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不器用な母と素直になれない私

不自然なほど静かな車内だった。無言がつらい。すれ違う車のヘッドライトが地面に反射して、暗さを際立たせる。
「駅までどうやって行くの?お母さんに言わんで、どうするつもりやったの……。で、何時?」
念願のベトナムでの就職。いつもながら、ぶっきらぼうに母が送迎をかってでた。
「何時に着くの?」「忘れた」
「食べるもん買ってかんでいいの?」「うーん、いいわ」
言葉が出ない。本当はこんなこと言いたいんじゃないのに……。カチ、カチ、カチ……流れる風景が止まった。
「……ありがと。」
軽く手をあげて、一直線に駅に向かって歩いた。

物心ついて、気付いたら父とは一緒に住んでいなかった。週末、たまに一緒に遊んでくれる父は優しく大好きだった。一方母は、いつもピリピリしていた。私にとって母は一国の絶対的君主。逆らったことなどなかった。そんな母は、たった1人で娘3人を見事に育てあげてみせたのだ。

幼少期、私にはサンタさんなんか来てくれたことはなかった。お年玉も誕生日プレゼントの記憶もない。とにかく貧乏だった。そのはずなのに、誕生日に興奮しながらも丁寧に包みを開ける妹と姉を横目に、私は平気なふりをしていた。悲しがる顔を見られたくなくてポーカーフェースだけがうまくなっていく。溢れんばかりの愛情を受け取る周りの人たちが、本当はうらやましかった。

しかし、私も成長するにつれて気付いてきたことがある。3姉妹の中で、私は1番母に似ていた。「素直」という言葉を知らない2人。私たちは「余計なひと言」の天才であった。最短距離のコミュニケーションをいつも選ばない、まるで低性能のカーナビだ。ぶつかることも多く、喧嘩が絶えない毎日。反抗期の私は謎の使命感にかられ、母を不幸せにすることに異常に執着していた。ひどい言葉を何度浴びせただろうか……。きっと、「ありがとう」と言った数の方が少ないくらいだ。大きなぼたん雪が静かに降る冬、私たちは大喧嘩をした。思ってもみない言葉が口をついた瞬間、「あ、しまった」と思った。鼻水をすすり肩を震わせながら食器を洗う母。自分を正当化するかのように、私は毛布の暖かさに集中した。

これではだめだ、と思った。とにかく環境を変えたくて、自分の居場所を探し続ける毎日。とにかく、母のもとを離れたかったのだ。そして25歳の夏、自分を理解してくれる人たちとの出会いに期待して、ベトナムでの就職を決めた。青々とした空を飛ぶ鳥を見て、自分の背中にも羽が生えたような気がしていた。それなのに、渡越が近づくにつれて今まで隠れていた知らない私が、感情をかき乱し始める。得体の知れないもののせいで心地悪かった。荷物がなかなかまとまらない。タンスにもたれかかり、部屋の隅を見つめた。

記念すべき渡越の日。転機は曇り。本当は「行ってくる!」って言いたかった。曇り空のように、なんとも私たちらしい会話で別れた。『ついに念願のベトナム!!』私らしくないリア充感満載の投稿をSNSにあげて、無理して笑顔を作った。

なんとも恥ずかしい話だが、ベトナムで働いて約1か月、ホームシックになった。母に会いたい。そんな感情があるなんて、知らなかった。寝る前、母のことを考えるのが私の新しい習慣だ。本当は全部分かっていた。いつも駅まで送り迎えしてくれたこと。いつも私の挑戦の1番の理解者だったこと。本当は心配性のくせに干渉しないように我慢してくれていたこと。いつもまめに連絡を取りたがっていたこと。自分のことはいつも二の次で私を助けてくれたこと。

不器用ながらも、母なりに私に愛情を向けるその姿を見るのがなぜか怖くて、全部わかっていたのに気付かないふりをしていた。気付いてしまったら、自分まで素直になってしまいそうで。初めての感情を知るのが怖かったのだ。

そして、『人生は挑戦』をモットーにする私が未知なる挑戦を決めた。人生25年で1番難しい挑戦だった。
「え、4日間くらい休みとれるやろ?」「はぁ…?なんでぇ…」
「ベトナム飛行機安いよ」「あぁよくテレビで見るね」
「案内したるで」「いつよ…」
「2月くらいが一番いいかもねぇ」
最短距離を選ばない、なんとも私たちらしい会話だった。旅行好きな母にベトナム旅行をプレゼントした。「いつも感謝してるから」なんて言葉は送らなかったけど、私たちにはそれで十分だったと思う。

私の叔母といとこをつれて、母がベトナムに到着した。笑いながら「あぁ疲れた」という母はとても嬉しそうだった。「あ、そう」と言いながら、空港の活気になじむ自分が心地よかった。

ベトナムでの4日間、驚くほど素直な自分がそこにはいた。母と写真を撮り、おいしい料理でもてなす。目と目を合わせ、母と笑い合いながら話すことの楽しさを初めて知った。帰国する前日、顔を赤らめながら談笑する母と叔母との会話を聞いた。
「やっぱり誇らしいよ。あっち行ったりこっち行ったり、いろんなところ連れまわされたけど、娘のおかげでいろんなところに行かせてもらえるもん。ほんとに感心するわ」
ずっと我慢していたものが両目からあふれ出てくる。私はやっぱり素直になれなくて、知られるのを恐れて、部屋へと戻った。

「忘れ物は?」「うーん、ないと思うけど…」
「いやぁ楽しかったわぁ」「それは良かったです。」
「次いつ帰ってくるの?」「うーん、分からん。」

空港に向かうタクシーの中、会話が止まらなかった。橋を渡るバイクのヘッドライトがキラキラしていて、とてもきれいだった。

「じゃあね」「ありがとうね」
保安検査場に消えていく母に向かって、大きく手をふった。乾季のベトナム。からっとした風を浴びながら、母たちを乗せた飛行機の後ろ姿を見つめた。


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