見出し画像

異業種からの学びで広がる視野と経験!20代で得た知識とは?


〈聞き手:ことば作家CHIHIROの自己紹介〉



いつか: はい、では本日もCHIHIROさんと一緒にやっていきます。よろしくお願いします!前回 CHIHIROさんの紹介がちゃんとできてなかったので、改めて自己紹介をお願いします。

CHIHIRO:あらためまして、私はことば作家CHIHIROと申します。普段はライターの仕事をしなが ら、作家活動としては毎日詩を書いています。「壱と千」という作品制作ユニットがあ るんですが、写真家であり夫でもある川本理壱が撮った写真と、私の書く詩を合わせた 作品を、毎日発表しています。
いつか: すごいですね、600投稿!
CHIHIRO: あ、そうなんですよ。InstagramとかSNSを中心に発表してるんですが、昨日で600投稿目になりました。一昨年の6月に始めて、去年、コロナになっていた期間があったので ちょっとその間2ヶ月ぐらい止まってたんですけど。一応今年の6月で2年になりますね。その止まってた期間もありつつもまた再開して毎日作ってるって感じです。 いつかさんのお店でも、昨年作品展をさせていただきました。それを機に知ってくださったり、トークイベントもさせていただいたので、そこからどんな思いでやってるのかっていうのをちょっと知ってもらうきっかけもできました。ありがとうございます!

壱と千トークイベント
壱と千 作品展 gallery iにて


〈まず始めてみる精神。“路上ネイル”からスタート〉


CHIHIRO: 前回はいつかさんがネイルに出会った、ちょっと衝撃的とも言えるような出会い、まで聞いていましたね。前回までの様子はこちらでご確認ください。


今日は、そこからいつかさんが自分でネイルをやろうと思ったところについてちょっと深く聞いていこうと思います。どのようにして自分でやろうという思いになったんで しょうか?

いつか:最初の頃は3級を受けて、2級を受けてみたいな感じでネイルの検定を受けていきまし た。その後も1級まで受けていくんですけど、19歳の時に1級だったかな。やっぱりネイルって検定を受けるだけじゃ全然で。人に施術をしてから上達していくものなので、駅とかでやってたんですよ。それが人に対してネイルをやり始めた頃です。
CHIHIRO: 駅ですか!?
いつか: そう。路上ネイルです。その頃って路上ミュージシャンとか結構いっぱいいた時代なので、私も座ってネイルやろうと思って、始めてみました。自分が19、20歳の頃ですね。メイクボックスのように、大きく広がるバックにマニキュアなどの道具をいっぱい詰め込んで、それを持って呉駅や広島駅などで座っていました。 そんな中あるときふと「美容室の中だったらネイルと相性いいかも」と気づいたんです。それで、タウンページを見ながら電話帳に載っている美容室に片っ端から電話していきまし た。その中で1軒だけ、話を聞いてみましょうと言ってくれたところがあって。その美容室でスペースを設けてもらってネイルを始めました。
CHIHIRO: 19歳で飛び込みで、美容室の中でネイルを始めたのですか!

いつか:そうですね、その頃はまだ美容室の中にネイルを併設しているところもなかった時代でした。でも自分的に、美容室の中にネイルはありだろってなんとなく思ってました。それをいいよって言ってくれた方がいたっていうのは大きかったですね。

CHIHIRO
: そんなやり方がまだ周りにない中で、美容室の方も19歳の正直よくわからない女 の子を迎え入れてくれましたよね。
いつか: すごいですよね。とても感謝していて、今もそこに髪を切りに行ったりしています。
CHIHIRO: 美容室のお客さんはどんな反応だったのですか?
いつか: 昔は美容室でマニキュアを塗って帰るみたいなのがあったらしくて。その当時、多分70歳くらいの方々は、わりとすんなり受け入れてくれました。まだその頃はジェルネイルとかもないのでマニキュアを塗るっていう感じでした。
CHIHIRO: なるほど。そもそもジェルネイルになる前はネイルアートっていうのは、どういう形でやってたんですか。
いつか: 爪のケアをして、マニキュアを塗ってという感じですね。あとは私が最初にハンドモデルをしたときのように、スカルプチャーという人工爪みたいなものをアクリルで作って いくのが主流でした。
CHIHIRO: ネイルを始めてから1年ぐらいで、そこまで広がったのを振り返ってみていかがですか。
いつか: 今思えば、「どんどんその環境に行っちゃおう」って思うタイプなんだなと思います。
CHIHIRO: まずはその環境に身を置こうということですね。
いつか: そうそう。思い立ったその日から駅で路上ネイルを始めてみたら、次のことを思いついて。電話帳から電話をかけたのも、基本的に思い付いてからは時間はかかってないです。電話なんて1日で何件もできるじゃないですか。

