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短編小説 『新春特別号』

「新春号で短編の競作を企画しているんですが、先生にもお願いできませんでしょうか」

 M社の担当編集の沢田くんからメールが届いたのは10月の中頃のことだった。
 お題は干支の寅年にちなんで「虎」。
 40枚見当の短い小説を2022年に合わせて22人の作家が競作するという企画らしい。
 年内のスケジュールに余裕はなかったが、40枚程度ならアイデア次第でどうにでもなる。このところ連載の続きに頭を抱えていたから、気分転換にもちょうどいい。
 私は沢田くんに執筆オーケーの連絡をすることにした。
 それにしても10月中旬で新年号の企画を立てているなんて、いささか遅すぎるのではなかろうか。
 年末年始でスケジュールは通常より1週間は繰り上がる。
 新春号の発売は10日だから、クリスマス頃には校了したいはずだ。そうでなければ大晦日までドタバタする羽目になる。
 沢田くんは今年結婚したばかりだ。そこまで引っ張りたくないはずだ。ゲラの出し戻しや校正を考えると、初稿は11月の上旬には欲しいと言い出すだろう。
(それでも40枚ならどうにでもなる。)
 私には自信があった。

「沢田くん、忙しいところすみません。メールをもらった新春号の件で電話させてもらったんですが」
「わざわざすみません。で、先生、お願いできますでしょうか」
 沢田くんの声にはかすかな弱々しさが混じっていた。気まずさというより、朽ちた倒木の陰で怯える小動物のような弱々しさだった。
「ええ。ありがたく書かせていただきます。よろしくお願いしますね」
「本当ですか! ありがとうございます! 助かります! 先生にはいつも助けていただきっぱなしでホント申し訳ありません!」
 スマートフォンのスピーカーから出る声のヴォリュームがいきなり上がった。

「それにしてもこの企画、新春号にしてはスタートが遅くないかな? 何かあったの?」
「お恥ずかしい話ですが、進めていた別の企画が諸般の事情で急にストップしてしまって。それで大慌てで代替の企画を立ち上げまして」
「なるほど。でね、締め切りはいつ頃を——」
「初稿は11月の上旬にはいただきたいです。お時間が短くて先生には申し訳ありませんが、どうにかお願いできないでしょうか」
 沢田くんの返事は、私が言い終えるより早く返ってきた。やはり年末年始まで仕事を引っ張りたくないらしい。
「11月の上旬ですね。スケジュール的にはそれぐらいが妥当でしょうね。それにしてもいささか慌ただしいなあ。私も内容を考えますが、相談に乗ってもらえますか。他の先生方とかぶっても困るでしょうし」
「もちろんです! 先生さえ良ければ案をいくつか用意して明日にでも伺います!」
 よほど奥さんと年末年始をゆっくり過ごしたいのだろうと私は思った。新婚ならば当然のことだ。できるだけ面倒をかけずに原稿を渡せるようにしなければ。
 私は電話を切り、早速、虎が関係するアイデアを捻り始めることにした。

 翌日の昼過ぎ、沢田くんは前日の予告通りにやってきた。
 肩には見ただけで重さがわかるほど膨らんだカバンが下がっている。
 中には一晩かけて考えたアイデアと資料が入っているのだろう。家にも帰らなかったに違いない。スラックスの膝が伸び、折り目は消えてしまっていた。

「こちらが私が考えた案と、虎に関係する資料です」
 沢田くんが鞄から取り出したレジュメと資料で、打ち合わせ用のテーブルの上はあっという間に埋まった。
 ステープラーでとめられたレジュメの表紙には「新春企画 虎の短編競作(案)」と書かれている。
 表紙をめくると物語2つ分のモチーフと簡単な概要が書かれていた。

「えーと。突然変異で水玉模様で生まれた子供の虎が、ジャングルの動物たちのいじめにも屈せず、冒険を重ねながら立派に成長し、やがてジャングルの王になっていく……これ、ジャングル大帝とみにくいアヒルの子を合わせてるだけだよね……」
「え? みにくいアヒルの子は知ってますが、ジャングル大帝という小説があるんですか」
「小説じゃなくて漫画だけどね。手塚治虫は知ってるだろう」
「ええ、名前だけは」
「ジャングル大帝、読んだことない?」
「すみません、漫画は親に禁止されて育ったもんで、まったく」
「そうか。そうなんだね。まあ仕方ない。これは残念ながらボツだね」

 手塚治虫を読んだ頃もない編集者がいることに私は驚いた。だがそれも時代なのかもしれない。そういう編集者が文芸誌を作る時代になったということかと思いながら、2つ目の案に目を向けた。

