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今夜、すべてのバーで 1.

※こちらの内容は、ウェブサイト(現在は閉鎖)にて2016年~2019年に掲載したものを再投稿しています。内容等、現在とは異なる部分があります。ご了承ください。

タイトルは、中島らもさんの名作から拝借。
20年ほど前、本屋さんでたまたま見かけたタイトルに惹かれ、ハードボイルド小説だと勝手に勘違いし読んだこの作品がアルコール依存症の主人公の物語だとわかり驚いたけれど、おもしろくて一気に読み終えたことがあった(最近、久しぶりに読んだけれど、やはりおもしろかった)。
今日はそんならもさんの作品の話ではなく、バーのお話。

ぼくは下戸でまったくお酒が飲めない。
そんなぼくが何故バーの話を書こうとしているかといえば、今年はこの数年間で一番 「バー」という言葉を耳にした年だったから。
友人がもうすぐバーを始めることもあり、それにまつわる話をたくさん聞かせてもらったということもある。
そして中学生のころからぼくは人一倍、バーに憧れていた過去があった。
といってもバーテンダーさんでなく、バーのお客、常連になりたいとずっと憧れていた。

まだ自分がどんな仕事をし、どんな大人になるのかもわからなかった中学生時代、ぼくのささやかな夢は行きつけのバーカウンターの端で独り飲むことだった。
大人になった自分が週末になると、いつもの席で飲んでいる姿を想像してはそんな日が来ること、そんな大人になることを心待ちにしたものだった。

帰る際には「(お会計)お願いします」なんて無粋なことは言わない。
カウンター越しのご主人にさりげなく目配せをし、お札を1枚置いて店を出る。
それが5千円札なのか1万円札なのか未だに相場がわからないけれど、間違ってもご主人から「あの、お客様、足りませんが・・・」なんて呼び止められるようなことがあってはならない。無論、お釣りなど受け取らない。

あぁ、いま想像しても憧れる。

人生で初めてお酒を飲むときというのは、自分が下戸であるという自覚がない。
それどころか世の中には、飲まない人はいても飲めない人がいるという認識すらなかったので、この下戸という言葉をぼくが知ったのもそれからずっと後のことだった。

友人らと一緒に飲んではみるものの、みんながご機嫌になるのをよそになぜかぼくだけは、一口飲んだ直後から頭が割れるように痛い。酷いときには冗談かのように天井がクルクルと回ることもあった。
とても辛いものの「鍛えれば飲めるようになる」という悪友の言葉を信じ飲みつづけた先には、いつも決まって涙目になりながら「もう絶対に飲まない」と嘔吐するぼくがいた。
友人たちが「美味しいから」と勧めてくれるものも試してみたけれど、やはり涙目のぼくからいつも出てくる言葉は「保健室の味がする」だった。

つづく


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