CHIHIRO: そんなに躊躇なく、とにかくまずやってみようっていうのがもうその頃から身に付いてた考え方なんですね。
いつか: それから21歳で結婚するまでその美容室でネイルをしていましたね。結婚のときにその美容室をやめた形になって、1人というか、今度は出張型でやろうと思い始めました。その場所に通っていくのが生活と合わなくなってきたこともあって。その後はずっと、車に荷物を積んで、呼ばれたところに行ってました。自分にはお店もないから、もうそれしかなかったんです。結婚したばかりの家に来てもらうこともなかなか難しいですし、 それなら自分が行けばいいじゃんと思っていました。
CHIHIRO: それはどれくらいの期間ですか?
いつか: 21歳から24歳ぐらいです。その間に子どもも2人産んでるから、子育てをしつつ移動しなが仕事もしていました。だから今思えば趣味程度の数だったと思いますね(笑)

CHIHIRO: そのときにはお店構えようというよりも、“道具と自分がいればいい”っていう姿勢は、 今のいつかさんから感じるフットワークの軽さに通じていますね。子育てをしつつネイルの仕事もして。どんな形で仕事を受けていたんですか。
いつか: 月に何件あったかは覚えてないけど、1日に1~2件くらいを呉や広島市のエリアで回っ ていたんだと思います。その当時もアメブロでブログを書いて、こういうことをやっていますと発信していました。予約の空き状況を載せて、そこから予約が入って出張ネイルみたいな感じでやってたり、こんなアートができますと載せたり。今思えばなんかしょうもないけど、当時はいろいろ考えながらやっていました。
CHIHIRO: その当時いつかさんはどんな気持ちでしたか?いずれはお店をやるぞみたいなことは 思っていたのでしょうか
いつか: 全く思ってなかったです。それよりもいろんな方の家に行くのが結構面白くって。例えば、自分の子どもたちが通ってる幼稚園の園長先生のご自宅とか行けるんですよ。お仕事終わりの時間帯に行くと食事なんかも作ってもらったりしていました。他にも、普通だと家に入れないような、スポーツ選手のお家に呼ばれたりもしていました。

CHIHIRO: えー!すごい!でも、いろんな事情があってお店に行きづらい方もいるから、そういう方のニーズにはばっちりはまってたってことですよねきっと。

いつか: それはありますね。2人目の子を出産した2週間後ぐらいで病院に呼ばれたのをすごい覚えてます。自分の入院中に予約が入ってきちゃって。病院に入院してる方からでした。ネイルしたいけど入院してるからできなくって、部屋でもやっちゃだめだから屋上でできますか?っていうお客様でした。屋上でネイルしたのをすごい記憶してます。 私どこでもできるんですよね。そもそもが道とかでやってたから。(笑)

〈どちらも経験したからこそ感じる“自由でいい”ということ〉


CHIHIRO:今は素敵なネイルサロンの経営者でありつつも、最初は場所を持たないところからのスタートだったんですね。いつかさんの、いろんなことに目が向いている部分は、そういった部分から出来上がったのだろうなと感じます。これまで、いわゆるネイルサロンでの修行の期間などはありましたか?

