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ぼくとフランソワ・シモンさんの15年。 2.

※ こちらの内容は、ウェブサイト(現在は閉鎖)にて2016年~2019年に掲載したものを再投稿しています。内容等、現在とは異なる部分があります。ご了承ください。

フランソワ・シモンさんといえば賛否両論、というよりもつくり手の方には眉間に皺を寄せ、気色ばむ人の方が多いに違いない。

ぼくがシモンさんのことを初めて知ったのは、本屋さんでマガジンハウスさんのBRUTUS 1997年6月1日号の表紙を目にしたときだった。
そこにはモザイクの入ったインパクトのあるシモンさんの写真と『日本のフレンチの実力が知りたい!』というとても刺激的な文字が並ぶ。
当時、フレンチ、フランス料理という見出しや活字に過剰なほど反応していたぼくは、その表紙を一見しただけで中身も見ずに購入し家路を急いだ。
得も言われぬまがまがしさ漂うこのBRUTUSの表紙を開くと、冒頭にはこう書かれていた。

『タンタンのマスクを着け、パリのバスティーユ広場に立つこの人物はいったい誰なのか?彼の名前はフランソワ・シモン。フランスの大新聞『LE FIGARO』の記者である。いったいどうして新聞記者がコミックスの主人公のマスクを着けているのかといえば、彼にはもうひとつ別の顔があって、そちらのほうは世間的に公表できないからだ。彼のもうひとつの顔とはクリティーク・ガストロノミー、すなわちレストラン批評家である。それも飛びきり過激な。(中略)
フランス人、それもフランスに住んでいる人物に、東京のフランス料理を食べてもらい、忌憚のない感想を書いてもらう。そう考えたブルータスは、このタンタンのマスクを着けた批評家、フランソワ・シモンを東京に呼ぶことにしたのである。』

そして隣のページには、タンタンのすっとぼけたような表情のマスクを着けたスーツ姿のシモンさんの写真。
そう、フランソワ・シモンさんはパリで話題のとても過激で、とてもとても辛辣なレストラン批評家だった。

やっぱりだ・・・

ぼくが表紙から感じたまがまがしさの正体は、ぼくが敬愛してやまないフランス料理そのもの、ぼくが憧れ尊敬するシェフたちへ襲来した黒船(レストラン批評家)だった。

このときのぼくの感情はといえば、それより遥か昔、ぼくが14歳の頃に観ていた初代タイガーマスクvsブラックタイガーのときのまさにそれだった。
ぼくが中学生でまだインターネットなんて便利なものがなかった時代、プロレスの世界では “年齢も国籍も不明の謎のマスクマン” なんてものがまかり通る、いま思えば滑稽で平和な時代だった。
謎の覆面レスラーの中でも天才レスラーであった佐山聡さん扮する初代タイガーマスクは、当時少年たちの憧れの的であり無敗のスーパーヒーローだった。

そんなあるとき、次期シリーズに参戦すると発表された選手の1人がリングネームをブラックタイガーと名乗り、その装いはマスクからコスチュームまですべて初代タイガーマスクとそっくりだった。違っていたのは初代タイガーマスクが黄金のマスクであるのに対しブラックタイガーはマスクからマント、装いのほとんどがその名の通りブラックで、いかにも強そうな印象を与えた。

もちろん正体もわからないので、得体の知れない脅威を子供心に感じる。
おまけに初代タイガーマスクが所属する新日本プロレスの放映をしていたテレビ朝日がブラックタイガーのことを「強豪!」だの「タイガーマスクへの刺客!」だのと予告でやたらと煽り立てるものだから、ぼくらの脅威は増すばかり。
このテレビ朝日の煽りは、情報のない素直な少年に脅威を植え付けるには十分すぎるほどの大人の演出だった。

おかげでぼくらのヒーロー、負けるはずのないタイガーマスクがついに敗れる日が来るかもしれないと、自分が闘うわけでもないのに少年たちは戦々恐々と次週の放送日まで気ぜわしい1週間を過ごすことになった。
この放送日を待つ間の感情というのが奇妙なもので、ぼくらは脅威や不安から焦燥感に駆られる一方で高揚感を覚えていた。
つまりそれは、タイガーマスクが負けるわけがない、でももしかしたら今回ばかりは負けるかもしれない、そんな場面なんて見たくない、いや、でもちょっと見たい気もする、という怖いもの見たさ以外の何ものでもなかった。

そんな14歳の少年時代と何ら変わりない気持ちで、大人になったぼくはブラックタイガーならぬタンタンのマスクを着けたシモンさんのページをめくった。

つづく


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