「次は……トラ箱で目が覚めると自分が虎に変身していた主人公が、動物園に受け渡される隙をついて逃げ出したものの、人間を噛み殺した容疑をかけられ、警察や猟友会の追っ手から逃走しながら、自分の無実を証明いく話……これはカフカの変身と映画の「逃亡者」のミックスだよね」
「ええ、カフカの『変身』を下敷きにして、虎になってしまった男はいったいどうなるんだろうかと考えてみました」
「なるほどね。それで『逃亡者』は見たことある?」
「いいえ、映画はまったく見ませんので。有名な映画なんですか?」
「自分の妻殺しの疑惑をかけられた医師が警察の追っ手から逃げながら、妻殺しの真相と自分の潔白を証明していくって映画なんだ。映画はリメイク版なんだけど、ハリソン・フォードが主演して、けっこうヒットしたはずだ」
「私の案とそっくりですね! そうかー、同じようなアイデアを考える人が他にもいたんですねー。そうかー、ヒットしたのかー」
 沢田くんは心底嬉しそうに笑みを浮かべた。
「なんだか妙な感心の仕方してないかい。考えたの君よりあちらが先だからね」
「でも主人公がちょっと違うだけで、設定はまったく同じじゃないですか。これは僕が考えたアイデアもいつかは大ヒット映画になるかもしれないってことですよね。なんだか楽しみだなあ」
「いや、そもそも君が考えたアイデアは、まだ形になってないから。いきなり映画まで飛躍する想像力があるのに、どうして思いつく案がこうもパクリ同然になるんだか」
 私の言ったことは沢田くんの耳には入らなかったらしい。いや、想像の中で喜びすぎて聞く余裕もなかったのかもしれない。
「ともかく、どっちの案も通らないのは目に見えてるから、申し訳ないけどボツにさせてもらうよ。こんなの書いたら作家生命終わっちゃう」
「そんなことないです! モチーフが過去のものとかぶっていようが、先生の筆力があれば読者を唸らせる作品になるはずです!」
 沢田くんの持ってきた案にも、ありきたりなフォローにも苦笑いするしかなかった。

「私も虎がらみのモチーフをいくつか考えてみたんだ。ちょっと見てくれるかな」
 私は沢田くんの広げた資料を脇に寄せて、一晩かけて考えた案を並べた。
「ありがとうございます! 昨日の今日でもうこんなに用意していただけるとは」
「一つ目は捨身飼虎図をモチーフにした実験的な小説なんだ」
 端にあったプリントを手に取り、沢田くんの前に置き直した。
「仏画の『捨身飼虎図』って知ってる? お釈迦様の前世だった王子様が、飢えた虎の親子に慈悲で自分の身体を食わせるってやつだ」
「絵は見たことないですけど、そういうものがあるのは知ってます」
「これが面白い絵でね。1枚の絵の中に王子様が3箇所で描かれているんだ。それぞれが衣服を脱ぐところ、崖から身を投げるところ、虎に食われるところで、時間の経過を表してるんだね。異時同図法というらしい。その捨身飼虎図を下敷きにして、異時同図法を小説の中で再現したら面白いんじゃないかと思うんだけど、どうだろう?」
 何かに気が付いたのか、沢田くんはスマートフォンを手にとって何度かスワイプを繰り返した。
「あ、やっぱりだ。先生、誠に申し訳ないんですが、そのモチーフ、K田先生がすでに書かれる予定になってます」
「おや、そうなのか。さすが仏教にも造詣が深いK田先生だ。K田先生と同じことを思いついたというだけでも光栄だね。それじゃあ仕方ない」
「本当に申し訳ありません。先生、ほかのアイデアでお願いできれば助かるんですが」
「じゃあ2番目の案はどうだろう。これは私もけっこう気に入ってるんだ」
 私は捨身飼虎図のプリントを脇にずらして、2つ目の案を置いた。

「沢田くんでも『ちびくろサンボ』は知ってるだろう? 虎が椰子の木の周りをぐるぐる回ってバターになっちゃうのをモチーフにしてだね、プラスチックを石油に戻す方法を研究していた科学者が、ひょんなことからバターから虎を作る方法を思いついてしまって、その技術で世界が大混乱する話だ。面白そうだろう?」
「そのお話の最後はどうなるんでしょう」
 なにやら沢田くんの表情が曇った。
「もしかしたら、加工品がどれもこれも原材料に戻って行ってしまって、コンクリートは砂と石灰に、ウールは羊に、書店の本は木に戻って、世界中は樹木で埋まり、そこらじゅうが石油で溢れて……みたいな感じですか」
「そうそう。君、勘がいいね。、毛皮から戻った動物や、化石から戻った恐竜があっちこっちを走り回って、慌てふためいた人間がオロオロと逃げ回る。現代社会を風刺するスラップスティック風味のSFだ。正月らしくて賑やかでいいんじゃないかと思うんだが、どうだろう」
「……先生とまるっきり同じプロットをT町先生からご提案いただいてまして、すでにお願いしてしまってます……」
 沢田くんが差し出したスマホの画面にはT町先生からのメールが表示されていた。
「おお! 今回の競作にT町先生も参加されるんだね! 私はずっとファンだったんだよ。そうかあ。ご一緒できるなんて夢のようだなあ。いや、もちろんあのSFの大家のT町先生が書かれるなら文句などあるはずがありません。それどころか私が読みたい! よーし、T町先生と一緒だと聞いて、俄然やる気が出てきたぞ! 次はこれだ!」
 いささか興奮した私は花札をしているときのように、3つ目の案を書いたプリントを沢田くんの前に叩きつけた。

