見出し画像

小鷹信光と連帯感(あるいは帰属意識)

 先日、ハードボイルドの評論家で翻訳家の小鷹信光さんの『私のハードボイルド〜固茹で玉子の戦後史』を読んだ。
 小鷹さんはダシール・ハメット、ジェイムズ・クラムリー、ロス・マクドナルド、ギャビン・ライアル、レイモンド・チャンドラー、ミッキー・スピレーンといったハードボイルド、探偵小説好きなら誰もが知っている作家作品の翻訳を手がけられ、故松田優作が主演したテレビドラマ『探偵物語』の原案者でもある。
 探偵物語がオンエアされていた当時、私は高校生で、すでに探偵小説を読み耽っていたので、小鷹さんの名前はもちろん知っていた。
 探偵物語の原案が小鷹さんと知って、「これが面白くならないはずはない」と確信して毎週テレビにかじりついていた。

 その小鷹信光さんが私と同じ高校を卒業した大先輩であると初めて知った。
 作中で通われていた高校の近辺の描写があって、「なんだか馴染みがあるけど、OBだなんて聞いたことないよなあ」と思っていたら、先になって高校の名前が出てきて、同窓だったとわかったのだ(なんと小鷹さんのお兄さんもまたOBだった)。
 それまではハードボイルドというパイプを通じて憧れていたものが、いきなりず一人の人としての存在を実感できる近さにある存在に変わった(憧れや敬意が薄れたわけではなく)。

 私の卒業した高校は元が旧制中学だった学校なので、伝統的に受け継がれてきた校風に特徴がある(いまではネガティブな意味で随分変わったようだけれど)。
 卒業の年次がかけ離れていても、同じ学校の卒業生だとわかると「おお、君もそうなのか!」と親子どころか、祖父と孫ほど違う年齢であっても、妙な相互理解が成り立つ。
 ああいう連帯感、帰属意識、同朋意識がどこからどう発生するのかを考えるとなかなか面白い。

 これが例えば大学なら珍しくもない。
 早稲田なら早稲田、慶応なら慶応、京大なら京大、同志社なら同志社、年次も学部も違っていても、そこには妙な連帯感が生まれる。
 きっと私が知らないだけで、他の高校にも似たような感覚は存在しているのだろうが、高校の3年間がとにかく面白い時間だったせいか、クローズド・サークルの中に自分がいるというのは妙に心地がいい。
 高校を除いて小学校にも中学にも大学にも、かつて所属したいくつか会社にも愛校心も愛社精神も微塵もない上に、団体行動は好まず、群れるのは嫌いという性格なのに、どうして同じ高校を出たというだけで連帯感を抱けるのは実に不思議なことだ。
 単に日本的ムラ社会のなせる技ということでもなく、こうした感覚はどこにでもあるような気がする。アラスカのイヌイットの世界だろうが、ニューヨークのパワーエリートの世界だろうが、どこにでも。
 人間種の持つ特性なのだろうかと思いつつ、小鷹さんが翻訳なさったジェイムズ・クラムリーの『酔いどれの誇り』を本棚から引っ張り出して、久しぶりに読み始めた。
 同窓というのは本を再読させる力も持っているものなのであった。


ぜひサポートにご協力ください。 サポートは評価の一つですので多寡に関わらず本当に嬉しいです。サポートは創作のアイデア探しの際の交通費に充てさせていただきます。