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青春の1ページ

※ こちらの内容は、ウェブサイト(現在は閉鎖)にて2016年~2019年に掲載したものを再投稿しています。内容等、現在とは異なる部分があります。ご了承ください。

今日のタイトルは、先日公開したろみさんのコラムのタイトルから拝借。
サイトで執筆していただいている方々のコラムや日々スタッフが送ってくれるブログを校正するため、ぼくは送っていただいた原稿を必ず二度、三度と読むけれど、ろみさんの「青春の1ページ」を読みながら、ぼくの青春の1ページはどこだったかなと、ふと思った。

料理の修業をはじめた10代後半や20代後半にフランスの厨房で過ごした日々などは、いかにも青春の1ページっぽいし、店をはじめたものの潰しそうで必死だった30代前半も青春の1ページといえばそんな気がしてくる。
もうすぐ40代も終わろうとしているいまだって店の移転騒ぎでバタバタしていることを思うと、あぁ青春だなぁと思えなくもない。
ぼくは男の中身なんて、基本的には18、19歳で止まっていると思っているので、どこを切り取っても青春の1ページになる気もする。

どこか一つ挙げるとすれば、ぼくの場合は18歳のときに毎日アルバイトへ行っていたファミレスがそれにあたる。
青春の1ページが18歳のころであること、「それはキャッピキャピでした」というところまでは、ろみさんと同じだけれどその舞台はやはり雲泥の差がある。

都会の子であるろみさんの青春の1ページがイタリアンのレストランバーへお客として通われていたキラキラしたものに対し、田舎の子であるぼくは時給450円といういまではあり得ない条件で毎日深夜まで働いていたファミレスの厨房が青春の1ページだった。
厨房と言ってもぼくのポジションはシンクと洗浄機、つまり洗い場。
たまに簡単な仕込みを手伝わせてもらえる程度で、基本的にぼくの定位置はずっと洗い場だった。

ろみさんのようなキラキラした青春の1ページでなかったし、深夜までほとんど洗いものしかしていなかったけれど、そのお陰で不器用なぼくでも仕事としての洗いものだけは、このときに早く上手になれた気がする。

アルバイトをはじめて以来、ずっと深夜2時くらいまで働いていたので高校へもあまり行かなくなり行っても午後からだったりしたけれど、一応卒業はしたので結果良ければすべて良し(※よい子のみんなはマネをしないように)。
学校へ行くよりも厨房でのアルバイトを優先するほど楽しかったのだから、ぼくの 青春の1ページは、やはりファミレスの厨房だと思う。

そうだ次回は、ファミレスの話を書こう。

画像は当時、別冊マーガレットを買ってまで夢中で読んでいた「ホットロード」。
紡木たく作品もぼくにとって青春の1ページ 。


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