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パンとにわか雨【短編小説】1800文字

強力粉の山の対角に、三温糖と塩。
バターはできれば小さくカットして入れ、牛乳を注ぐ。
仕上げに蜂蜜をまわし入れ、ドライイーストをセット。
タイマーの時間は午前5時半。いつもの帰宅時間だ。

一条カケルはここにワーケーションで来ている。
普段はワンルームのアパートにこもって絵を描き、SNSにアップしている。DMで来る依頼に応え、アイコンや挿絵で少年少女を、背景画でビルや田舎町を描いている。
仕事の受付から納品まで、まだ1人で回せる程の量しか依頼は来ていない。
アルバイトの新聞配達で生活費やリアルな世間の日常と接触し、健康を保っている。
が、ここ数日はゲストハウスのふわふわの布団で眠り、パンが焼ける時間にセットしたスマホのアラームで起きている。

「おはよう。今日もほわほわしているね」
赤いチェックのミトンを手にはめて、パンケースからそっと取り出した。
パンが焼ける匂いは、カケルが寝泊まりしている2階の部屋から階段をゆっくり降りていくと徐々に漂い始める。
香ばしくて、甘い。パリッとして、やわらかい。
もう一度匂いを捉えようとパンに鼻を近づけると、つい目をつむってキスするような仕草になった。

キッチンの窓にかかっている薄いカーテンが、グレーからオフホワイトに変わりゆき、顔を洗い終えたカケルは濡れた前髪をタオルで乾かしながら、冷蔵庫から買っておいたハムと卵を取り出した。
ここに来てから近くのスーパーで見つけた厚めのハムと普通の卵。
温めたフライパンにオリーブオイルを数滴垂らして馴染ませると、そこにハムを2枚乗せた。
ピチッパチッとハムの片面に焼き色をつけて裏返し、その上に卵を2個割り落とす。
「目指すはとろとろの半熟かなー」
フライパンの蓋は内側を軽く濡らしてからかぶせ、火加減を調整した。

地道な活動が実って、今までにない規模の依頼が舞い込んだ。
今回は久しぶりに動画の編集作業があり、部屋のデスクトップから離れられなくなる前に環境を変えて準備しようと、前金でワーケーションに来ているのだ。
リズムは崩さずに、でも新しい何かを得て、この依頼に応えたいとカケルは思っている。
「おっ、いい感じ」
黄身が白い膜で覆われたことを確認するとフライパンの蓋を開け、持ってきたお気に入りのマグカップに牛乳を注ぎ、電子レンジで温める。

ホームベーカリーで焼いたパンは焼き立てをすぐに切ると潰れてしまう。
カケルは1日目でそれを知り、拷問かと思ったが、それ以降は顔を洗ったり、ハムエッグを作ることで時間を置くようにしている。
パンナイフで3cm程の厚切りにし、オーブントースターで薄っすら色づく程度に焼く。
ふわふわもちもちの状態で焼かずに食べるのも、まるで入道雲を食べているような特別感があるのだが、カケルは1日目の潰れたパンを1斤丸ごと食べたことで味わい尽くしていた。
電子レンジで温めた牛乳にはインスタントコーヒーを振り入れ、濃いカフェオレにしている。

「・・・いただきます」
まだ誰も起きてこないリビングで、窓際のカウンターに座って外を眺めながらトーストしたパンを一口かじる。
「うん。うまい。やっぱ蜂蜜ってすごいな」
蜂蜜を入れると、トーストしてもしっとり感とやわらかさは失われず、表面がサクッとすることによって、なお際立つ。
このゲストハウスのオーナーに教えてもらった。
もう一口かじり、ハムエッグに向かう。
狙い通りの半熟加減で、厚めのハムに黄身が絡む。
白い皿に残った黄色のソースは、最後にパンにつけて食べることが計画されているようだ。

窓ガラスに雨粒がついた。
「あれ?今日も晴れると思ったのになー」
カフェオレを飲みながら、天気予報を確認しようとスマホのアプリを起動した。1日の時間帯では太陽マークがずっと並んでいる。
「にわか雨かなー」
カウンターに身を乗り出して、窓から空を見上げる。
向こう側に青空が見え、アルバイト後の早朝を思い出した。
アパートでは冷凍して保存していた食パンを毎朝食べており、
ホームベーカリーでパンを焼いたのはここに来てからが初めてだった。
それはそれでおいしかったのだけれど、カケルは見つけてしまったのだ。

それから、キッチンの方を見た。
パンはまだ3切れ残っている。
もうちょっとリビングで過ごして雨がやむのを見届け、それまでに他のゲストが起きてきたら、朝食にこのパンを勧めてみようか。
カケルはこの満ち足りた気持ちを誰かにお裾分けしたくなった。


難しかったです…
みなさんの作品を読みたいと思い、詳細設定が載っているページを貼っておきます。
たぶん、この設定で書くんじゃなかろうかと。
違ったらごめんなさい。

設定読み返したら、凹んでる若者だったー

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