いつか: 25歳のときに、子どもを2人とも幼稚園に入れたんですが、ちょうどそのとき広島に初めて全国展開しているネイルサロンがオープンするタイミングだったんです。そういうサロンの内部事情というか、どういうスタイルで全国展開できるかっていうのを勉強したくて、1年間だけそこに入りました。

CHIHIRO: そうだったんですね!しかも1年だけと決めていたんですね。
いつか:ネイルサロンを経験したことで、サロン経営の仕組みや感覚がわかりました。他のネイ
リストの人と並んだことがなかったので一緒に働くってどんなかんじかなと思ったのもありますね。
CHIHIRO: その1年間働いてみてどうでしたか。
いつか:今思えばとても勉強になりました。本社とのやり取りとか、毎日こういうふうに報告するんだとか。私は初心者じゃないけど、経験不足の方で入ってるから、すごい怒られましたけどね。自由に1人でやってた頃とはやっぱり違いました。
そういうことも経験してるんで、今は心底自由でいいんだなって思ってるんですよ。どっちでもできたので。会社が決めるルールの中でもできるけど、自由にやっていてもできると、私は知っている。 だからネイルをこうやってこうやりなさいって絶対ないって思ってて。こんな絵を必ずこういうふうに書きなさいとかも、ないって思っているんですよ。

CHIHIRO: 実感がこもっている言葉ですね。
いつか:ネイルサロンとかに入るとどうしても、「こういう塗り方をして」「ここはこういうふ うにして」とか技術面も決まりがあるんです。所要時間の規定を過ぎたら、なぜそうなったのかを書類で書かないといけなかったり。お客様にこれを売りなさいとか、もう全てが決まっていました。
CHIHIRO: その時の経験は今どんなふうに生きていますか
いつか: 今は、技術面での指示をすることは、一切ないですね。それはやっぱり、実感として自由でいいんだなって思ったからです。 人って、言われたようにやりだすと、言われたようにやらないと怒られるみたいなところから抜けれないんで。なるべく自分で考えて自由にやれたらいいなと思っています。

〈異業種からも学びを深めた20代後半〉


CHIHIRO: そういう1年を過ごして、またフリーに戻るのですね。それまでの自分の働き方と何か変わったこととかありましたか。
いつか:場所まで言っていいのかわからないけど、呉駅の裏に結構大きい観光スポットがあっ
て、そこで働きました。

CHIHIRO: ・・・え!?私の中で今、でっかい船のイメージが浮かんでるんですけど・・・。 そこで働いてみようって思ったんですか!?

いつか: なにか違う職と兼用してみようと思ったんですよ。ネイルをフリーでもう1回復活したところでまたお客様が集まるかわからないのもあって。その頃はもうちょっと仕事をちゃ んとしないとっていうフェーズに入ってるというか、子供を2人預けて現実的になっていました。 安定的な収入を柱としてひとつ持った上でネイルをしようと思って。求人で見つけたのがその観光スポットでした。その地域で、いちばん人が集まっているところを見れば、なんで集まってるのかなんとなく勉強できるかなと思ったんです。31歳くらいまで約5年ほどそこで働きました。
CHIHIRO: ネイルと全然関係ない職種で働きつつ、ってことですよね。

いつか:というか、そもそも働く時にネイルとかしたら駄目だったし。(笑)
むしろネイルの仕事をやっていることを隠して働いていました。でも、その自分がちょっと好きで。主婦のアルバイトです、みたいな瞬間が好きだったんです。生活するのにその場所が結構あってて、通いやすかったから楽しかったですね。
CHIHIRO: いつかさんにそんな時代があったなんて今は考えられないですね。

いつか: 私は今でも、生活を支える柱が1個仕事としてあって、自分の好きなことを傍らでするってすごく大事だと思っています。1本に絞りなさいっていう教えもあるけど、収入が安定してあるってすごい安心なんですよね。私は考えとしては、絶対ありだと思ってます。

CHIHIRO: 確かにフリーランスの人って、常にそういうのを考えたりしてると思いますね。それにしても意外な話が出てきてちょっとびっくりしました。
いつか:そこでの仕事は、商品の開発や販売方法を見ていたり、新しいカフェの立ち上げを見て
たりとか。働いていた間にいろんなことが起きて、その都度いろいろ学べました。


CHIHIRO
: 生活のためでもある時間も、ちゃんと学びに繋げていたんですね。すごく面白いんですが、もう30分経っちゃいましたので、今日はここまでにいたします。 次回は、30代に突入したいつかさんのその後について聞いていこうと思います。今日はありがとうございました!

いつか:ありがとうございました!また次回お願いします!


音声で聴きたい方は、stand.fm
#いつかのいつかきっとラジオでお聴き頂けます


サポートされたお金はすべて、パリ進出に使われます🇫🇷💪