクルと目を回して廊下にバタンと倒れた。

「ジャック!ジャック!」

「ジャック!どうしたの?美紀!救急車、救急車!」

美紀は慌てて救急車に電話を掛けた。

「ハイ、火事ですか?救急ですか?」

「救急車をお願いします!ジャックが、ジャックが、倒れました」

「ジャックさんの意識はありますか?呼吸はしていますか?」

「意識はありません、呼吸は、、呼吸、あのお、ジャックはロボットなんですけど」

「ロボットに救急車は出せません!我々は忙しいのです。悪戯ならやめてください」

「は、はい、どうもすみません」

しょんぼりと美紀は電話を切った。

「美紀、救急車来るって?」

「ロボットじゃダメだって」

「そうよね、ジャックはロボットだもの」

倒れているジャックを前に二人は途方に暮れ黙り込んでしまった。

「お母さん大変!ジャックがすごく熱い!」

ジャックの体は熱を持っていた。しばらくすると触れられない程に温度が上がり、関節のあちこちから蒸気の様なものが出始めた。

「どうしよう、どうしよう、ジャックが死んじゃう」

美紀は涙ぐんでいた。

「ジャックは古いロボットだから、もう寿命なのかも知れないわね」

「そんな事無い!ジャックは大切な家族だよ!なんて事言うの!お母さん酷い!」

「そうよね美紀、ごめんなさい」

「そうだ!」

美紀は思いついた様に電話を掛け始めた。

「お願い、出て、、、」

何度もつぶやきながら電話を鳴らし続けるが、相手は中々電話に出ない様だった。

「只今電話に出る事が出来ません、御用の方はピーという発信音の後にメッセージをどうぞ」

「康二、康二、わたし美紀!お願い、ジャックを助けて!ジャックが死んじゃう、すぐに来て!」

美紀は泣きじゃくりながら電話に叫んだ。

「やあ美紀久しぶり、元気だった?突然電話なんてどうしたの?」

美紀が留守電のメッセージを残している途中で康二が電話に出た。

「康二!康二!ジャックが、ジャックが」

「美紀、落ち着いて、ジャックがどうしたんだい?」

「ジャックが突然倒れて動かなくなったの、すごい熱で触れないくらい」

「大丈夫、美紀、すぐ行くから安心して。おそらくジャックはオーバーヒートしてると思う。僕が着くまで濡れたタオルで身体を冷やしてあげて」

「ありがとう康二、待ってるから早く来てね」

美紀は電話を切ると、家中のバスタオルを集め濡らして絞り、ジャックの身体に何枚も掛けた。

掛けても掛けてもすぐにバスタオルはパリパリに乾燥した。美紀は何度もバスタオルを交換したが、ジャックの熱は中々下がらなかった。

ジャックの熱がようやく下がり始めた頃康二が到着した。

「久しぶりに実家に帰省する途中で電話をもらったんだ、タイミング良かったよ」

「康二、早く、ジャックはこっち」

「これは...」

瞳孔が開き意識の無いジャックの様子を見て康二は息を飲んだ。

康二はジャックのお腹の蓋のネジを外した。無数の配線が入り乱れているジャックのお腹の中を康二はあれこれいじくり始めた。

「こ、康二、ジャックは大丈夫なの?」

真剣な康二に、美紀は話し掛けるのを躊躇したが聞かずには居られなかった。美紀の問い掛けには答えず、康二は黙々と作業を続けている。そんな康二の姿を美紀はじっと見詰めていた。

何時間経ったのだろう、窓の外が薄暗くなり始めた頃、康二は手を止め顔を上げて言った。

「美紀、ジャックは思ったより重症だ、ここでは直せない。大学の研究室に持って行って大手術が必要だ」

「そ、そんな、、」

「ロボット工学部の仲間達と最善を尽くすけどダメかも知れない。覚悟だけはしといてくれ」

「覚悟って、そんなの嫌だ!ジャックが死んじゃうなんて絶対イヤ!お願い康二、ジャックを助けて」

「僕の大学の最先端の技術を使って手術をする。ジャックは僕の友達だし絶対に死なせない、大丈夫、僕を信じて、美紀」

美紀の家を後にした康二は、その夜再び軽トラに乗ってやって来て、荷台に取り付けられたクレーンでジャックの体を吊るし上げた。

クレーンにダラリと力無くぶら下がるジャックは、美紀とジャックが初めて出会った時と同じ姿だった。

小心者で、真面目な働き者のジャック。少しおっちょこちょいで弱虫なジャック。ジャックはどんな時も美紀の事を優しく見守っていた。

口うるさく説教するジャックをうざいと思った事もある、でもそれは全て私の事を思って言ってくれたから、お願いジャック死なないで、これからもずっと私の側で見守って、

軽トラの荷台に乗せられ去って行くジャックを見送りながら、美紀は泣きじゃくっていた。

何日経ってもジャックについて康二から何の音沙汰も無かった。美紀は居ても立っても居られなかったが、便りの無いのは良い便りと自身に思い聞かせながら連絡を待った。

ジャックのいない家の中はとても静かで
、美紀は心にポッカリと穴が空いた様に思えた。ジャックの存在が自分の中でこれほど大きな物だったのかと美紀は改めて感じていた。

久々に会った康二は、美紀の周りに群がる外面だけで中身空っぽの脛齧り野郎共とは全く違った。康二がジャックを診ている時の真剣な眼差しは、美紀の心に強烈に焼き付いた。康二は芯の通った素敵な大人に成長していた。

