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「MVV」は小説制作に応用できるか

 企業勤めをしている人なら「MVV」は見聞きしたことがある、あるいは日頃から何かにつけて目にしているものだと思う。
 経営学者のピーター・F・ドラッガーが2002年の著作『ネクスト・ソサエティ』の中で触れた一節を日本の経営者が自社の経営理念を表出するものとして便利に使うようになったシロモノで、「ミッション(mission)」「ヴィジョン(vision)」「バリュー(value)」の頭文字をとったものだ。
 経営理念を言語化する難しさは経営者にとっては難しいことも多いようで、MVVをテンプレート的に使う企業が急増したというのが現実なのではないかと思う。少なくとも僕が社会に出た頃にはこんな言い方はなかったし、カタカナ言葉が嫌いな僕はこの3つを目にして生理的な嫌悪感しか感じなかった。
 MVVは企業の使命と企業が掲げる理想と、それらを実現するための行動指針をわかりやすく分割しただけのもので、「MVV」という言葉が出てくるはるか以前から長く続く日本企業には「社是」「社訓」という言葉でこれらはちゃんと言語化されていた(いささか古めかしくはあるけれど)。
 こうしたものは創業者が社会に旗を立てる時点ですでにあるもの、企業活動を続けていく間に醸成されたその企業ならではのものを視覚化するだけのもので、後付けで無理やり作るものではない。企業文化と呼ばれるものはその一端に連なる「らしさ」なのだと思う。

 現実の社会では経営者が企業体を一つにまとめておくために掲げるものだが、これは物語を作るために応用できるのではないかとふと考えた。
 小説はどれだけ現実味があっても、所詮は空想の産物である。
 ないものをこしらえて、一定の方向に動かしていくことは企業運営と比較的似ているように感じた。
 創作する中で架空の企業を作って……ということではなく、物語世界を作る作業を企業運営に置き換えてみると、作り始める前段階でMVVが妙に当てはまるのではないかと気づいたのだ。

 「ヴィジョン」とは物語が決着した世界(社会)はどのようになるのかということ。当然、物語のスタート時点とは様相が変わるのが前提である(始まりと終わりに何の変化もなければ、物語の存在理由は廃線になった路線バスの停留所並みにない。物語を経た後に現れる世界はどんな世界なのか。それをあらかじめ考えておくことは欠かせない。
 「ミッション」はスタートからゴールを目指す理由(目指さざるを得ない、目指さなければならない理由)、主人公に課せられた使命、物語が進んでいく動力であり燃料ではないか。理由には必然性が必要なのは言うまでもない。人間は非合理な側面はあっても、おおよそ合理的であることを好むものだし、合理的でないものは本能的に受け付けないようにできていいる(ように見える)。
 合理的であっても不釣り合いな動力や燃料を用いては、それ自体が非合理になってしまう。月に向けてロケットを打ち上げる動力がロケット花火ではしょうがない。
 「バリュー」(この語感の貧しさはどうにかならないものだろうか)は、主人公の行動指針、価値観だろう。(社会正義を実現するためにあらゆる不正な手段のみを選ぶというように、物語を進めるための選択や行動が目指す目的と合致しなければ、物語は破綻した主人公によって進められることになってしまう。

 と、こんな形で物語を作り始める前、何かをヒントに着想を得た時点で「物語のMVV」を視覚化するのは、プロットを作るにあたっても効果があるのかもしれないと考えたのだった。
 実際にやってみると、後付けで言語化するのはかなり難しくて、何度やってもとってつけたようなシロモノになってしまうのが困りものなのであった。やはり自分の中に在るもの以外のものは出てこないらしい。

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