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諸刃の剣

イズムを主義、流儀としているけれど、イデオロギーもほぼ同義かと思う。
これが思想や観念だとすると、これらの言葉からは宗教も連想させる。
「〇〇イズムの継承、と見聞きするとき、多くの人は大抵それを高尚で尊く、素晴らしいことと好意的な受け止め方をされると思う」と書いたようにポジティブに捉えることができる一方で、これらの言葉は衝突や争い、戦争、格差を生む要因であるとも思っている。
そうであれば、何事にも功罪含んでいるようにこのイズムもまた諸刃の剣と言える。 

お店や事業における〇〇イズムの継承にも負の側面はある。
捉え方次第では、継承する側がそれを口にすることで〇〇を超えなくて良い、現状維持で良いと保険をかけている様にも聞こえるし、会社やお店がそれ以上には面白いモノにならない、と暗に示唆しているようにも感じる。
つまり〇〇イズムの継承という言葉に依存することで自立心は希薄になり、思考停止を助長させかねない。
イズムを言葉にすると、きっとそれに囚われ縛られることになる。

やはり厄介な言葉だな、と思う。

カリスマと呼ばれるほどの経営者や歴史ある老舗、一子相伝といった世界であれば 〇〇イズムの継承も機能すると思うけれど、ぼくのやってきたこと程度では弊害をもたらす可能性の方が恐らく高い。
またその程度の実績で身内などから〇〇イズムと担がれ、崇められて喜んでいるようでは、呼ばれる側の創業者も老害への一歩だとさえ思ってしまう。

その上で大切にして欲しいと願う流儀があり、敢えて〇〇イズムと呼ぶのであれば、〇〇は固有名詞でなくアマチュアイズムであって欲しいと思う。
無論、「アマチュアであれ」という意味ではない。プロとしての技術や知識、矜持を持ち続けた上でのアマチュアイズム(素人視点)。
でないと、単純にぼくやお客さんの思う面白い店にならないと思うから。

会食の後半になって田中くん(仮名)は、こうも言った。

「実はこの前、敢えて脱・西山宣言をしたんです」

さすが田中くん、ぼくが面白がりそうなこと、喜びそうなツボを心得ている。
そして、これがスタッフとぼくとの距離感だった。
あっ、スタッフとの距離感について書こうとしていたことをいま思い出した。

それともう一つ。
抽象的で目に見えないこういったものを教えようとするのは、やはり「でも、そんなん無理やし、必要もないで」と思う。
言葉で伝わるものでもないだろうし、受け取る側次第ということもある。

そういえば、かのブルース・リー師匠も少年に「Don't think, feel ! (考えるな、感じろ)」と言っていた。
多分、あれだと思う(知らんけど)。



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