「一休さんの虎退治は知っているだろう?」
「あの屏風に描かれた虎を捕まえてみろと言われた一休さんが屏風の前で虎を追い出してくれと言い返すやつですよね」
「そうそう。あのエピソードを下敷きにして、現代社会にタイムスリップしてきた一休さんが現代でも虎退治をせがまれるんだけど、4K8Kのあまりに臨場感ありすぎで失神してしまうというオチのショートショートだ。これは面白いぞ」
 沢田くんの顔がさらに曇りを増した。
「昨日、先生と電話でお話ししたすぐ後にS橋先生からご連絡いただきまして、まったく同じ一休さんネタでいくと仰られてましてですね」
「なんと! うーん、S橋さんかー。タッチの差だったか。まあ、こういったものは早いもの順だから仕方がないか。S橋さんとも親しいし、ここは譲りましょう」
 いつもの作風とは違うスタイルで書いて、あわよくば自分の新機軸になればと考えていたが、ネタかぶりじゃ仕方がない。
「そう仰っていただけると助かります! でも先生の題材はいかがしましょう?」
「まだ5つも残ってるよ、ふふふ。まだ細かくは考えてない雑なアイデアだけど、どれも虎がらみさ」
 私はテーブルに残ったプリントを沢田くんの前に集めた。

「まず1つ目はノワール・コメディ。5カラットのダイヤをイエローオパールが包み込んだ世界で唯一の宝石「アイ・オブ・ザ・タイガー」が物語の中心になる。持ち主の富豪は盗難防止のために宝石を義眼にして虎の眼に埋め込むんだけど、肝心の虎が富豪の家から逃げ出してしまう。宝石目当ての泥棒と飼い主の富豪が虎を巡ってボロボロになりながらドタバタと走り回るという展開。
 2つ目は、干支を決定する会議で、虎を外して猫を入れるべきという「猫派」と、龍虎が並び立たなければ十二支の威厳が下がると主張する「虎派」との議論を描く『12匹の怒れるケモノ』。
 3つ目がプロレス界を去ったタイガーマスクのその後を描く『その後の伊達直人』。伊達直人であることを隠したまま阪神タイガースの入団テストを受けて、プロ野球史上初の覆面プロ野球選手になって、タイガースを優勝に導くという話。
 4つ目が生まれた直後から人間に育てられた虎のティガーが史上初の警察虎になって活躍する捜査員との友情物語。
 5つ目が、正月でどこもかしこも休業の中、1軒だけ空いていたバーに入った主人公が、カウンターに座っていたスーツ姿の虎と会話をするという不条理小説だ。虎はフェイクファーのエリマキを椅子にかけてあったり、環境問題について虎の立場から意見を言ったりと、現代社会の問題について種を超えた会話が展開されるんだ。
 あとはトラットリアとか、トライアングルとか、駄洒落しか思い浮かばなくてさ。でも5つあれば大丈夫でしょ。どれがいいと思う?」

「……先生」
 沢田くんの顔が途中からどんどんと下を向き始めていたことには気がついていた。
 耳で話を聞きながら全体を想像して、どれが一番面白くなりそうかを考えているようにも見えていたが、頭の中に「……先生」と言い出す映像がフラッシュのように閃きもした。
 その怖さを振り払うように5つのストックを一気に語ったのだが……。

「本当に本当に本当に申し訳ないんですが、どれも他の先生がたがすでに書かれる予定のアイデアばかりです……」
「え? 本当に? 5つとも全部? だって5つもあるんだよ。しかも馬鹿馬鹿しいアイデアばかり。誰が書くことになってるの? 新春早々こんなのを書こうと思う作家なんている?」
「それがいらっしゃるんです」
「いるんだ」
「残念ながら」
「こんな馬鹿な話を書こうって馬鹿な作家は誰なんだ、いったい」
「えーとですね」
 そういうと沢田くんはまたスマートフォンをいじり始めた。
「あ、ありました。最初の義眼に宝石を埋めた虎が逃げ出す話はO井先生、2番目の十二支の会議の話は童話作家のMノ内先生、タイガーマスク絡みの話はスポーツ小説のN田先生、虎が警察犬になる話は警察小説のD門先生、虎が人間と同じ生活をする不条理な会話劇は劇作家のB場先生がお書きになることになってます」

