摂食障害と本と文章
きっかけはクローン病の食事制限だった。NG食を食べるとお腹を下して腸に潰瘍ができてしまう。でも成長期真っ盛りの私はNG食も食べたくて食べたくて仕方なかった。
そんな葛藤の中で編み出した技が、『食べた後、吐く』だった。私は稀代の発明をした気になっていたが、現実はそんなに甘くなかった。
私は最初、少量のNG食を食べてはちょこっと吐いていたのが、次第にNG食を大量に食べて、吐く、ということをしないと気が済まないようになっていった。見えないスイッチみたいなものがあって、それが一度オンになってしまうと大量に食べて吐くまで落ち着かないのだ。うまく吐けない時はとてもイライラした。
食べて吐くのが当たり前になっていたある日、初めてこれは病的だなと自分で思ったのは、吐きダコが出来る手の部位に血が滲み、喉から出血しても食べ吐きがやめられなかった時。
おいおい、これは完全にアレじゃん。過食嘔吐ってやつじゃん。摂食障害ってやつじゃん。どうしよう。と、自分で思っているのに食べて吐くのがやめられなかった。
吐いているのは親に気付かれていて、ある時私が吐いているのを見た母は、
「吐くのはいいけど便器汚さないでよ」
と言った。私は
「そういうところだよ」
と思った。マジで超絶に低モラル。吐いている娘を心配するとかはないんかい、と思った。
どう頑張ってもやめられなかった過食嘔吐は、吐くことによって胃酸で歯が溶け、虫歯が無数にでき、歯医者に
「口腔崩壊状態です」
と言われたことでほぼ卒業することができた。(ほぼ、と書いているのは今でも時々その衝動がやってくるからである)まさか自分の体の部位で医者に崩壊を宣言される箇所が出てくるとは思わなかった。
過食嘔吐を卒業した私に、次は過食と拒食が交互に襲うようになった。過食期にはひたすら食べ続け、かなり肥え、次に拒食期がやって来て全く食べられなくなり痩せる。そんなことを繰り返すようになった。短期間での大幅な体重の増減は体に良くないらしいが、私は相当繰り返したので寿命がだいぶ短くなったのではないかと思う。
摂食障害は、今でも良くなっていない。極端に食べるか、食べないか、を繰り返している。私には適正な食事の量がよく分からない。ちなみに今は食べ過ぎ期を超えたところなのでめちゃくちゃ肥えている。
本と文章
私は小学校時代、毎日二冊図書館で本を借りてはその日のうちに読み終わり、次の日もまた二冊借りて・・・ということを繰り返している子どもだった。友達もいなかったし、神社の中に楽しいこともなかったし、私にとってはエンターテイメントの全てが本の中にあった。学校で本が借りられない夏休みや冬休みは子どもの足ではちょっと遠い大きい図書館まで本を借りに行ったし、フリーマーケットでもよく中古の本を買ったし、近くの中古本屋に立ち読みに行くことも日課だった。とにかくいつも本を読んでいた子ども時代だった。漫画にも手を出して、オタクになったりもした。本や漫画は現実逃避先としては最適だった。
そんなに本ばかり読んでいたせいなのか、私は作文などが上手だった。私を褒めない、全てを神様のおかげにする親に唯一褒められた記憶があるのは
「ふみには文才があるから小説家になったら?」
という一言というくらい、私は親に文才だけは認められていた。
私が中学年くらいになると、父が知り合いからもらった『ワープロ』を使用する権利をもらった。私はその時から機械が大好きだったので楽しんでワープロで遊んでいた。そのうち私は親に対する恨み辛みなどを日記的に記すようになっていった。親に対する不満だけは毎日湯水のように溢れ出していたので書くことに困ることはなかった。
そして私は毎日の読書で得た想像力を発揮し、いつの間にか小説も書くようになっていた。それは小説を書こうと気合を入れて書くのではなく、勝手に文章が頭の中に浮かんで来て、それをアウトプットするという作業だった。私は自作の小説を数少ない友達に読んでもらっていた。感想は特に覚えていないので褒められも貶されもしなかったのではないだろうか。私はとにかく溢れ出てくる文章を書き記していた。頻度こそ減ったがその作業は今日まで続いている。
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