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日比谷で再開します 2.

※ こちらの内容は、ウェブサイト(現在は閉鎖)にて2016年~2019年に掲載したものを再投稿しています。内容等、現在とは異なる部分があります。ご了承ください。

新宿店の閉店が決まったとき、ぼくには二つの選択肢があった。

「移転先を探して再開する」あるいは「解散して終了する」   

当初、個人的には後者の気持ちの方が強かった。
新宿店のオープンから8年も過ぎ、その間にも仕事を取り巻く環境はより厳しく、悪くもなった。再開となれば移転とはいえ規模が規模だけに相応の投資が改めて必要にもなる。また、ぼく自身あのころよりも更に二段階くらいおじさんになったという現実もあるから、新たに大きなことを始めるとなると自分の残り時間を意識するようにもなる。

何よりも一番の懸念は、彼女たちスタッフのことだった(元新宿スタッフは、ほとんどが女性)。
新宿三丁目という通勤に便利過ぎる立地に店があったため、続けたいと思ってくれても移転先によっては多くの子が通勤困難になる可能性があった。
それにいまのメンバーでなく、移転先で改めてスタッフを集め再開するといった考えがぼくには皆無だったので、これだけでも再開の可能性は低いと思えた。

仮に彼女たちが続けてくれることを前提に考えた場合、再開するまでの間ぼくに提供できる職場といえば、レフェクトワール(渋谷)と京都のプチメックしかない。
東京にあるレフェクトワールで働いてもらうにしてもスタッフが余剰に出るので、数名は京都へ行ってもらう必要が出てくる。
当然ぼくは彼女たちの生活を守らなければならないので、新宿のときと同じだけのお給料と、京都へ行ってもらう子にはこちらで部屋も用意しなければならない。
会社全体の売上半分以上を新宿店が占めていたことを考えると、それを失った状態でこれらをやるのは経済的な問題が出てくるのも自明だった。

また新宿店が閉店するタイミングで一度解散し、数ヶ月後あるいはそれ以上後に「お待たせ。やっと物件が決まったので元新宿スタッフのみなさん、もう一度集まってくださーい」なんてやった日には彼女たちから体良く断られるか、無視をされている姿さえ容易に想像がつく。
多くの社員を雇用する立場からすれば、これだけでも十分怪談並みに怖い話だと思うけれど、ぼくにとっての本当の恐怖はこちらだった。

新宿店が閉店する日は決まっているのに、移転先がいつ決まるのかわからない。
必ず見つかるという保証もない。

もう再開するよりも解散の方が必然に思えてくる。
再開するための課題はこれだけ大きかったけれど、どれだけ逡巡したところで彼女たちの意思を確認しないことには何も始まらないし結論も出ない。
もし彼女たちが辞めるつもりであれば、もう解散でいいやと思いながら厨房を任せている子にそれとなく訊いてみた。

「みんな、どうしようと思っているかな?」

「〇〇さんは家庭の事情で辞めると思いますが、あとの社員は誰も辞めないみたいです」

想像していた反応と違い驚いたけれど、嬉しい誤算だった。

「じゃあ絶対に物件探すし、必ず見つけるわ」

この時点で必ずと言えるような何か算段があったわけではないけれど、彼女たちとなら必ずと思えた。いつもの忌憚ないもの言いのスタッフも「見つかりますよ、西山さんは強運だから」と屈託なく言ってくれる。

確かに・・・

再開の告知後、すぐに友人から「ワタシ、再開されないと勝手に思い込んでいましたが、どうして再開されたのか? すごく興味があります」というメッセージが届いたので、そちらも即答をしておいた。

「新宿の社員だった子たちが誰も辞めないから。それだけです」

つづく


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