 私の顔はさぞかし間抜けだったに違いない。口は半開きになり、視点は沢田くんを通り抜け、さらにその先でも焦点が合わなかった。
 こんなたわいもない——有り体に言えばくだらない思いつきを名の通った作家陣が書こうとしているとは。それでいいのか新春特別号の競作企画!
 混乱してうろたえそうになっている自分に気がつき、一つ咳払いをして落ち着きを取り戻したふりをした。
「沢田くん、22人の作家と言っていたよね。あとの人たちも何を書くか決まってるのかな」
「そうですね。まだはっきりとは決まってない先生もいらっしゃいますけど、いくつかの案で迷ってらっしゃったり、どこまで掘って書くかを決めかねてる先生がいらっしゃる感じですかねー」

「ちなみに私に声をかけてくれたのは何番目だったのかな」
 あまりの重複ぶりに、他の作家たちはすでに何を書くかが決まっているんじゃないかと疑念が湧いた。
「先生、順位とかって気にするタイプだったんですね。意外です」
 沢田くんの眉が動き、目に怪訝そうな光が宿った。
「あ、いや、順位を気にしてるわけじゃないんだよ。何番目だろうが仕事はきっちりします、もちろん。でも自分が何番目くらいで声をかけてもらえてたのか、できたらちらっと知りたいなーと思ってさ」
「ふーん、そうなんですねー」
 まずい、明らかに疑っている。でも声をかけられた順番はそのまま編集部での私の順位でもある。やっぱり知りたい。いや知っておきたい。
「いや、本当。本当に順番とか気にしないから。たださ、ぼくも人間だから、ほら、わかるでしょ、そういう気持ち」
 気持ちと真逆のことを言おうとしても、やはり本音は漏れ出てしまう。。
「結局、知りたいんですね……」
「教えてくれるなら……」
「隠しても仕方がないですし、お教えしましょう」というと、沢田くんはポンと膝を叩いて、居住まいを正した。

「先生の前にお声がけした方は全部で26人です」
 開き直ったようにきっぱりと言った。
 はっきり26人と言った。
 ん? 26人?
 この企画、2022年に合わせて22人の作家で競作するって言ってなかったか?
「あのー、ごめん。22人の競作だったよね」
「はい。22名の先生方の競作です」
「で、ぼくの前に26人?」
「はい。先生が27人目です」
「ちょっと待て。君、算数できるよね。27は22より大きいよね。27から22引くといくつかわかるよね」
「何をおっしゃってるんですか。わかるに決まってるじゃないですか」
「そ、そうだよね。わかるよね。わかるならいいんだ。いや、よくない。どうして27人目のぼくが22人の中に入れるわけ」
「それは先生方のスケジュールとか好みとか抱えてる締め切りとか、社会的影響とか、気が向くとか向かないとか、いろいろと理由はあるんでしょう。そこまで深くは私も知りませんが」
「いや、そんなに深いところの意味を聞いてるんじゃないんだ。よし、わかった。回りくどい言い方はやめよう」
 私は一つ咳払いをして続けた。
「私はいったい何番目だったのかな」
「5番目です」
「待て待て待て待て。またわからなくなってきたぞ。22人の作家の27番目の私が5番目ってのはなんだ? どういう仕組みだ? M社の編集部には外部の人間にはわからない謎システムがあるのか?」
「そんなのありませんよ」
 沢田くんの口調には明らかに嘲笑が混ざり始めていた。
「謎システムがないなら、22人の27番目が5番目って、何をどうしたらそうなるんだか私にもわかるように説明してくれ」
「先生もアレですね。意外にアレで驚いちゃいますね」
「アレってなんだ、アレって」
「いや、意外に察しの悪い方だなと」
「そんなことはどうでもいい。5番目がなんなのかを教えなさい!」
「補欠ですよ」
「ほ・け・つ?」
「ええ、ほ・け・つ」
「補欠……補欠ってなんだっけ?」
「補欠、控え、リザーブ、代役、ピンチヒッター、替玉、他にも何か考えましょうか?」
「あ、いや。ごめんなさい。でもどうして私が補欠なのか、ちらっと、ほんのちらっと教えてもらえませんでしょうか、沢田さま」
「ま、そういう扱いってことなんでしょうね。でも先生、昔からよく言うじゃないですか。『補欠に入らずんば虎児を得ず』って」

 結局、私が書いた短編のタイトルは『虎穴に入らずんば』だった。
 原稿料は思いのほか安かった。

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