【小説】ピエロなシエロのおかしなおはなし Part.9
〜泣きっつらにハチミツを〜
「ありがとうございました!」
本日最初のお客様を見送ったマジディクラの店員二人は満足げに頷きました。
今日はついています。だって、オープンからすぐにお客様が足を運んでくださったのですから。
エイマは嬉しそうに焼き菓子を補充していきます。
本日最初のお客様は常連のお婆さまで、なんでもお友達の誕生日を祝うお茶会を開催するとのことで、普段よりも多くの焼き菓子を購入していってくださいました。
幸先の良いスタートを切れたルーフェは、通り向こうの建物の屋根の上でこちらを伺う閑古鳥に向かって笑顔で微笑むと、さっと扉を閉めました。
「ラッキーね。あんなにたくさん買っていってくれるなんて。それにしても何人来るのかしら、そのお茶会って」
エイマは窓ガラス越しに見える通りをぼんやりと眺めながらそう呟きました。
「さぁ。お婆さまのネットワークって物凄いんじゃない?」
ルーフェは優しく微笑みながらそう返すと、新作メニューを作るべくキッチンの中へと篭ります。
「あんまり棍詰めてやらないようにね」
エイマはそんなことを言いつつも期待をたっぷりとたたえた目をしています。
ルーフェは今、例のディアボロ伯爵のホテルへ卸す焼き菓子を考案すべく、頭を捻り続ける毎日を送っていました。
伯爵からは三点ほどの焼き菓子を見繕ってほしいと言われており、そのうちの一つはマジディクラでも販売している三日月型のガトーショコラで決定していました。
すでにその三日月型のガトーショコラは伯爵のホテルでの提供が始まっており、ルーフェは残り二つの焼き菓子の製作に追われているのです。
さぁ、どうしたものか、と適当に紙を引っ張り出しデザインを考え始めます。
あーでもない、こーでもない、とボツになった焼き菓子のイラストが次々とゴミ箱へと投げ入れられる間、お客様は一人もこなかったようでエイマは欠伸を噛み殺しながらルーフェの様子を見にやってきました。
「どう?いい感じに進んでる?」
退屈すぎて疲れてしまったのか、エイマの表情は今日もまた晴れません。
ルーフェはふぅっと深呼吸をして首をゆっくりと振りました。
「なんか、こうイマイチ物足りないのよねー。斬新なデザインでもなければ風情を感じられるものでもないって感じ」
気がつけば外はもう夕方になっているようです。
ルーフェが描き下ろしたいくつかの案をパラパラと見たエイマは深いため息をつきました。
「まぁ仕方ないわ。そんな簡単にできたら苦労しないもの」
二人してどんよりと重たい空気を吐き出していると、キッチンの窓を閑古鳥が叩きます。
エイマは憎たらしい!と言った表情で裏扉から出ていってしまいました。
仕方なしに閑古鳥の相手をしてくるようです。
ルーフェは外で「カッコウカッコウ」と騒ぐ閑古鳥の鳴き声に集中を乱され、とうとう手にしていたペンを投げ出してしまいました。
すると表の方からお客様の来店を告げるベルの音が聞こえてきたではないですか。
ルーフェは慌ててお客様の方へと向かうと、そこには見慣れた顔がぼんやりとした様子で立ちつくしていました。
そこにいたのは常連客のブジャルドさんでした。
「ごきげんよう」
ルーフェの挨拶に曖昧に微笑みを返したブジャルドさんはショーケースの中に立ち並ぶ焼き菓子たちをいくつか注文し、ルーフェが焼き菓子たちを箱に詰めている間ブラブラと店内を落ち着きなく歩き回っていました。