それに比べて自分はどうだろう、とりあえず合格した大学に入学し、享楽に溺れ、ただ漫然と日々を過ごして来た、美紀は毎日自問自答を繰り返していた。

ジャックが行ってから二週間程過ぎた日、ようやく電話が鳴った。

「美紀、ジャックの手術が終わったよ」

電話の向こうの康二は暗い声で言った。

「ジャックは、ジャックは大丈夫」

「美紀、残念だけど、ダメだった」

「ダメって、、ジャックは死んじゃったの」

「ジャックの体はもうボロボロだったよ、仲間達と全力を尽くしたけど無理だった」

「うそ!ウソだ!そんなのウソに決まってる!ジャックが死んだなんて、私は信じない!」

美紀は泣き叫んだ。

一晩中泣き明かした美紀は、翌朝康二の大学に向かった。康二の大学は都心から電車で二時間程の学園都市にあり、広大なキャンパスの中を迷いながら美紀は康二のいるロボット工学部にたどり着いた。

見上げる程大きな分厚い扉の前に立つと自動で開いた、中は巨大なロボット工場の様になっていた。美紀がキョロキョロと辺りを見回していると、奥の方から白衣を着た康二が歩いて来た。

「美紀、おいで、ジャックはこっちに居るよ」

康二が手招きする方に美紀は付いて行った。メンテナンスルームと書かれた部屋の中に入ると、分解されたロボットの上半身や腕や足など体の一部が幾つも置かれている。その一番奥にベッドがあり、白い布が掛けられていた。

康二が布をそっとはがすと、ジャックが横たわっていた。全身錆だらけの冷たい金属の塊の様な姿は、元気だった頃の生命感は微塵も感じられなかった。

「ああジャック、こんな姿になって、かわいそうに、もっと大切にしてあげたら良かった、ごめんなさい、ごめんなさい」

美紀はジャックの手を取り頬を擦りつけポロポロと涙を流した。

「美紀、ジャックはセンチメンタルモードを装着した特別なロボットだったんだよ」

「センチメンタルモード?」

「普通のロボットには喜怒哀楽や好き嫌いなどの感情は無いんだ。だけどジャックにはそれがあった。ほらお腹にあるこの赤く光るボタン、これがセンチメンタルモードのボタンなんだ」

「ジャックはいつも笑ったり怒ったり、感情豊かだった、ジャックは正直だからそれがすぐ顔に出るの。ジャックに良く説教もされたなあ。私はそれが普通のロボットなんだと思ってた」

「でもジャックが運ばれて来た時、センチメンタルモードがオフになってたんだ」

「そう言えばジャックは最近変だった。無表情で休まず働いて、笑う事も怒る事も無かった」

「なるほど、ジャックが倒れたのはセンチメンタルモードがオフで、感情をコントロール出来なくなりオーバーヒートしたのが原因かも知れない」

センチメンタルモードを装着したロボットは世界で僅か数体しか生産され無かった。ロボットは人間の労働力を補う為の物と考えられていた時代に、感情を持つロボットなど不用でほとんど売れ無かった。今ではその全てが老朽化しスクラップになった。ジャックは最後に残った一体だった。

センチメンタルモードを開発した研究者は既に亡くなってしまい、その資料は一切残っていない。一体どの様な仕組みでロボットに感情を持たせたのかは謎だらけで、世界中の研究者達が解明に挑んでいた。

「ジャックはスクラップにしない。僕はセンチメンタルモードの仕組みを研究して、いつかジャックの様な感情を持った心の優しいロボットを作りたいんだ」

情熱に満ちた康二の目はキラキラと輝いていた。

それから三年の月日が流れた。

「康二、いってきまあす。ジャック、ベイビーの事お願いね!」

「いってらっしゃい、美紀、楽しんで来な」

「いつもありがと康二、愛してるわ、チュ」

頬にキスされた康二はデレデレと美紀を見送った。

「美紀は今日もママ友とランチなの?一昨日も友達とカレー食べに行ったばかりじゃん、全く康二も甘いんだから」

「ジャック、僕は美紀が楽しければそれで良いんだよ」

ニコニコと話す康二を呆れ顔で見ながら、ジャックはふうと溜息をついた。

あれから美紀と康二は結婚した。

ジャックが居なくなってから少しは真面目になるかと思われた美紀だったが、康二と結婚した途端、やれ飲み会だ、やれショッピングだと、完全に遊び癖が戻ってしまった。

康二は大学の助教授となりロボットの研究に勤しんでいる。留守を守るのはもっぱらジャックで、家事とベビーシッターとで忙しい日々を過ごしていた。

え、何故ジャックが、居るのかって?

そう、ジャックは復活したのです。

康二は大学卒業後も研究室に残り、ロボットの研究を続け、遂にセンチメンタルモードの仕組みを解明した。

そしてジャックの体に残っていた古いコアチップを取り出し、最新型のセンチメンタルモード搭載のロボットに埋め込み、ジャックは復活した。

生まれ変わったジャックは太陽光パネルでは無く、量子エネルギーと言う最先端の仕組みで動作し、皮膚や髪の毛もあった。昔のジャックとは比べ物にならない程精巧に出来ており、その質感は人間と見間違える程だった。

「ジャックおじさん、絵本読んで」

ベイビーが絵本を持って歩いて来た。

「いいよ、ここにおいで、可愛いベイビー」

美男美女のDNAを継いだベイビーは、クリクリとした大きな目を輝かせてジャックの膝にちょこんと座った。

「それにしても、康二は何故僕をおじさんの姿にしたんだろう、最新型なんだから若々しい姿にして欲しかったなあ」

ジャックはゴマシオヘアーをポリポリと掻いて呟いた。


センチメンタルジャック 完


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