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体力測定、これにて終了

始めるときは「丸一日書いてやるぜ!」と体力測定を始めてみたものの、途中に休憩を挟んでも9時から5時まで続けるのが限度のようだ。
10本目の投稿のこれを書き終えて、体力測定は終了することにした。

長い時間、書くのには体力が必要だとは思っていたが、今回のように題材を変えて、スピード重視で書くのは思った以上にしんどい。
材料探しには困らない一方で、頭の切り替えがなかなかきかない。
切り替えがきかないから、似たり寄ったりの材料を似たり寄ったりの書き方で書いてしまう。
それが自分のパターンだとも言えるけれど、材料を置き換えただけで発想の飛躍もない文章は書いていても、自分で読んでも面白くない。
書きたいことがあるなら話は別だけれど、1日に1〜2本の投稿を相応の時間をかけて書くのが良いようだ(年齢にもよるし、集中力にもよるのはもちろん)。

これで自分の執筆体力が測れたかどうかはかなり疑問だ。
小説を書くために費やす労力や集中力とnoteの投稿を作るのでは、根本的に違うところを使っている気がした。
(というか、使い方の深さが比較にならないほど違う)

どちらが楽かといえば、どっちもしんどい。
でも楽しさは小説を作る方に軍配があがる感じがある。
気分のままに好き勝手に、野放図に書くのは楽しそうに見えるけれど、意外なほど早く飽きる。
小説のように別の世界を構築する方が面白いように思う。

個人的な比較で言うなら、数をこなすという意味では10代の頃と比べて極端なほどの低下はなかったと思う。
10代の頃に腕立てが100回できたとしたら、いまは70回ぐらいという感じ。体感的には55回ぐらいなのだが、結果の量を見ればそこまで落ちていないのだとわかる。

中身については今の方が読みやすいのではないか。
自分で書いた文章を自分で読むのだから、あまりアテにはならないが、馬齢を重ねていろんな知識や経験が積み重なった分、引き出しは増えているようだ。
でも引き出しの中に増えたものをこうして浪費するのもなんだかもったいない。小説を書くのだから、そちらの方へすべて流し込む方が良い。

これも年齢を重ねた効果なのか、さして面白くもない材料であっても、深く考えずに文章を連ねられるようになっていた。
知らず識らずのうちに小手先のテクニックと勘所を身につけていたということなんだろう。
まあ、息抜きや気分転換に書く、頭の中に残った澱がヘドロになる前に書き出す装置として使うには良いんだろうな、きっと。

というわけでこれにて測定終了です。
フォロワーの皆さん、タイムラインを散らかしてゴメンなさい。

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