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今夜、すべてのバーで 2.
※こちらの内容は、ウェブサイト(現在は閉鎖)にて2016年~2019年に掲載したものを再投稿しています。内容等、現在とは異なる部分があります。ご了承ください。
お酒を飲める方と食事をご一緒したりお酒の話題になった際、ぼくが飲めないことを打ち明けると大抵同じような会話になる。
「お酒、飲まないんですか」
「いえ、飲まないんじゃなくて飲めないんです」
「あぁ、アルコールを分解する酵素が身体にないんですね(あるいは少ないんですね)」
「みたいです」
下戸というのは体質らしい。ということは昔、悪友が言っていた「鍛えれば・・・」という話でもないことになる。
あの野郎・・・
ぼくは若いころ、お酒が飲めないことで周りの大人たちから「人生の半分は損をしている」と何度言われたことかわからない。あまりにも周囲から言われ続けるもので、なんだか不公平だとすら感じるようになった。
ところが近年、「人生の半分は損をしている」というこのセリフはすっかり鳴りを潜め、それに台頭するように「最近の若い人はお酒を飲まなくなった」という話をよく耳にするようになった。
ぼくのように飲めないのか、それとも飲もうと思えば飲めるけれど飲みたいと思わないだけなのか。
いろんな方の話を聞いていると、どうも後者の印象を受ける。
それに昔はあれだけ飲める人たちが周囲に大勢いたのに、この10年、20年ほどの間に日本人の身体からアルコール分解酵素が急激に減ったとも考えにくい。
いまの若い人たちの多くが飲もうと思えば飲めるけれど、飲みたいと思わないだけなのだとしたら「もったいない、それなら分解酵素とやらをぼくに譲って欲しい」とさえ思ってしまう。
飲みたいのに飲めないぼくからすれば、友人でも同僚でも家族でもない程よい距離感の人生経験豊富なバーのご主人とお酒を飲みながらちょっと語ってみたいと憧れるし、そういった場だからこそ楽しいことや普段かかわる機会のない人たち、年代の方々とも知り合える可能性だってあると思うのだけれど。
いまの若い人の多くは「バーに行きたい」とか、「カウンターで独り飲んでいるオレって大人だな」って、憧れたりしないのかな。
ぼくには「飲まざる者、バーへ行くべからず」 といった思いがある。
お店の方はきっと「ノンアルコールでも結構ですよ」と言ってくださるだろうけれど、ぼくの中でそれがバーへの流儀やお店に対する躾、礼儀だと思っている節があり、またこれは別のところで後述するつもりでいる「ぼくがあまり外食をしない理由」と共通する理由でもある。
だから人一倍、バーへ行きたいのに行けないぼくは、それなら自分でバーもつくって経営すれば気兼ねなく行けるようになるな、とまで結構本気で思っていた時期もあった。
飲めないことで人生の半分も損をしているとまでは思わないけれど、飲まないのと飲めないのでは、まったく違う。
つづく
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