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沁み入るエッセイ

20年ほど前、温泉旅行のついでに、山形の山寺こと立石寺に行ったことがある。
山寺といえば芭蕉の名句「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」で有名な観光名所だ。
参道入口の根本中堂の脇にある句碑に芭蕉の句と由来が彫られ、句碑から延々と続く石段を登って奥の院を目指す。
まだ夏の盛りには早く、岩にしみ入るほどの蝉の声は聞こえず、気の早い蝉だけが時々鳴いているくらいで、聞こえてくるのは石段を登る観光客の荒い呼吸の音ばかりだった。
奥の院までの中間ほどの剥き出しになった弥陀洞と呼ばれる岩肌を見上げて、芭蕉が蝉の声がしみ入ったように思えた岩はこれかもしれないと感じた。

近所の古書店の表には100円均一で売られている文庫本が並んでいる。
昨日、通りかかった時に並んだ本の中に日本エッセイストクラブ編集のベストエッセイ集を見つけた。1998年度版だった。
今から約20年前に「ベスト」として選ばれたエッセイというだけでも興味があったが、それ以上に、オンラインで活動する作家などごく少数だった頃、紙の本で読まれる前提で書かれたエッセイはどんなものなのかを読んでみたかった。

目次には吉行和子、村松友視、妹尾河童、赤瀬川源平など、錚々たる名エッセイストたちの名が並んでいる。
そして集められたエッセイは、ベストエッセイのタイトル通り、吹き出すほど面白かったり、心地よい余韻を残したり、深く頷いたりといったものばかりなのだった。
僕は椅子にもたれかかったままページをめくり、沁み入るエッセイというのはこういうものだよなと思った。

文章講座に通うまでもなく、ネットをいくらか掘り返せば「エッセイの書方」みたいなものはすぐに見つかる。
僕の見方が偏屈なのかもしれないけれど、そこで紹介されている書き方の通りに書いても沁み入るエッセイにはならないように思う。
チュートリアルに従って、順序どおりこなしていっても、完成止まりでしかない。沁み入るのはもう一段も二段も深いところを掬わなければならない。

ベストエッセイに収録されたものと比べたら、自分の書くものなど、授業中の暇つぶしに教科書の余白に書いた落書き程度のものだ。
上手なエッセイを書くには、こういうよくできたエッセイを書き写すのがいちばんなので、久しぶりにいくつか書き写してみようかと思った。
コピー&ペーストではわからない書き手の呼吸とか、力の入れ具合・抜き具合も、書き写しているうちに気配を感じることができる。
写経をしても仏陀の教えは少しもわからないが、エッセイや小説は書き写しはいいトレーニングになる。
それでも心に沁み入るエッセイを書くには十分ではないんだろうけど。
やっぱり小手先だけじゃ、どうにもならないってことなんだろう。

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