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孤高と孤独は違うということ、独りへの耐性のこと〜2021年の気の早い振り返り
クリスマス前に少々気が早いようにも思うが、気が向いたので今年を振り返ってみた。
結局、今年もコロナウイルスに振り回された1年で、通常とはかけ離れたまま過ぎてしまったのは間違いない。
外出の自粛やら感染防御やら、何から何まで不便なことばかりだったけれど、いろいろと気づくことの多い時間でもあった。
それまで「日常」と呼んでいたものがいかに脆く、いかにあっさりと崩れていくものなのかを思い知ったのと同時に、日々の中で当たり前にやってきたことの一つ一つの意味というか、意識することもなく曖昧なまま流してきた多くの物事の輪郭がはっきりと見えてきた気がする。
手当たり次第というのは便利な方便で、その実は優先順位をつけることが面倒なだけなのだと気がつくこともできた。
既往症持ちで、世間一般の人よりもさらに注意深く過ごさねばならない中で、考える時間だけは増えた。
罹患が重症化に繋がる確率が高いと言われれば臆病にもなるし、人生の残り時間が一方的に削られていくような気にもなっていく。
幸い、そこで疑心暗鬼になることも、過度に怯えることもなく、「残り時間が少ないなら、何を優先するべきか」という方向に頭が向いたのは幸運だった。
コロナの襲来前に心臓の病で心停止を経験していたことも大きく影響したはずだ(心臓が止まっていた記憶も感覚もまったくないのだけれど)。
個別具体的に挙げ出したらキリがないのだが、いちばん大きな発見 —— 再確認は、人と会わないことへの耐性が存外に強いということだ。
友人たちとはなんの躊躇もなく会うのが当たり前だった。体を壊しているとか、特段の事情がない限りは、誰もが同じ感覚だっただろう。
そうした当たり前のことが急にできなくなってしまったとき、世の中ではオンライン呑み会やら何やら、「それでも誰かと会いたい」という願望や欲望を解決する方策が一般化した。ところが僕は自分で不思議に感じるほど、その流れに関心が向かなかった。
何をしていたかといえば、ずっと本を読んでいた。
誰に会うこともなく、買い物や、過度な運動不足を防ぐための散歩など、必要最低限以外は出かけることもなく、朝から晩まで「食うか寝るか読むか」の三者択一みたいな生活を続けていた。
考えてみればSNSも携帯も何もなかった10代の頃は、毎日がこんな感じだった。
約束でもしていなければ、週末など誰とも会うことはない。暇つぶしに出かけた池袋あたりで誰かと偶然出くわすくらいのもので、自分から誰にも連絡をしなければ、誰からも連絡はこなかった。
気が向けば散歩に出て、あとは日がな一日、ただ本を読んで過ごす。部屋で本を読んでいることに飽きたら、近所の公園のベンチや喫茶店で続きを読む。日が暮れたら帰る。それが日常というものだった。そしてそのことに違和感など感じたことなどなかった。
なにせ随分と昔の話なので10代の頃の生活など記憶の奥底にしまいこんだままになっていたが、時間を経て見直してみると、どうやら僕は元々から独りでいることへの耐性があったらしい。
いや感覚が鈍かっただけかもしれない。
ちょっと前に今年の東京五輪の金メダリスト、柔道家の大野将平が「孤高と孤独は違う」と言っていたのを思い出した。
「孤高は望んで独りでいること。上を見ているから周りは見えないけれど、実はそこにはだれかがいる。孤独は望んでもいないのに独りになってしまっていること。周りを見ても誰もいない。孤高も孤独も独りだけれど、孤高は孤独じゃないんです」
大野選手が言っていたのはそんなことだったように記憶している。
僕は自分が孤高の人であるとは思えないけれど、言われてみれば当てはまるところはなくもない。
流行とか一般的な考えとか「普通」と呼ばれる諸々のことにさほど関心はないし、周りから「変わっているね」と指さされることにも抵抗も反感もない。
接点を持つことを拒否するわけではないけれど、関わりを持つことが最優先ではない。
望んで「孤高」になっているわけではなくて、自分のやりたいようにやっていると、自然とこうなる感じだ。
そしてそうなることに対してもまた何の抵抗もない。
閉じていないことは自分がいちばんわかっているからだ。
と、偉そうに語ってみても、すべては僕の鈍感のなせる技かもしれないし、勝手な思い込みを正当化しているだけかもしれない。
でも達磨にせよ晩年の武蔵にせよ、「開いた」まま独りだった人は多い。彼らはあまりに高いところにいたので、誰も近づけなかっただけだ。世間にまみれてはいなかっただろうが、かといって断絶していたわけでもない(本当に閉じていたのなら、今まで名が残るはずもないだろう)。
彼らにしてみれば「自然とそうなった」だけだったんじゃないかと思う。
自慢するようなものではないけれど、独りでいることへの耐性が予想外に高いと気付いたのが、結果、今年のいちばん大きな収穫だった。
それが生かされるのかどうか、そこから何かが生まれるのかどうかは、来年以降のお楽しみというわけだ。
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