「奥様はお元気ですか?」
手際よく注文された焼き菓子を箱詰めしながらも、ルーフェは接客を怠ることはありません。
ブジャルドさんは何だか今日は歯切れが悪く、曖昧に頷くのみでした。
疲れているのでしょうか。
ルーフェは何だか普段と様子の違う常連客のことが気にかかりながらも、手際よく焼き菓子を箱詰めしていきます。
「お待たせしました。どうぞ」
ブジャルドさんは手渡された焼き菓子を受け取ると突然、反対の手でルーフェの手を握りしめぎこちなく微笑みました。
「おお、なんて美しく素敵な方なのだ。どうか私のこの想いを受け取ってはくださいませんか」
突然のことにルーフェは思わず硬直してしまい、ポッカリと口を開けたまま目の前の常連客の顔を見つめていました。
酔っ払っているのでしょうか。
「おお、まるで飴玉のように美しいその瞳」
ブジャルドさんの瞳はまるで何かに魅せられたかのように熱を帯びています。
ルーフェはハッとして握られた手を引っ込めると、後退りしながら曖昧に微笑みます。
「あ、あの。ブジャルドさん。お酒をお飲みになったんですか?私は奥様ではないですよ」
冗談めかしてそうは言ったものの、ルーフェの中には恐怖心がムクムクと立ち上がってきます。
ブジャルドさんはというと「まさか!」とショックを受けた様子で、ルーフェのことを見つめています。
「あぁ、私は酔っ払ってもいないし、ルーフェさん、あなたに話しているんですよ」
ジリジリとルーフェの方へと近づいてくるブジャルドさんに、ルーフェの恐怖心はいよいよ爆発してしまいそうです。
ふと、背後でキッチンの扉が開く音がしました。
助かった!
「あら、ごきげんよう。ブジャルドさん。いつもありがとうございます」
ガチャリ、とキッチンの方から顔を出したエイマは、見慣れた顔を確認すると笑顔で挨拶をしました。
邪魔が入って不服そうなブジャルドさんは、適当に挨拶を返すとそそくさと店を後にしてしまいました。
はぁっと安堵のため息をつくルーフェ。
「どうしたの?」とエイマが不思議そうな表情でルーフェの顔を覗き込みます。
実は、とルーフェはたった今起きた出来事を簡単にエイマに話して聞かせました。
最初は好奇心旺盛、と言った様子で耳を傾けていたエイマでありましたが、すぐに眉間に皺がより始め、次第に怒りの形相へと変わっていきました。
「何それ、信じられない!家庭を持っているっていうのに、若い女に求愛ですって?ありえないわ」
彼は出禁ね。と怒りに肩を震わせたエイマは、閉店時間まではまだもう少しあるというのにさっさと看板を引き上げ、店仕舞いを始めています。
ルーフェにとってそれはありがたいことでした。
数少ない常連だった人が、実は自分のことを目的にこの店に訪れていただなんて。
ルーフェにとってそれはとてもショッキングな事実です。
「もう今日は帰りましょう。よかったら一杯奢るわ。労災ってやつね」
少しでもルーフェのことを励まそう、とエイマは片付けをしながら冗談混じりにそう提案してくれました。
ルーフェはその好意をありがたく受け取りつつも、今日は帰ると告げ自らもキッチン内の片付けを始めました。
黙々と店仕舞いをしているお店の扉を誰かがそっと叩きました。
「すいません、今日はもう・・・あら!」
表の方からエイマの驚いた声が聞こえてきます。
まさか、ブジャルドさんが戻ってきたのでしょうか?
