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リスクの過度な懸念は、足枷だと思う

昨日の話の続きになる。

少し前に本屋さんの話を綴ったときに、こんなことを書いた。

また、よく耳にする「紙か、デジタルか」といったこだわりも特になく、目的によって最適な方を選択すれば良いくらいに思っている。
もうモノをあまり所有したくないといった考えや、老眼がひどくなってからはデジタルの方が読みやすいといった理由から電子書籍で読むことの方が多くなった。
何よりも時間に関係なく、すぐに手に入るのが電子書籍の良さでもある。
(中略)
ただ、小説やビジネス書であれ基本的にぼくが求めるのは、あくまでも中身なので特段のこだわりがないだけのことに過ぎない。
だからどちら派でもないし、どっちでもええやん。と思っている。

久しぶりに、本屋さんへ行った

そんなわけで、ぼくのKindleには今や結構な数の本が入っている。
つまり先述の脈略でいえば、生殺与奪の権をぼくはAmazonにかなり握られていることになる。また電子書籍のアプリはKindleだけでなく、他にも3つ入れている。これはKindleになかった本が他のアプリにあったためなんだけれど、それでもやはり圧倒的にKindleが多い。

そこで昨日の話を書いていて、ふと思った。

もし、Amazonが「やっぱ、Kindleのサービスやめるわ」って言い出したら、どうなるのか。

ダウンロードしたものは残りそうだけれどアプリ自体が完全に終了するとそれも読めなくなりそうだし、少なくとも新しくデジタルで購入することはできなくなるだろう。今まで考えもしなかったリスクといえばそうだけれど、まぁ、万が一レベルの話だし、それなら紙の本にするか、といえばやはり場所も取るからそういった考えにもならない。
また紙の本なら安心かといえば、火事や災害に遭えばそれらを失う可能性だって決してゼロではない。確率でいえば、Kindleが終了する方が少し高い程度くらいに思っている。
いずれにしてもそうなってしまったときには、運が悪かったなぁ程度のことである。

一応断っておくと、紙の本が好き、というのは別の論点であって否定するものでもないし、ぼく自身紙の本を買うこともある。

そもそも、もしそのサービスが終了したらとか、その会社が倒産したらといったリスクまで考え始めるとせっかくの技術も進まなくなるし、その恩恵を享受することもできなくなる。それは、車の自動運転は危険だからやめておきましょう。という思考と大差ない気がする。
それに本の場合はほとんど趣味のものだろうし、廉価なものだから希少なものや絶版にでもなっていなければ再び手に入れることもできる。
今の時代、重要なデータを扱う会社でさえDXだ、なんだと新しい技術を導入しているのだから、リスクの過度な懸念はやはり技術革新の足枷にしかならない気がする。

それにしてもGAFAMのようにユーザーの囲い込みに成功したプラットホームは、時代が変わってもやはり強いなぁ、と思う話を次回。




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