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みずがめ座

ひとつ思い出したことがあるんですけど、
昔好きだった彼女が
無邪気に裸足で砂浜をかける姿を
僕は好きという気持ちではなく
幸せという気持ちで見ていたんです

幸せとは、なるものではなく、
今ここにあると気づくもので、
(と、ありふれた言葉を吐きますが)
目頭が熱くなり両腕から力が吸い取られ、
脱力するような
じわりと鼻の奥に染みる味を思い出すんです
その時に幸せを感じる
僕はね

誰が幸せか誰が不幸かなんて
本当はどうでもいいんですが、
全員が幸せに気づけるといい
誰にとっての幸せかとか
お前は恵まれてるとか、あの子はこうなのに
とか本当にどうでもいいです

諦めているとか、面倒臭いとかじゃない
人の気持ちに、人生に、心に、生活に、幸せに
付け入る隙は無い、
付け入る権利はないと言いましょうか

他人が自分と同じ、他人だと
認識できた時にわかると思います

僕がこのように心について
思いめぐらせ、拙い言葉で表現するのは、
あなたを呪わないため
あなたの心に触らないため

僕の心の輪郭をはっきりとさせることで
あなたに触れないようにするためです

だって意味ないからね
あなたにはあなたの幸せがあり、
あなたにはあなたの心があり、
あなたにはあなたの生活があり、
あなたにはあなたの命があるから、
僕はそこに無駄に干渉しません
だから、
たくさんいいこと言いたいけれど、
助ける言葉を吐きたいけれど、
言わないでおきますね

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