ルーフェは不安に心を奪われながら、ひっそりと聞き耳を立てて表の様子を伺います。
何だか慌てた様子でエイマが何やら話しているようですが、よく聞こえません。
じっと耳を凝らしていると、ふとエイマがルーフェのことを呼びました。
「ルーフェ、ディアボロ伯爵がいらっしゃったわよ」
ホッと安堵のため息を吐き出したルーフェは、鏡に映る自分の顔を見て、少しばかり前髪をいじってから表へと顔を出しました。
そこにはあの素敵な紳士がにっこり、これまた素敵な笑顔で佇んでいました。
ルーフェの落ち込んでいた気持ちはすぐさま洗い流され、にっこりと笑顔を返しました。
「ごきげんよう。ルーフェさん」
優雅にそう挨拶した伯爵は「実は」と二人の若き乙女に向かって、嬉しそうな表情を浮かべながら話を始めました。
伯爵曰く、伯爵の経営するホテルのレストランで試験的に提供していたルーフェのガトーショコラは大変盛況とのことで、そのお礼に立ち寄ったとのことなのです。
なんと嬉しい報告なのでしょうか。
次の焼き菓子にも大変期待をしている、と伯爵は目を輝かせています。
一通り話し終えた伯爵は、今日もまたいくつかの焼き菓子を購入してくださいました。
「最近はお店は繁盛していますか?」
焼き菓子が箱に詰められていく間、伯爵はふとそんなことを口にしました。
伯爵の言葉に二人は目を見合わせ苦笑いを浮かべることしかできません。
エイマは恥ずかしながら、と現在のお店の状況を話し始めました。
伯爵はエイマの話に真剣に耳を傾け、時には神妙に頷いてみたり、また時には綺麗に整った眉を上げ驚いてみせたり、なんとも気持ちの良い相槌を打ってくれます。
自分達のお店がいかに危険な状況なのか。そんな話を告白しているというのに、ルーフェはディアボロ伯爵の素敵な人柄にばかり目が行ってしまい、なんだか自分自身が恥ずかしくなってきました。
「と、まぁそんな状況なんです。本当にお恥ずかしい限りですわ」
エイマは目を伏せがちにそう呟くとふっと笑いました。
「ですから、伯爵からのお話は大変ありがたいですの。私たちからしたら大きな収益ですもの」
伯爵はなんてことない、といった様子で手を振ると優しい表情を浮かべてこう答えました。
「私はこちらの商品はどれもがダイヤの原石だと思っています。今はまだ世間に気付かれていないだけで、いつかきっと素晴らしい花を咲かせると、私は確信していますよ。ですから、諦めず着実に続けてごらんなさい。私もできる限りのサポートはさせていただきますよ」
ディアボロ伯爵のその言葉にルーフェは心を打たれ、思わず涙をこぼしてしまいました。
いつもはゆったりと構えている伯爵でありましたが、突然の涙には流石に驚きを隠せなかったようです。
珍しくオロオロと狼狽えています。
そんな様子を涙を流しながらも可愛らしいと思ったルーフェは涙を拭い笑顔を見せました。
「ごめんなさい。ちょっといろいろあって、こんなに暖かい言葉をいただけるだなんて思ってもいなかったものですから」
エイマは呆れた様子でハンカチを手渡してくれます。
ルーフェが涙を拭い取っている間、つい先ほどあった常連客からの歪な求愛の件について、エイマは呆れた様子で説明をしています。
なんだかそれが気恥ずかしくてルーフェはハンカチで顔を隠したままです。
「なんだか、自信がなくなっちゃったんです。私たちの焼き菓子を好きでいてくれるから来てくれているものだとばかり思ってたものですから」
はぁっと涙を流してどこかスッキリした表情のルーフェに伯爵が優しく微笑みます。
「あなたたちの焼き菓子が好きな人だってたくさんいますよ。私もその一人です」
そういえば、と伯爵は小さな紙袋を取り出すとルーフェへと手渡しました。
「私の会社が作っているハチミツです。よかったらこちらを使って新しい商品を作ってもらえると嬉しいです。もちろん、無理にとは言いません。まぁ、一度パンケーキにでもかけて食べてみてください」
伯爵はそう言うと、それではごきげんよう、と店を後にしました。
「まさに捨てる神あれば、拾う神ありってところね」
じゃあ、また明日。と帰り支度を済ませた二人はそれぞれのお家へと帰っていきました。
ルーフェは家に帰ると早速パンケーキをこしらえ、ディアボロ伯爵からもらったハチミツをたっぷりとかけていただきました。
濃密なそのハチミツはまるで体の疲れを全て吹き飛ばしてしまうかのようで、ルーフェの心は幸せで満たされていきました。
はぁ・・・また明日からがんばろっと。
甘いものは幸せの源です。
ハチミツの甘い香りに包まれて、ルーフェは深い眠りへと落ちていきました。
続く。
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