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かわいいひと 後編

店へお越しいただいて以降、何かと声をかけていただき、ビゴさんが毎年開催されていたカスレパーティーへもスタッフと参加するようになった。

ある年の暮れには、年末のご挨拶をかね芦屋の本店へ伺うと社長室へ通していただき、ここには書けないようなお話もたくさん聞かせてもらった。
このとき、「西山、お前はフランスのトラディショナルなもんを作っとるのがええ。これからお前が有名になっても、絶対にえらそうになったらアカン」と繰り返された。

2005年に神戸ポートピアホテルで開催された「フイリップ・ビゴ氏来日40周年を祝う会」に参加したときは、400名以上が集う盛大なパーティーだった。
このとき、ホテル入り口でばったりお会いしたご子息の太郎さんとこんな会話をしている。

「ビゴさん、最近もぼくが留守のときにお越しいただいたみたいで。レストラン用に焼いたバゲットを『もらっていくから』って持って行かれましたって、うちのスタッフが困ってましたよ(笑)」

「ごめんね、うちの親父、プチメック大好きなんだよー(笑)」

パーティーでは、司会をされていた藤森シェフ(当時ビゴ東京)から突然促され西原シェフ(オ・グルニエ・ドール)、西川シェフ(当時コムシノワ)、松尾さん(ア・ビアント)、米山さん(パンデュース)らと共に壇上へ呼ばれ、1人ずつお祝いの言葉を述べることになった。

「来日40周年ということは、ぼくが生まれる以前からビゴさんは日本でパンを教えてこられたわけで、云々」とお祝いを述べ、列に戻り緊張から解放されたと安堵していると、背後から「そうだよね、40年だもんねー」としみじみ言われながらぼくの両肩を揉んでくださったのが西原シェフで余計に緊張したりした。


いつだかのモバックショウ(国際製パン製菓関連産業展)が幕張メッセで開催されたときには、実はこんなことがあった。

ぼくが山手線で移動する車中、携帯に着信があったので見るとビゴさんのお名前が。
ぼくは何ごとかと思い、目的地でもない次の駅で降りて慌てて携帯に出た。

「ビゴさん、どうされました?」

「西山、モバックにきてるか?」

「いえ、今回は行っていませんが・・・あ、ビゴさん、モバックに行かれてるんですね」

「きてるけど、楽しくない」

「えっ、何かありましたか?」

「東京の人たち(シェフたち)は、みんなボクよりも偉いみたいだ」

「どういうことですか、みなさん、ビゴさん、ビゴさんって言われてませんか?」

「言ってくれるけど、心がこもってない」

「そんなことないですよ、みんなビゴさんのこと好きですから。ぼくもついこの前、専門誌のインタビュー受けましたけど、そこでもビゴさんの話をしましたよ。ぼくらがいまやっていけているのは、ビゴさんたち先人のおかげですって」

「そうか。ありがとう、西山」

フランスパンの神様のことをこう書くのは甚だ僭越と承知で、つまりビゴさんは周りの方たちからのもてなしを物足りなく感じられていたというか、もっと持てはやされ、扱い良くされたくて少し拗ねておられたというか、いじけられていたというか・・・

通話を切る際、ビゴさんはこうも言われた。

「西山、お前はずっと友達でいてね」

フランスパンの神様は魅力的で、とてもかわいいひとだった。

そして、ぼくのビゴさんに対する「かわいい」の半分は、感謝と尊敬でできている(バファリンのCMみたいだ)。


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